第六十一幕 ~狩りの季節、その弐~
ミルズ隊を全滅させた独立騎兵連隊は、次なる獲物に向けて獰猛な牙を突き立てる。その相手に選ばれたのは──
「なに? 死神の部隊を見つけただと?」
斥候兵の言葉に、四千の兵を率いるリステンベルク少将が驚きに満ちた声を上げる。死神の部隊は高々と軍旗を掲げ、この先の峠に向かって堂々と行軍しているらしい。その数、およそ三千とのこと。
「それは本当に死神の部隊なのか?」
「部隊の先頭を歩く漆黒の鎧を身につけた少女を見ました。髪も銀色。伝え聞く風貌に偽りがなければ、間違いないと思います」
断言する斥候兵に向かって、リステンベルクは鷹揚に頷く。
「わかった。報告ご苦労。引き続き索敵を行え」
「はっ!」
走り去る斥候兵を一瞥しながら、隣で話を訊いていた副官ハイネルに声をかける。
「どう思う?」
「漆黒の鎧に銀髪の少女などそうそういるはずがございません。斥候兵の申す通り、間違いなく死神の部隊でしょう。このまま野放しにしておくのは危険かと」
ハイネルの提言に対し、リステンベルクは腕組みをして思考を巡らせる。何度か刃を交えてみてわかったが、脅威を感じさせるほど第七軍は強くない。
練度も高く統制もとれてはいるが、第三、第四軍と比較しても大差はなかった。客観的に見ても、紅の騎士団と比べたら数段劣る。
だが、死神率いる部隊は全く別物と考えるべきだろう。僅か二ヶ月の間に、各地に展開する部隊がいくつも壊滅させられたのだから。
紅の騎士団も、ボルマーの部隊が壊滅の憂き目に遭っている。ハイネルの言う通り、このまま死神の部隊を野放しにするのは非常に危険だ。
(ローゼンマリー閣下は死神と会うのを楽しみしているようだが、そんな危険な真似を冒させるわけにはいかない)
数度の勝利を得て、部隊の士気は十分な高まりを見せていた。兵数も勝っている。ある意味ここで死神を見つけたのは僥倖と言えるだろう。今が攻撃を仕掛ける絶好の機会である。
「よし、我が部隊はこれより死神の部隊を追いかける。紅の騎士団の威信にかけて、奴らを覆滅せしめるのだ」
「はっ!」
──二時間後。
リステンベルク部隊が峠に差し掛かると、敵の姿が見え始めた。僅かなどよめきが部隊に広がる中、リステンベルクは眉根を寄せる。
すでに死神の部隊が密集陣形を展開していたからだ。おそらくこちらが追ってくるのを、どこかのタイミングで察知していたのだろう。
ただあり得ないのは、崖を背に陣取っている点だ。
「一体どういうことでしょう? あれでは崖下に突き落としてくれと言っているようなものです。正気の沙汰とは思えません」
ハイネルが呆れたように言った。リステンベルクとしても、同様の思いだ。
「背水の陣とでも言いたいのか? 愚かな。どうやら俺の買いかぶり過ぎだったか」
「いかがいたしましょう?」
「兵を左右に広く展開させ、中距離から矢を放て。そのまま死神もろとも奈落の底に突き落としてやるのだ」
「はっ!」
ハイネル号令の元、死神の部隊に向けて一斉に矢が放たれる。だが、敵は全隊を包み込むように大盾を張り巡らせ、矢を全て弾き返してしまった。まるでこちらの攻撃を読んでいるかのような無駄のない動き。ここまで防御を固められると、矢をいくら射かけたところで意味はない。
それどころか僅かな隙間から矢を射かけられ、逆にこちらの兵が殺られていく有様。このまま同じ攻撃を続けていても、被害が増すばかりだ。
「閣下、このままでは埒が明きません」
「わかっている。小賢しい真似を。攻撃を槍に切り替えさせろ。敵を半包囲しつつ、直接奈落の底に叩き込んでやれッ!」
「はっ!」
ハイネルは声を張り上げ、槍兵に突撃を命じた。
「どうやらアシュトンの目論み通りに敵が動いたな」
クラウディアの言葉に、アシュトンは軽く頷く。わざと斥候にこちらを発見させ、敵の部隊を誘引することに成功した。
敵は弓矢による攻撃を諦め、槍を構えながら迫ってくる。槍で追い立てながら、直接崖下に突き落とそうとの判断だろう。
「ここまでは順調です。二人には打ち合わせた作戦通り、先陣を切ってもらいます」
「ああ、任せておけ。フフッ、腕が鳴るな」
「アシュトン、私も頑張るよ」
クラウディアが不敵に微笑み、オリビアはニコニコと笑う。そんな二人の様子を見て、アシュトンも思わず笑みを浮かべた。
昔の自分ならこの状況で笑うことなど到底できなかった。二人と一緒だということもあるが、アシュトン自身戦争に慣れてきたのだろう。
それが良いか悪いかはまた別の話だが。
「では我々も行動に移しましょう──これより敵の中央を突破する!」
