第三十四幕 ~陥落~

 オリビアが単身内部攪乱かくらんに向かってから三十分後。

 正門のかんぬきを外すため、物置部屋を出たガウスたち。遠くで微かな悲鳴が聞こえる中、慎重に歩を進めていると。


「こ、これは……」


 ガウスの目に飛び込んできたもの。それは壁一面に血や臓腑が飛び散り、廊下を埋め尽くさんばかりの死体の山。しかも、五体満足な死体がひとつもない。必ずといっていいほど、どこかしらの部位が切断されている。中には正中線に沿って半分に分かれている死体もあった。そのあまりの凄絶さに、屈強な兵士たちも思わず息を飲む。

 ガウスは心の底から安堵した。オリビアが本当に味方で良かったと。


「……隊長のおかげで、砦内は大騒ぎになっているだろう。今のうちに正門に向かうぞ!」

「「「はっ!!!」」」


 ガウスたちは正門に向かって駆け始めた。




 一方その頃、ブルームの執務室では怒声が鳴り響いていた。


「たったひとりの賊ごときに、いつまで手間取っているのだッ!」

「ただの賊ではありませんッ! ブルーム大佐も噂くらいは訊いたことはあるはずです! 黒い剣をもつ化け物のことをッ!」


 必死な形相で迫るパドゥイン少佐に、思わずのけぞるブルーム。化け物と呼ばれる少女のことは、ブルームの耳にも届いている。だが、端からその話を信じていなかった。少女がザームエル大尉を屠ったなどと、天地がひっくり返ってもあり得ないと思っていたからだ。


「馬鹿馬鹿しい。化け物だがなんだか知らんが、いくらでも殺りようはあるだろう。それこそ遠距離から矢を一斉に放てばそれで済む話ではないか」


 屋外と違い屋内では逃げ道など限られている。退路を塞いで隙間なく矢を放てばそれで問題は片付くはずだ。そんな当たり前の考えから出た言葉であったが、パドゥインはまるで小馬鹿にしたように嘲り笑う。


「そんなことは言われなくとも、とっくに試しましたよ。ですが矢を放とうとした途端、いきなり目の前に現れて、味方の首を同時に跳ね飛ばしたのです。あれを化物と言わず、なんと言うんですかッ!」


 歯をむき出しながら机を叩きつけるパドゥインに、ブルームは呆れながら答える。


「お前はそんな与太話を俺に信じろと言うのか? それではおとぎ話の世界ではないか」

「信じる信じないはブルーム大佐の勝手です。状況は確かに伝えました。とにかく、私はこれ以上指揮を執るのはごめんです」


 言ってパドゥインは足早に去ろうとする。当然ブルームとしては、勝手な部下の行動を許すわけにはいかない。


「貴様、この状況で任務を放棄すると言うのか? それが今後でどういう結果につながるか、少佐ほどの男がわからんはずあるまい」

「はは、命令無視で極刑ですか? 別に構いませんよ。どの道、生きてここを出られるとは思っていませんから」


 最後に歪な表情を浮かべたパドゥインは、ブツブツと呟きながら部屋を出て行った。


「……ランチェスター。奴の処分は後で下すとして、今の話を訊いてどう思う?」


 ブルームの隣で黙って話を訊いていたランチェスターは、おもむろに口を開く。


「判断が難しいですが、ほぼ事実に即していると考えて行動したほうがよろしいかもしれません」

「本気で言っているのか?」


 意外な言葉を受けて、ブルームはランチェスターを凝視した。ランチェスターもまた、この手の話は一顧だにしない人間だとブルームは認識している。それだけに、今の発言は信じられない思いがあった。


「ええ、自然災害と同じように、人間では抗しきれない者が存在するのでしょう。たとえば魔法士などがいい例です」

「なっ!? 魔法士と同じ存在だと言いたいのか? ……そんな馬鹿な……それが事実ならどう対処すればいいのだ?」

「そうですね……少々お待ちください」


 そう言うと、ランチェスターは隣室に移動する。程なくして戻ってくると、机の上に弓矢のような道具を置いた。


「──これは?」

「帝国軍の技術開発部がサンプルとして送ってきたものです。バリスタの携行型と言えばわかりやすいでしょうか? スピード、殺傷力共に、弓兵の放つ矢とは比べものにならないそうです」


 ランチェスターの説明を受け、ブルームは手に取る。確かに形状はバリスタとよく似ているが、動力が従来の縄ではなく金属製のバネを使っているらしい。見た目ほど重さもなく、使い勝手は悪くなさそうだ。


「これを使って化け物を殺せと?」

「そう言うことです。ただでさえ王国軍が攻め寄せているのです。これ以上問題を深刻化させると、内部崩壊を起こしかねません」

「確かに時間はあまり残されて──ん?」


 外の廊下から慌ただしい足音が近づいてくるのを捉える。足音は扉の前で止まると、息を弾ませた兵士によって乱暴に開かれた。


「ノックもせず何事だッ!」


 ランチェスターが一喝する。


「申し訳ございません。ですが、火急にお知らせしたいことが」

「構わない。話せ」

「はっ! 王国軍が正門を抜け、怒涛の勢いで進撃してきます!」

「なんだとッ!」


 ブルームは思わず椅子から立ち上がってしまった。ランチェスターに視線を向けると、驚愕の表情を浮かべて固まっている。

 

