第四幕 ~少女は血飛沫に舞う~

「「「──へ?」」」


 数人の兵士から間の抜けた声が聞こえてきた。そして、彼らの視線がゆっくりクリフへと向かう。

 クリフは不思議な物でも見るように地面に転がる右腕を眺めていたが、すぐに表情がぐにゃりと歪む。


「ひっ、ひぎゃあぁあぁあぁああっっ!!」


 血飛沫がクリフを中心に広がり、絶叫の声が街道中に響き渡る。ザームエルが少女に視線を移すと、漆黒に輝く剣が握られていた。

 しかも、剣の切っ先から真っ赤な血が流れ落ちている。誰がこの異様な事態を引き起こしたのかは明らかだ。


「痛いぃいぃい。痛いよおぉおぉお」


 涙と鼻水でぐしょぐしょに顔を濡らすクリフ。噴出する血を残る左腕で押さえつけながら、少しでも少女から遠ざかろうと必死に逃げだすが──


「よいしょっと」


 少女は剣を弄びながら水平に構えると、鼻歌でも歌いだすかのような気軽さで投げつけた。剣は強弓から放たれた矢のごとくクリフの鎧を無慈悲に貫き、黒刃の切っ先が胸から突き出ていた。そこから黒い靄のようなものがゆらゆらと立ち昇っている。


「カハッ! ……カヵ……」


 クリフは小刻みな痙攣を数度繰り返した後、糸が切れた人形のように地面に崩れ落ちた。カナリア街道に静寂が満ちる中、少女の陽気な声が響き渡る。


「だから邪魔しないでって言ったのに。本当、人間って好戦的な生き物だよね。それとも、私の言葉が上手く伝わってない? 人間の言葉って結構複雑だからなー」


 少女は意味不明な言葉を吐くと、物言わぬむくろと化したクリフの頭を踏みつけながら剣を引き抜く。そして、おもむろに剣に付着した血のりを振り払うと、槍を構えていた兵士に目を向けた。


「おあ゛あ゛あ゛っ!!」


 目を向けられた兵士は、奇声を上げながら少女に向けて槍を突きだした。ほかの兵士たちも、気でも狂ったかのように剣や槍を振り回し始める。

 対して少女は慌てる様子もなく、最小限の動きでもって攻撃をかわしていく。そのたびにスカートがフアリと舞う。

 その姿は優雅にダンスを踊っているかのようだ。


 ザームエルは内心舌を巻いた。熟練の兵士であってもこれほど無駄のない、且つ洗練された動きは不可能だろう。

 兵士たちが少女に手傷を負わす可能性は限りなくゼロに近い。ザームエルは己の警戒レベルを最大限に引き上げる。

 目の前の少女が何者かはわからない。が、最早単なる村娘だとは微塵にも思っていなかった。


「うーん。そろそろ私の番でいいよね?」


 疲弊により兵士たちの動きが鈍くなると、少女は返礼とばかりに首を刎ね飛ばし、顔面を砕き、四肢を斬り飛ばし、心臓を貫いていく。そのたびに悲鳴が轟き、血と肉片が飛び散っていく。強者のみに許された一方的な蹂躙劇。

 辺りはあっという間に血の海と化し、無残な屍が累々と横たわっていた。風に乗って濃厚な血臭が、ザームエルの鼻をかすめていく。


 戦いに加わらなかった数人の兵士は、武器を次々に手放す。少女に恐れ戦きながら、一歩、また一歩と後ろに下がる。誰も彼もが目を大きく見開き、恐怖に顔を引きつらせていた。まるで死神でも見たかのような顔つきだ。

 最早戦う意思など微塵にも感じられない。全身を真紅に染め上げた少女は、そんな兵士たちに向けてにっこりと──まるで太陽のような明るさで微笑んだ。


「ひ、ひいいっ! 化け物だ! 化け物が現れたああああっ!!」

「じょ、冗談じゃねえ! こんなところで死んでたまるかッ!!」

「か、母さん。た、助けてえぇえぇ!!」


 口々に悲痛な叫び声を上げながら、兵士たちは我先へと逃げ出し始めた。芋虫の様に這いずり回りながら逃げる者。歯を砕かんばかりにカチカチと音を鳴らしながら逃げる者。奇妙な笑い声を上げながら逃げる者など実に様々だ。

