第七十八幕 ~不穏~

 砂漠の街ケフィンから北西に向かって馬を駆けること一日。群雄割拠の中期に造られたグラシア砦がある。湖の中心に浮かぶ島に造られた砦であり、小規模ながらも堅牢な造りをしている。砦へと唯一繋がる石造りの橋。そこに陣地を築けば砦に近づくことすら困難になるだろう。一見すると防御に適した砦と言える。


 だが、この砦がただの一度も重要視されたことはない。理由は明白。唯一の退路でもある橋が塞がれてしまった場合、兵糧攻めを受ける可能性が非常に高いからだ。つまるところ構想段階から多大な欠陥を抱えた砦にほかならない。先人たちがなにゆえこの地に砦を築いたのか、今もって不明とされている。


 現在では出世争いに敗れた高級将校たちが代々司令官の座に就いてきた。利用用途のない砦は左遷先としてうってつけだったのである。それゆえ王国兵士の間では〝落陽砦〟と秘かに揶揄やゆされていた。




 灰鴉亭はいがらすていを後にしたオリビアたちは、ナインハルトとカテリナに見送られながら王都を出発した。コメットにまたがるオリビアを中心に、二十人からなる屈強な男たちが周囲を囲む。いずれもナインハルトが用心のためにと寄越した直属の部下たちだ。最初オリビアは必要ないと断ったのだが、クラウディアが薄い笑みを浮かべ始めたのですぐに了承した。

 馬群は土煙を舞い上げながら目的地であるグラシア砦に向かって駆けていった。



 ──三日後


「少佐、あれがグラシア砦です」


 林道を抜けたところでクラウディアが声を上げた。西の方向に視線を移すと、湖の上に建てられた砦が見えてくる。湖に反射した夕焼けの光が、幻想的な光景を作り出していた。


「わあ! 綺麗! 見て見てアシュトン。とっても綺麗だよ。なんだか絵本に出てくる風景みたい」

「はぁ……オリビアは呑気でいいよな」


 併走するアシュトンが呆れるように呟いた。


「なんでそんな暗い顔をしてるの?」

「これから天陽の騎士団と一戦しようってときに、明るい顔なんてできるわけないだろう」

「そうなんだ」

「そうなんだって……相変わらず軽いというか、緊張感の欠片もないやつだな」

「そこが私のいいところだから。ね、コメット」


 オリビアが首筋をポンと叩くと、コメットはいなないた。


「そういうことを自分で言うなよ。そもそも、馬に同意を求めるな」

「アシュトンは〝人馬一体〟って言葉を知らないの? 戦場を縦横無尽に駆けるためにも、馬と心を通わせるのは大事なことだよ」

「くっ! 正論なだけに反論できない。どうせ僕は馬の気持ちもわからないし、剣もまともに振れませんよ」 


 アシュトンはガックリと肩を落とすと、力なく視線を前に戻した。



 湖に沿って常歩なみなしで進みながら砦と陸地を唯一繋ぐ石橋を渡り、ようやく城門前に到着する。クラウディアは大きく息を吸い込むと、城壁にいる兵士たちに向かって声を張り上げた。


「私は王国騎士、クラウディア・ユング中尉! すでに我々のことは話に聞いているはずだ! 急ぎ門を開けられよ!」

「す、直ぐに門を開放します!」


 兵士たちはなにやらヒソヒソと言葉を交わすと、すぐに視界から消えていった。クラウディアたちが馬から降りて待っていると、程なくして城門がゆっくりと開かれていく。その先には大勢の兵士たちと共に、ずんぐりとした男がこちらを出迎えるように立っていた。


「遠路ご苦労。私がこのグラシア砦を預かるドミニク・エクハルトだ」


 そう名乗ったドミニクは、今にもはち切れんばかりの軍服に身を包んでいる。襟章には大佐であることを示す銀星が三つ並んでいた。


「司令官自らお出迎えいただき恐縮です。私はクラウディア・ユング中尉。そして──」

「ああ、言わんでもわかっとる。貴官が高名な死神。オリビア・ヴァレッドストームだな?」


 ドミニクはニヤついた笑みをオリビアに向けた。実に不遜な物言いだが相手は上官。面と向かって文句を言うこともできない。この男の第一印象は最悪だ。


「はっ! オリビア・ヴァレッドストーム少佐であります!」


 一方のオリビアはとくに気にする風もなく返事を返していた。


「そうかそうか。見目麗しいと聞いてはいたが、まさかこれほどとはな。これでは大半の男共が放っておくまい」


 そう言うと、全身舐めますような視線をオリビアに向け始める。クラウディアの背後にいるアシュトンから微かな舌打ちが聴こえてきた。


(アシュトンの気持ちはよくわかる。実にけがらわしい男だ)


