第二十九幕 ~奇襲~

 降りしきる雨の中、ゲオルグは口の端を吊り上げながら果敢に切り込んでいく。


「閣下、少しスピードを落としてくださいッ! なにやら敵の動きが妙です!」


 併走するサイラスが声を張り上げる。ゲオルグは眼前に迫る槍を弾き返しながら、槍兵の頭をランスで叩き潰す。こびりついた脳漿を払いながら馬を止め、サイラスをねめつけた。


「動きが妙とはどういうことだ? 簡潔に述べよ」

「先程から敵の攻撃がどうにも大人しすぎます。会戦初日と比べてもその差は歴然。おそらくなんらかの罠が仕掛けられているのではないかと」


 罠を疑うサイラスの言葉に、ゲオルグは鼻を鳴らす。


「ふん。それがどうしたというのだ?」

「は? いえ、ですから罠が……」

「罠があれば食い破る。ただそれだけのことではないか。それとも栄光ある我が鉄鋼騎突兵たちが、軟弱な王国軍の罠ごときに後れを取るとでも?」


 そう言いながら、ゲオルグは血濡れたランスの先端をサイラスの頬に当てる。サイラスは顔を引き攣らせながら、慌てて口を開く。


「い、いえ。決してそのようなことはッ!」

「そうだろう? なら余計な口は閉ざし、本陣を落とすことだけを考えよ。以後は私の許しがない限り、進言を控えろッ!」


 サイラスの返事を待つことなく、ゲオルグは馬の腹を蹴り敵中央部へと駆けていく。今はくだらない世迷言に付き合っている暇はない。栄光の瞬間はすぐそばまで迫っているのだから。




 鉄鋼騎突兵が猛然と中央部に迫りくる中、ナインハルトは遠眼鏡を腰に戻す。


「どうやら閣下の言う通りになりましたな」

「そうだろ? 悲しいことに目の前にエサをぶら下げられたら、それを喰らわずにはいられない。獣の悲しい性だ」


 どこか寂しげに答える姿がおかしく、ついナインハルトは吹き出してしまう。


「うん? なにかおかしなことでも言ったか?」


 不思議そうな表情でランベルトが見つめてくる。おかしいことだらけなどと言えるはずもなく、ナインハルトは首を横に振る。


「いえ、なんでもありません。それより、敵はこちらの誘いに乗ってくれたようです。そろそろ頃合いかと思いますが、仕掛けてもよろしいですか?」

「進路上の味方は退避済みか?」

「はい。問題ありません」

「結構──では始めよ」


 ランベルトの言葉に従い、ナインハルトは長弓を抱える兵士に向けて手を挙げる。第一軍の中でも手練れの長弓兵だ。彼は火のついた矢を弓につがえ十分に引き絞ると、一気に解き放つ。

 放たれた矢は綺麗な放物線を描きながら、鉄鋼騎突兵の進路上に深々と突き刺さった。と同時に、地面から勢いよく炎が燃え上がる。

 

 ──火計。


 ナインハルトは、予め誘導箇所に油をたっぷりと染み込ませた藁を敷き詰めさせていた。そうとは知らない鉄鋼騎突兵は、瞬く間に炎に飲み込まれていく。次第に肉の焼ける臭いが辺り一面に広がり、中央は地獄絵図と化していた。




 一方その頃。

 オリビアとクラウディアの二人は、アシュトンが差し入れてくれた自家製マスタード入りパンを頬張っていた。クラウディアは何度も頷きながら、感心したようにパンを見つめている。オリビアも相変わらずの美味しさに足をばたつかせていると、高台に配置した監視兵が天幕の中に飛び込んできた。


「報告します! 中央にて炎が燃え上がるのを確認! 味方の罠が発動した模様です!」 

「わかった。みんなにも知らせてあげて。すぐに出発するから」

「はっ、直ちに!」


 監視兵が足早に退出していく中、クラウディアが驚いた様子で口を開く。


「オリビア少尉の言った通りになりましたね。それにしてもこの雨の中で火攻めとは……」

「結構大胆だよね。一体誰が考えたんだろう? おかげでこっちの奇襲がやり易くなったよ。今頃敵の本陣は中央に釘付けだろうからね」


 オリビアは残りのパンを口の中に放り込むと、大きく伸びをしながら天幕の外へと向かった。外は変わらず雨が降り続いている。これならいくら血飛沫が舞っても、雨が綺麗に洗い流してくれそうだ。

 そう思いながら薄い笑みを浮かべていると、数人の兵士と目が合った。すると、彼らは怯えたように視線を逸らす。なにを怖がっているのかと首を傾げていると、後ろから「置いて行かないでください!」とクラウディアの声が聞こえてきた。





 ──帝国軍 本陣


 パリスは溜息を吐きながら遠眼鏡を下ろすと、オスヴァンヌに向けて声をかけてきた。

 