アシュトンの合図と共に、独立騎兵連隊が一気に突撃を開始した。紅の騎士団は動揺したような動きを見せ、足が一瞬止まった。オリビアとクラウディアはその機を逃さず、猛然と剣を振るいながら中央を分断していく。
二人を中心に血飛沫が舞う中、アシュトンも剣を片手に遅れまいと必死について行く。紅の騎士団も果敢に反撃してくるが、二人の足を止めるには至らない。
「今だッ!」
敵の一角が崩れる様を見て、クラウディアが号令をかけた。オリビアは立ち塞がる敵の首を目にも止まらぬ速さで切り裂き始め──中央突破に成功する。後に続く兵士たちは、一糸乱れぬ動きで左右に分かれていった。
アシュトンはラッパを吹き鳴らし、作戦が次なる段階に移行したことを知らせる。前衛部隊は大盾を構え、後衛部隊は矢を番い始めた。
「作戦を最終段階に移行。これより一気に敵を追い込むぞッ!!」
クラウディアの凛とした声が峠に響き渡った。
瞬く間に半包囲されたリステンベルク部隊。間断ない矢の攻撃を受けながら、味方は徐々に崖下へと追い詰められていく。ここにきて大盾を用意していなかったことが悔やまれる。あまりの鮮やかな手際に、リステンベルクはようやく敵の策に落ちたのだと理解した。
「おのれえぇぇ。背水の陣はただの見せかけか。どこまでも小賢しい真似をしおって」
「閣下ッ! このままでは我々が崖下に突き落とされてしまいますッ!」
後ろを振り返りながらハイネルが叫ぶ。リステンベルクは思考を巡らし、瞬時に判断を下す。そして、獰猛に笑った。
「ならば我々も同じことをすればいいだけだ。密集陣形を展開しろッ! 敵中央を突破し、再び奴らを崖下に追い詰めてやるッ!」
「はっ! ただちに!」
ハイネルの指示により、すぐさま密集陣形が組まれていく。
──だが。
「今だッ! 火矢を放てッ!」
若い兵士が手を挙げると同時に、おびただしい数の火矢が降りかかってきた。兵士たちの間に動揺が広がる。
「閣下ッ!」
「慌てるなッ! 火そのものの殺傷能力は決して高くない。冷静に対処せよッ!」
リステンベルクが檄を飛ばす。兵士たちはすぐに動揺を収め、小盾や剣でもって火矢を弾き飛ばしていく。
しかし、予想だにしなかった事態が起こった。火矢が地面に触れた瞬間、勢いよく炎が燃え上がったのだ。
突然の出来事に、兵士たちは為す術なく炎に飲み込まれていく。
「──ッ!? なぜ地面から炎が!?」
驚愕に満ちた声を上げるハイネル。リステンベルクは瞬時に悟った。前もって大量の油が地面に撒かれていたことに。だが、今さら気づいたところですでに手遅れ。なまじ密集陣形を敷いたばかりに、広がる炎から逃げ道がないのだ。
それを証明するかのようにある者は炎に身を埋め、またある者は炎を纏いながらフラフラとした足取りで崖下へと落ちていく。
峠に兵士たちの悲鳴が次々と木霊した。
「くくくっ……」
「か、閣下?」
「見事だ。我々の動きを読み切った上での攻撃。敵ながらまこと見事としか言いようがな──」
リステンベルクの言葉が最後まで続けられることはなかった。飛んできた矢に喉を貫かれ、あっけない最後を迎えたからだ。
「閣下ッ!?」
慌てて駆け寄ったハイネルもまた、無数の矢に貫かれて絶命した。
「敵の部隊は最早統制が取れていないですね。おそらく指揮官はすでに死んだのでしょう」
オリビアが矢を射かけている横で、クラウディアが敵を見渡しながら言う。
「最後まで決して油断はしないでね。窮鼠猫を噛むって言うから。もちろん噛みついてきたら踏み潰すけど」
「はっ!」
敵のほとんどは炎で焼け死ぬか、水でも求めるかのように崖から落ちていった。僅かに生き残っている敵も、やけくそに突っ込んでくるか、右往左往するばかりで恰好の的と成り果てている。
クラウディアの言う通り、混乱を収める指揮官はもういないようだ。
「結局、本陣の場所はわからずじまいか」
死んでしまったものは仕方がない。アシュトンが立案した作戦のおかげで、独立騎兵連隊はほとんど損害を出していない。敵の戦力を削ることには成功したし、それだけでも良しとすべきだろう。
何事も欲張ってはいけない。美味しいご飯も、甘いお菓子だってそうだ。
「隊長、峠を下った先で敵の部隊を発見しました──って、こりゃまたすげぇことになっているな……」
ガウスが敵を眺めながら息を飲む。どうやら斥候に出していた兵士たちも無事戻ってきたようだ。
「うんご苦労様──じゃあ残りの敵を全てぶっ殺した後、しばらく休憩。それから次の獲物を狩りに行くよ」
「はっ!」
──それから二時間後。
今だ黒煙がもうもうと立ち上る中、独立騎兵連隊は次なる獲物に向けて再び進撃を開始した。
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