第六十四幕 ~紅と漆黒の戦い~

 オリビアとローゼンマリー。二人の戦いが幕を上げた。


 数度の剣撃が交わされた後、オリビアが袈裟がけに斬り込んでくる。ローゼンマリーは身を捻り回避しながら、腹に向けて強力な後ろ蹴りを放った。オリビアは素早く身を引くと、砂塵を舞い上げながら蹴りを放ち、互いの足が交差する。

 一瞬の間を置き、両者は弾け合うように距離をとった。


(なるほど。さすがにやるな。剣技だけでなく、体術も相当なものだ。これならボルマーが屠られるのも無理はないか)


 幾度かの攻防を経て尚、ローゼンマリーの攻撃はいまだオリビアに届いていない。思考を巡らして、次なる一手を模索する。


「ローゼンマリーさんも〝オド〟が高いんだ。ゼットは滅多にいないって言ってたけど、結構いるもんだね。それとも私の運がいいのかな?」


 笑顔でそう言うと、オリビアがゆっくりと腰を落としていく。オドという言葉にどこか聞き覚えがあるが、今はそれを問うている暇はなさそうだ。明らかに何かを仕掛けてくるであろう体勢に、剣を構え直した途端、


(早いッ!)


 無拍子むびょうしで距離を縮めてきたオリビアが、ローゼンマリーの顔面に疾風のごとき突きを繰り出してきた。ローゼンマリーは素早く剣の腹で受け流し、そのままオリビアの脳天目がけ振り下ろす。

 オリビアは半身で避けると、そのまま体を一回転して左薙ぎを放ってきた。咄嗟に剣を逆手に持ち替え、軌道上に突き入れることでこれを回避。激しい火花が散ると同時に、キンッ! と耳をつんざく金属音が鳴り響く。


「ふぅ。危ない危ない。さすが死神と恐れられることはあるな。本当に大した動きだ」

「ローゼンマリーさんもね。なんだかゼットとの〝訓練〟を思い出すよ」


 「ほんのちょっぴりだけど」と付け加えながら、どこか懐かしそうな表情を浮かべるオリビア。隙ありとばかりに放った一閃は瞬時に回避され、代わりに犠牲となった木がメキメキと音を立てながら倒れていく。

 鳥が慌てたように飛び立つ中、大きな地響きと共に──切断面から勢いよく炎が燃え上がった。


「え?」


 ポカーンと口を開けながら燃える木を見つめるオリビア。すぐに視線はローゼンマリーの剣へと向けられた。


「フフッ。どうやら驚いてもらえたらしいな」

「うん。とっても不思議な剣だね」


 物欲しそうな目をするオリビアを見て、ローゼンマリーは思わず苦笑する。


「オリビアの剣も十分不思議だろ。ただ、あたいの剣に斬られたらどうなるか。これでよくわかったんじゃないか?」

「あは、それって私も燃えちゃうってこと? それは嫌だなぁ。なんだかとっても熱そうだし」

「ま、あたいも魔法がかかったこの剣で人を斬るのは初めてなんだ。派手に燃えるかどうかはお楽しみってところだな」

「魔法? ──もしかして、魔術のことを言っているの?」

「魔術? なんだそりゃ?」


 お互いに眉を顰める。魔術なんて言葉をローゼンマリーはただの一度も聞いたことがない。一方のオリビアは「ゼットに教わっていない」などと呟いている。

 フェリックスと違って、ローゼンマリーは魔法士との関わり合いがない。というより、得体が知れないのであまり自分から近づこうとは思わなかった。

 そもそも神の御業というのなら、なにゆえ〝人間ごとき〟に使えるか不思議でならない。聖イルミナス教会の人間が聞いたら、きっと発狂するだろうが。

 ローゼンマリーとしては、利用できるものは利用する。ただ、それだけの話だ。


「まぁいい。魔術だか何だか知らねぇが、あたいにとってはどうでもいいことだ」


 ローゼンマリーは瞬時に地面を踏み込み、稲妻のごとき一閃を繰り出す。かと思えば、子供でも避けられそうな緩い突きを放つ。緩急を織り交ぜたローゼンマリーの剣技。そして、身体の力を適度に抜き、相手の虚をつく独特な歩法術。大抵の者は己のリズムを崩され、最後は為す術もなく地に伏す。