「いったいどういうことだ! 王国軍が攻城兵器を持ち出したのか? そんな話は訊いていないぞッ!」


 いくら古いとは言っても、そこは砦である。攻城兵器でも持ち出さない限り、簡単に門を破壊することなどできるはずがない。だが、続く兵士の言葉は、ブルームをして全く予想外のものだった。


「攻城兵器ではありません。突然現れた王国兵によって閂が外され、門が開け放たれたのです!」


 ブルームは絶句した。そして、理解した。化け物の少女は単なる陽動に過ぎず、真の狙いは門の開放にあったのだと。しかし、当然のように疑問が生じる。そもそも化け物の少女も、門を開け放った王国軍の連中もどこから侵入したのか全くわからない。

 だが、わからないなりに、諜報部隊の〝陽炎〟であれば、侵入できるかもしれないと思った。ただ、それもごく少数だったらという限定的な話だ。


 話を訊く限り、決して少なくない人数が入り込んだのは間違いない。だが、易々と侵入を許すほど、カスパー砦の監視は甘くない。

 次々と起こる予期せぬ事態に、ブルームは思わず頭を抱えた。


「大佐、我々はまだ負けたわけではありません。兵数においてはこちらが圧倒的に勝っているのです。私も指揮をかねて迎撃に出ます」


 そう言うランチェスターの顔は、悲壮感に満ちている。カスパー砦守備軍の総指揮官として口には出さないが、ランチェスターの心情を痛いほどわかっていた。砦内は恐ろしい化け物が闊歩し、正門はあっさりと破られた。

 戦において一番重要な士気は、今や無きに等しいだろう。最早兵数でカバーできる時期はとっくに過ぎ去っているのだから。




 正門が開かれたことで作戦の成功を悟ったクラウディアは、すぐさま突撃の命令を下していた。第一、第二、第三中隊を砦内に突入させ、各要所を制圧していく。どうやら砦内でかなりの混乱があったらしく、帝国兵は大した抵抗も見せず次々と降伏していった。

 そして、不思議なことに捕虜になった彼らは、一様に安堵した表情を浮かべていた。その中には涙を流して喜ぶシスル少尉の姿もあったという。


「どうやらアシュトンの策が見事に功を奏したな」


 やや拍子抜けした表情で呟くクラウディアに、アシュトンは苦笑まじりに答える。


「うーん、そうとも言えないのではないでしょうか? どうも兵士たちの様子を見る限り、オリビアがをした結果だと思いますけど」


 いくら門が開放されたからといっても、兵数は帝国軍が圧倒的に勝っている。こうも簡単に降伏するはずがない。おそらく兵士の士気を根こそぎ刈り取るだけのなにかが砦内であったはず。

 大体の察しがついていたアシュトンであったが、それを口にするのは何となく憚れた。クラウディアもとくに訊き返すこともなく、兜を外しながら呟く。


「まぁ、そうだな。きっとオリビア少尉がをしたのだろう」


 二人は同時にカスパー砦を見上げた。 





「……お前が噂の化け物か?」


 パドゥインの首を掴んでいる全身血まみれの少女に向かって、ブルームは椅子に座ったまま問いかける。


「化け物じゃないよ。私はオリビア。あなたが指揮官のブルームさんでしょう? この人間が親切に教えてくれたから」


 オリビアはそう言って、無造作にパドゥインの首を放り投げた。首は狙ったかのように執務机の上を転がる。本人の宣言通り、化け物の手によってめでたく殺されたというわけだ。


「ふん。たったひとりで砦を混乱に陥れたお前が、化け物でなくなんだと言うのだ?」


 言ってブルームは苦笑する。パドゥインと同じ言葉を吐いていることに気づいたからだ。


「まぁ、ブルームさんは私の敵だから、なんて呼ばれても構わないけど。それよりどうする? 砦はクラウディアたちが制圧したみたいだから、勝ち目はないと思うけど?」

「そうだな。確かに我々の完敗だ。だがな──」


 机の下に隠していた携行型バリスタを瞬時にオリビアに向け、ブルームは引き金を引いた。


「くくくっ……やっぱりお前は化物だよ」


 ブルームが目にしたもの。それはオリビアの手に握られた一本の矢。オリビアは矢をへし折って放り投げると、バリスタを興味深そうに見つめている。


「へえぇ。弓よりも全然早く飛ぶんだ。ちょっとビックリしたよ。ね、それ貰ってもいい?」

「もう私には必要のないものだ。好きにしろ」


 ブルームはオリビアに向けて放り投げる。と同時に剣を抜き放ち、一足飛びに斬りかかった。


「……ま、まぁ、当然こうなるわな……」


 血の滴がポタポタと床に流れ落ちていく。


「これ、どうもありがとう。大事にするね」


 ブルームの胸に深々と漆黒の剣を突き立てながら、オリビアは笑顔で礼を言ってくる。その半分の言葉もブルームの耳には届いていなかった。


「えへへ。懐中時計に続いて、こんな面白そうなものを貰っちゃった。早速アシュトンとクラウディアに見せてあげないと」


 オリビアはバリスタを大事に抱えると、足取りも軽やかに部屋を後にした。

 

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