 栄えある帝国兵としてはあるまじき姿。だが、彼らを攻めるつもりは毛頭ない。目の前の惨状を見て、逃げるなと言うほうが無理な話だ。少女は逃げる兵士たちを追う気はないらしく、黙ってその様子を見つめている。おそらく武器を向けなかったため、見逃されたのだろう。

 

「ええと。大尉さん、だっけ? あなたも逃げていいよ。別に私の邪魔をしなければ、殺す理由もないから」


 ふと思い出しかのようにザームエルに向き直ると、逃げろとのたまう少女。血に濡れて蠱惑的な唇を微妙にほころばせながら。


「……貴様が只者じゃないのは理解した。それを踏まえてひとつ質問をしてもいいか?」

「うん別にいいよ」

「その剣技や体術はどうやって習得した? 若い、しかも女が簡単に習得できるような代物じゃない」

「えー、そんなこと言われても困るよー。ただ、ゼットに教わっただけだよ」

「……ゼット?」

「そう、ゼット。どこにいるか知らない?」


 少女は屈託のない笑顔で訊いてくる。その少しあどけなさの残る表情は、ついさっきまで兵士たちを蹂躙していた少女だとはとても思えない。

 ──全身を返り血で染めていなければの話だが。


「──悪いがそいつに心当たりはないなぁ」

「ほんとに?」

「ああ、本当だ。ある程度名が通っているやつなら、俺の耳に入らないわけがねぇんだが」

「ふーん。あ、それよりも逃げないの? 別に追いかけたりしないから大丈夫だよ」


 そんなことを言われて逃げるほど、素直な性格はしていない。シッシッと手を払う少女に対し、ザームエルは首を横に振ることで回答とする。


「え? 逃げないの?」

「くくくっ。そもそも何で俺が逃げなきゃならない? 俺も多少腕には自信があるんだ」

「──そうなの? でも、そんなに強そうに見えないね」


 一瞬の沈黙後、辛辣な言葉を吐く少女に、ザームエルは獰猛に笑う。


「ははっ! そんな口を叩かれたのは生まれて初めてだな。戦をしていると極々まれに化け物と出会えるから楽しくてしょうがねぇ」

「化け物って私のこと? 私の名前はオリビアだよ」


 オリビアは偉そうに腰に手を当てながら言う。


「そうかい。一応名前は覚えておいてやるよ。なにせ初めて一般人の女に手をかけるからな──いや、化け物相手ならルールを破ったことにならないか? ……ならねぇな」


 ザームエルは自問自答すると、背中から大剣をゆっくりと引き抜いた。極限まで刀身が薄く伸ばされた、柔軟かつ強靭な諸刃の剣。今まで一度も折れることなく、数々の修羅場を潜り抜けてきた自慢の逸品だ。

 剣の切っ先にチロリと舌を這わせると、深く息を吸い込み水平に剣を構える。ザームエルの視線の先には、ニコニコと笑顔を浮かべるオリビアの姿。


 軽く腰を落とし静かに息を吐くと、オリビアに向かって突進を開始する。巨体とは思えない俊足に、重い体重を剣に乗せた必殺の突き。

 〝暴突〟と畏怖されたこの突きで、ザームエルは多くの名だたる兵士を屠ってきた。別に今回も変わらない。

 たとえ化け物だろうと、目の前の〝敵〟を屠るだけ。


(狙うはただ一点──心臓だ!)


 空気を切り裂くような切っ先が、寸分たがわずオリビアの心臓に伸びる。


「とったあああぁぁっ!!」


 ザームエルにとって、それは勝利を確信したがゆえの雄叫びだった。だが、すぐに予想していた光景と異なることに気づく。オリビアが心臓を貫かれ、血反吐を吐きながら崩れゆく光景──ではなく、自分の体を真下から見上げているなんとも奇妙な光景だった。

 すぐに意識が薄れゆく中「何をとったんだろう?」と、困惑した声を訊いた気がした。

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