「閣下、鉄鋼騎突兵が敵の火攻めを受け、大分混乱しているようです」

「何!? この雨の中で火攻めだと!」

「おそらく地面に大量の油を染み込ませた藁でも敷き詰めていたのでしょう。そこにまんまと誘い込まれたようです」


 予期せぬパリスの言葉に、オスヴァンヌは思わず呻いてしまった。ゲオルグが敵の火矢に苦慮しているという話は訊いていた。だからこそ雨が降っている今が勝機だと思ったのだろう。

 やや強引な突貫ではあったが、オスヴァンヌはあえて好きにやらせた。


「しかし、ゲオルグほどの男が敵の罠に気づかないとは……」

「いえ……おそらくですが、ゲオルグ中将は罠と知っていて飛び込んだのではないかと」

「なんだとッ!? なぜ罠と知って飛び込む?」


 罠とわかっていて飛び込むほどゲオルグは馬鹿ではない。頭を悩ますオスヴァンヌに対し、パリスはため息交じりに口を開く。


「王国軍の仕掛ける罠など、問題にならないくらいに思っていたのではないでしょうか?」


 あり得る、とオスヴァンヌは思ってしまった。ゲオルグは自ら率いる鉄鋼騎突兵団に絶対の自信を持っている。事実武力は折り紙つきなだけに、そのような考えに至ってもおかしくはない。


「……ここは一旦後退させるか」

「そうですね。しかし、あの混乱状態を見る限り、どこまで命令が伝わるか──」


 そこに、顔を真っ青にした兵士が転がり込んでくる。


「いったい何事だ?」

「は、は、背後より敵出現ッ! 本陣に向けて猛然と迫って来ていますッ!」





 時は僅かに遡る。


「オリビア少尉、どうやら敵はこちらに気づいたようです」


 颯爽と馬を駆けながら、クラウディアが口を開く。視線の先──本陣の後衛部隊が慌てたように動き出す。


「そうみたいだね。でも、もう遅いけど」


 オリビアは笑みを浮かべながら腰の剣を抜き放つ。一気に馬を加速させると、すれ違いざまに敵の首を刎ね飛ばした。さらにあぶみを巧みに操りながら、帝国兵士を次々と斬殺していく。次第に漆黒の剣から黒い靄がたゆってくる。


 初めてオリビアの戦闘を目の当たりにした別働隊の面々は、その圧倒的武力と凄惨さに息を飲んだ。それはクラウディアも同様だった。報告書を読んで理解していたが、実際目にすると衝撃度がまるで違う。凄まじいまでの力量に、知らず鼓動が早くなる。


 だが、興奮してばかりもいられない。クラウディアは迫りくる敵兵を薙ぎ払いながら、素早くオリビアに近づき口を開いた。


「オリビア少尉! いきなり単機で突っ込まないでください!」

「あはは、ごめんね。なんか隙だらけだったからさ」


 オリビアが舌をペロッと出していると、ひとりの騎兵が馬を寄せてくる。


「オリビア隊長、新たな敵部隊が接近してきます!」


 騎兵が指さす方向。こちらの側面を突くべく、二千ほどの歩兵隊が迫ってくる。それを見たクラウディアは、瞬時に決断を下す。


「オリビア少尉は急ぎ敵本陣に向かってください! 私は奴らの足止めをします!」

「大丈夫?」

「お任せを。後ほど敵本陣で会いましょう。──第三、第四中隊は私に続けッ!」

「「「応ッ!!!」」



 クラウディア率いる千の騎兵隊が、敵歩兵隊に突貫を開始する。それを見送ったオリビアは、全く緊張感のない声で残った別働隊に告げる。


「それじゃあクラウディアに負けないよう、私たちも敵本陣に向かおうか──あ、その前にここの敵はさっさとぶっ殺さないとね」


 オリビアの鼓舞とも言えない言葉に、騎兵たちは気炎を上げる。再びオリビアが剣を振るい始めると、まるで粉雪のように血飛沫が空に舞う。その様子を見ていたひとりの帝国兵士が、ガタガタと震えながら呟いた。


「おい、あれって前に気が狂った兵士たちが言っていた化け物の女じゃないのか? 黒い剣を持っているし」


 その言葉を合図に、兵士たちの間に動揺が広がっていく。やがて動揺は恐怖へと変質し全体に波及していく中、後衛を指揮するブランド少佐が一括する。


「狼狽えるなッ! たかがひとりの少女に帝国兵士が怯えてどうする! この俺が見事討ち取ってやる!」


 ブランドは頭上で槍を回転させながらオリビアに近づくと、顔面目がけ殴りつける。だが、あっさりと弾き返さられたときには、内臓を垂れ流した下半身のみが馬に跨っていた。


「ひいぃいぃいぃいいっっ! やっぱり化け物だあぁあぁああっっ!!」


 帝国兵士は堰を切ったように逃走を始める。その絶好の機会を逃すはずもなく、騎兵隊は切り殺し、突き殺し、踏み潰していく。そんな彼らの様子をジッと見つめるオリビア。だが、すぐに視線を外し、十字剣の紋章旗がはためく本陣に目を向けると、誰に言うともなく呟く。


「本当に人間は好戦的で残虐な生き物だね、ゼット」

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