 だが、オリビアは違った。その全てをかわし、いなし、時に反撃してくる。両足を斬り落とすべく放った斬撃は、虚しく空を切った。

 オリビアは華麗に空中で一回転すると、地面にフアリと着地する。


「フッ、オリビアの背中には翼でも生えているのか? それにしても、あたいが得意とする剣技がこうもかわされるとはねぇ……逆にこっちのリズムが狂いそうだな」

「ローゼンマリーさんは結構強いね。ここまで攻撃を防がれたのは、ゼット以外では初めてかな」

「なぁ、さっきからゼットゼットって誰なんだそいつは? オリビアの師匠か?」


 若くしてこれだけの能力を有しているのだ。オリビアの背後に凄腕の師匠がいたとしてもなんらおかしくはない。むしろ、いないと考えるのが不自然なほどだ。

 本当に死神というのなら話は別だが。


「え? ゼットが私の師匠? ──うーん。多分そういうのとは違うと思う。ね、私ってゼットの何なのかな?」

「あたいが知るわけないだろッ!」

「あはは、それもそうだね。ところでさっきから気になっていたんだけど、その剣筋どっかで見たことがあるんだよねぇ」


 オリビアは剣を弄びながら小首を傾げている。ローゼンマリーの剣技は幼少の頃より、オスヴァンヌに手ほどきを受けたもの。今でこそ我流の剣技を身につけているが、基礎というものはいつまでも残る。

 つまりオリビアは、自分の剣筋にオスヴァンヌの影を見たと言っているに等しい。ゾワゾワとしたものが、ローゼンマリーの背中を這い上がってくる。


「まさか……まさかオリビアがオスヴァンヌ大将を殺ったのか?」


 口にした途端、ストンと腑に落ちる。そもそも老いたとはいえ、オスヴァンヌがその辺の有象無象に殺られるわけがないのだ。


「オスヴァンヌ大将? ──そうそう! オスヴァンヌさんの剣筋に似ているんだ!」

「いいから質問に答えろッ!」

「え? オスヴァンヌさんをぶっ殺したのは私だよ」


 しれっとした態度でのたまうオリビア。ローゼンマリーの中で、何かが切れた音がした。


「オリビア……貴様は五分刻みに解体してから冥府に送ってやる。最早楽に死ねるとは思うなぁああっ!!」

「えー。さっきは仲良くしようって言ってたじゃない」


 ローゼンマリーは歯をむき出しながら、嵐のような斬撃を繰り出す。オスヴァンヌを殺した張本人が目の前にいるとわかって、冷静ではいられない。

 一方のオリビアは巧みな剣捌きで防ぎつつ、まるでこちらの動きを観察しているかのような目を向けてくる。顔は笑っているくせに、目だけは獲物を狙う獣のそれだ。


「あれ? 何だかさっきより動きが雑になってきたよ。ね、大丈夫?」

「うるさいッ!!」


 オリビアの戯けた言い方に、ローゼンマリーの怒りは増々上昇していく。だが、それと同時に違和感が生じてくる。剣が弾かれるたび、徐々に手が痺れてくるのだ。これは明らかにオリビアの攻撃が重くなってきている証拠。

 まるで鉄の塊に向かって打ちつけているような錯覚に陥りそうになる。

 

「くそッ!」


 一旦大きく後退し、額から零れ落ちる汗を乱暴に拭う。余裕を見せているのか、オリビアに追撃してくる様子は見られない。

 ふと、陽炎の忠告が脳裏をよぎった。


(やはり陽炎の分析力は伊達じゃないってわけか。おそらく奴のほうが体力がある。それに力も……このままズルズルと戦いが長引くのはまずい。ここは怒りを封じ込め、冷静に対処しなければ)

 

 大きく深呼吸すると、ローゼンマリーは突進する。唐竹、袈裟斬り、横なぎ、突き。その他ありとあらゆる斬撃に対処できるよう、全神経を集中させていく。

 だが、オリビアは全く予想外の行動に出た。


(──ッ!? 飛剣術かッ!?)


