第二十四幕 ~別働隊~

 ──アーク大森林


 パウル、ランベルト率いる混成軍が、ガリア要塞を進発する一週間前。

 ランブルク砦では帝国軍に察知されないよう、小隊規模の兵士が続々と送りこまれていた。結果、五千の兵士を駐留させることに成功。

 別働隊の連隊長に任じられたオリビアは、砦から三千の騎兵連隊を率い、アーク大森林に向けて秘かに進発した。


 現在オリビアは、黒毛の馬にまたがり悠然とアーク大森林を進んでいる。隣で馬を並べるのは、副官のクラウディア。彼女は持ち前の生真面目さを発揮し、油断なく周囲を警戒していた。


「クラウディア。そんなに怖い顔をして警戒しなくても大丈夫だって。折角の美人が台無しだよ?」


 オリビアは笑いながら背中を叩いてくる。


「無礼を承知で言いますが、オリビア少尉に美人と言われても嫌味にしか聞こえません」

「え? 何でそんなこと言うの? 私、嫌味なんて言ってないよ?」


 小さく首を傾げるオリビアに、クラウディアは大きな溜息を吐く。素で言っているだけにたちが悪い。


「少しはご自分の姿を鏡でご覧になってください。それよりも今回我々に課せられた任務は、戦局を大きく左右するものです。帝国軍の背後を取るまでは、油断などできません」


 今回の作戦は奇襲を前提として成り立っている。まずアーク大森林を抜け、イリス平原に展開する帝国軍の後背に忍び寄る。その後、正面衝突をしている本隊と呼吸を合わせ、帝国軍の本陣を急襲。一気に瓦解させるという大胆な作戦である。


 オリビアの役割は、すみやかに敵総司令官を討ち取ること。そして、クラウディアの役割は、その舞台にオリビアを導くことだ。しかも、一番重要な奇襲のタイミングはこちらに一任されている。


 クラウディアは、責任の重さをひしひしと感じながらオリビアを見る。気負った様子など微塵も感じさせないその姿は、隊長としては正しい。兵士に余計な不安感を与えないからだ。その分副官である自分が気を張っている。何事もバランスが大事だ。

   

「それにしても、オリビア少尉は随分と馬を乗りこなすのが上手いですね。とくにその黒馬は気性が荒く、中々人に懐かないことで知られているんですが」


 黒馬は実に大人しくオリビアを乗せている。時折甘えるかのようにいななくその姿は、本当に黒馬かと疑いたくなるほどだ。

 オリビアは黒馬のたてがみを優しく撫でながら口を開く。


「へーそうなんだ。でも、馬は全然大人しいと思うよ。子供の頃一角獣の背中に乗ったときは、かなり暴れられたから」

「──は? ……一角獣とは《危険害獣二種》に指定されているあの一角獣のことを言っているのですか?」

「その危険害獣二種っていうのはよくわからないけど、額に白い角を生やしている獣だよ。後、お肉があんまり美味しくない」


 オリビアは真面目な顔で言う。クラウディアは突然の告白に声も出ない。どこの世界に一角獣の背中に乗る子供がいるというのか。もちろん、大人だって絶対にあり得ない。その前に一角獣の胃袋に収まっているだろう。


(もしかして、オリビア少尉は私のことをからかっているのか?)


 そう思いオリビアの瞳をジッと見つめた。だが、偽りを言っているような〝色〟は見えない。驚愕するクラウディアを横目に、オリビアは黒馬の首筋を軽く叩く。そして、あろうことか器用に馬の上に立ち上がった。


「ね、全然大人しいでしょう?」

「な、何をやっているんですか!?」


 慌てて止めさせようと手を伸ばすが、まるで主人の邪魔をするなとばかりに馬が横に逸れる。それをいいことに、空中で回転すると鞍に手をつき逆立ちを始めた。そのたびに周りの兵士たちから「おおっ!」と、感嘆の声が上がる。