 クラウディアはさりげなくオリビアを庇うように立ちながら、兵の集結状況を尋ねてみる。


「──ん? ああ、警備兵たちのことか。集結ならもう済んでいるぞ」


 まるで他人事のようにドミニクは言う。クラウディアは内心で怒りを覚えながらも、表面上は冷静に務めた。


「そういうことでしたら明日、夜明けと共に兵を引き連れて──」

「いやいや、それには及ばない」

「──は? 今なんと申されましたか」

「だから、それには及ばないと言ったのだ」


 ドミニクは大きく肩を竦めると、部下に門を閉めろと命じている。またそれに合わせるかのように、兵士たちがクラウディアたちを一斉に取り囲んだ。


「ドミニク大佐、これは一体何事でしょう? 冗談にしてはやり過ぎだと思われますが?」


 クラウディアは狼狽するアシュトンを庇いつつ、柄に手を掛ける。ナインハルトの部下たちも同様の仕草をとった。


「冗談? くくっ。私は冗談がこの世で一番嫌いな人間でね」


 くつくつと笑うドミニク。ざっとみても百人を超える兵士たちが、じりじりと包囲網を狭めていく。


 考えてみれば不穏な兆候はいくつもあった。

 開門を要求したときの挙動不審な対応。

 こちらが到着するのをわかっていたかのように、わざわざ司令官であるドミニクが出迎えにきたこと。

 完全武装で身を固めた兵士たち。

 王国軍から裏切り者が出るのは今に始まったことではない。が、佐官クラスの人間が裏切るとはクラウディアも予想外のことだった。


「──理由を聞かせてもらっても?」

「理由か。いいだろう。私は美人には滅法甘いからな──ちなみに兵士たちがこの砦をなんと呼ぶか知ってるか?」

「……落陽砦」

「その通りだ。私は非常に優秀なのにもかかわらず、たまたま運悪くこの砦に送り込まれてしまった。ここでの暮らしは最悪だ。美味い酒もなければ、むしゃぶりつきたくなるようないい女もいない。そんなことが許されていいと思うか?」


 実に嘆かわしいとばかりにドミニクは首を振る。そのあまりにも身勝手な理由に、クラウディアは怒りを通り越して呆れてしまった。


「そんなことで王国を裏切ったのか?」

「そんなこと? そんなことだとッ! こんな砦に押し込められた私の気持ちが貴様にわかるわけがないッ!」


 ドミニクは手にしていた指揮棒を地面に投げつけ、顔を真っ赤にしながら地団太を踏む。そばにいた側近らしき男が必死に宥めていた。


「はぁはぁ……まぁいい。本来なら優秀な私だけでも構わないのだが、死神の首を引き渡せば帝国軍はより私を重用するだろう。今このとき、お前たちがここにやってきたのは単なる偶然ではない。全ては日頃の私の行いと、女神シトレシアの導きがあったからに違いないのだ」

「ねぇ、結局ドミニク大佐は私たちの敵ってこと?」


 クラウディアはよくわからないといった感じで尋ねてくるオリビアに頷いて見せた。


「王国を裏切り帝国に寝返るつもりです」

「そっか。やっぱり敵か」


 納得いったように何度も頷くオリビア。ドミニクはすまなそうに口を開く。


「ああ、オリビア少佐。許しておくれ。君のような絶世の美女を殺さねばならない罪深き私のことを。今や君の首はどんな宝石よりも価値があるのだよ。せめて苦しまずに冥府へと──」



 一瞬だった。

 目を離したつもりなど毛頭なかった。

 だが気がつくと、オリビアはドミニクの横を疾風のごとく駆け抜けていた。

 一拍の間を置き、ドミニクの首がボトリと地面に落ちる。続いて鮮血を吹き上げながら胴体がゆっくりと崩れ落ちていった。敵も味方も唖然とする中、鈴の音のような声が響き渡る。


「まずは一人目。次の敵は誰かなー?」


 オリビアは漆黒の剣を肩に担ぎながら周囲を見渡していく。こちらを囲んでいた兵士たちは慌てて武器を投げ捨て、額を地面にこすりつけるようひれ伏した。


 ドミニクの裏切りが発覚してから僅か十五分。

 グラシア砦は完全にオリビアの手中に落ちた。

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