 オリビアは左足を大きく前に踏み込むと、鞭のように腕をしならせ剣を飛ばしてきた。轟音を発しながら迫りくる剣に対し、強引に体を反らすことでなんとかかわすことに成功する。

 頬からツーっと血が流れ落ちた。


(今のは危なかった。薄皮一枚ぎりぎりといったところだが)


 ホッとしたのもつかの間、


「隙ありだね」

「なっ──!?」


 突如目の前に現れたオリビアが、右足刀を繰り出していた。ローゼンマリーの剣を強引に蹴り飛ばすと、流麗な動きで左正拳を放ってくる。咄嗟に腕を十字に構え防御するも、お構いなしに拳を突き入れてきた。

 鈍い音と共に両腕はあらぬ方向に曲がり、拳が胸に突き刺さる。途端、体を貫くかのような衝撃がローゼンマリーを襲う。鎧など何の意味もないとばかりに。耐え切れずに膝が落ち、さらに顎を蹴り上げられ視界が明滅する。そのまま仰向けに倒されると、オリビアの右足が鎧越しに容赦ない圧力をかけてきた。


「く、くそったれめーッ!!」

「あは、両腕が折れているのにまだまだ元気だね。でもそろそろ終わりにしようか。ローゼンマリー・フォン・ベルリエッタさん、本当にありがとう。またゼットに美味しいご飯を届けてあげられるよ」


 陽気な声と共に、鎧がミシミシと不快な音を立てている。今やローゼンマリーにできることは、ただただオリビアを睨みつけることだけ。

 その時、地面から響く複数の足音と、聴き慣れた声が聞こえてきた。


「閣下ッ! 今お助けします!」


 声のした方に視線を向けると、ガイエルと部下たちが次々と矢を放っていた。オリビアは素早く後退しながら、右へ左へと舞うように矢を避けていく。


「遅くなって申し訳ございません」

「ガイエル……お前、生きていたのか」


 苦笑すると、ガイエルはローゼンマリーをそっと抱き上げた。ガイエルも傷を負っているのか、その手は真っ赤に染まっている。


「ええ、今だしぶとく生きています。残念ながら本陣の部隊は壊滅状態ですが、閣下が生きていればいくらでも挽回は可能です──死神を一歩足りたりとも近づけさせるなッ!」


 ガイエルはローゼンマリーを背負うと、次々と部下たちに指示を飛ばしていった。


「撤退します。痛むでしょうがしばらくは我慢を」

「ま、待て! 奴を! オスヴァンヌ大将のかたきをッ!」


 憎むべき敵を目の前にして撤退などありえない。


「我々は負けたのですッ! ──それに、その体でなにができるというのですか。ここは潔いご判断を」


 ガイエルの背中越しに有無を言わせぬ迫力が伝わってくる。正論なだけに反論すべき言葉が出てこなかった。

 ローゼンマリーは溢れ出る怒りを必死に抑え込みながら告げる。


「……撤退だ……」


 ガイエルは黙って頷き、林に向かって歩き始めた。



  

「ちょっと待って待って。逃げられると困っちゃうんだけど」


 これがいわゆる寸劇かと思いながら、オリビアはついつい楽しく見入ってしまった。このままではローゼンマリーにまんまと逃げられてしまう。慌てて追いかけようとした途端、オリビアの行く手を阻むように紅の兵士が立ち塞がってきた。

 その数およそ三十人。全員が決死の覚悟を決めた顔で武器を構えている。こういう人間が一番殺りづらい。なぜなら、死んでもここは通さないってやつだからだ。


「あー、これは失敗しちゃったかなぁ」


 オリビアは深い溜息を吐きながらそう呟いた。

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