「見事な身体能力ですが、その辺でおやめください。今は大事な作戦行動中です。それと、三千の兵を率いるとしての自覚をもっとお持ちください」


 クラウディアが冷たい声色で窘めると、「はーい。えへへ。怒られちゃった」と言い、ペロッと舌を出すオリビア。その姿に「これだから隊長は」と、笑い合う兵士たち。その光景に、クラウディアもすっかり毒気を抜かれてしまった。

 どうやら何人かの兵士は、オリビアのことを知っているようだ。


「お前たちは、オリビア少尉のことを知っているのか?」

「はっ、自分たちはオリビア隊長と共に、ランブルク砦の奪還作戦に参加していました!」


 黒髪の青年が嬉しそうに返事をする。


「ほう、そうだったのか」

「はい。でも俺たちは震えているだけで何もできませんでした……ですが、隊長に鍛えて頂いて強くなりました。今度はお役に立てると思います」


 青年が胸を張りながら答えると、彼の同僚たちも大きく頷く。その顔は大きな自信に溢れていた。


(実に甘いな。強くなるとはそんなに簡単なことではない。長い年月と、果てのない努力が必要だということを彼らはまだ知らない)


 クラウディア自身も、血の滲むような努力の果てに今の剣技を身に着けた。それだけに、短期間で強くなれるほど武の道は甘くないことを知っている。そう思いつつも、彼らの決意に水を差すことはしない。戦いの前に余計なことを言っても、士気を下げるだけで何の益もないとわかっているから。

   

「うーん。言うほど強くなっていないから。というか、みんな弱いから死なないよう気をつけてね」


 オリビアはそんな彼らの決意に思い切り水をぶちまける。クラウディアは思わず額に手を当てた。これで士気が下がった──と思いきや、兵士たちは苦笑しながらも落ち込む様子は見られない。

 まるで慣れていると言わんばかりに平然としている。


 さらにオリビアの言葉は続く。


「あ、とくにアシュトンは全然ダメだから。油断するとすぐに死んじゃうよ」

「──ッ!? な、何だよ! 俺だって一生懸命頑張っただろッ!」


 アシュトンは心外だとばかりに反論する。その反応に対し、オリビアはケラケラと笑っている。クラウディアは、思わずアシュトンを凝視した。

 たびたびオリビアの口から出てくる謎の人物が、まさか新兵だとは思いもよらなかったからだ。


「仕方がないよ。人間には向き不向きがあるから。どっちかというと、アシュトンは軍師に向いていると思うな。ほら、砦で遊んだ軍人将棋は中々筋が良かったから」

「そ、そうなのか? 僕って軍師向きなのか?」


 アシュトンが嬉しそうに尋ねると、オリビアは「でも、私に一回も勝てなかったけどね」と言い、またケラケラと笑う。

 そんな二人のやりとりを見て、兵士たちは穏やかな笑みを浮かべる。上げて落とされたアシュトンは、何とも言えない微妙な表情をしていた。


「もしかして、ランブルク砦を守備していたときの話ですか?」

「そうだよ。みんなに訓練して欲しいってお願いされてね。でもすぐに砦を追い出されたから、大したことは教えていないけど」


 オリビアの言葉を訊いて、果たしてそうだろうかとクラウディアは訝しんだ。先程から見るに、兵士たちの足取りはしっかりしたものだ。そして、会話をしながらも視線は常に動いている。周囲の警戒を怠っていない証拠だ。

 それでもクラウディアから見れば児戯に等しいが、少なくとも新兵らしからぬ動きであることは間違いない。


(確かランブルク砦の奪還に参加したのは、戦の経験もない素人同然の新兵だったと訊いている。少尉は指導者としても卓越したものを持っているということか。本当に一体何者なのだろうか?)


 クラウディアが内心で舌を巻いていると「今度任務を果たしたら、パウル中将どんなご褒美をくれるかなー」と、横から楽しそうな声が聞こえてきた。

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