バトル・オブ・ザ・キョートステーション
watercandy
第1話
1月下旬、22時頃、京都駅構内。
殺人的寒威に堪り兼ねて、友人と地下道に逃げ込んだ。真冬の夜の凍てつく外気は、うすぼんやりと命の危険まで感じさせていけない。悴(かじか)む手をスキニーのクソ狭いポケットに無理矢理捻じ込み、体温で指先を解凍する。地下道の中は、体感温度が外気と10℃は違う。人足の多さから来る熱量も手伝って、冬の屯には丁度良い。蛍光灯の白が眩しいJR線改札口を目の前に、1時間も2時間も立ちっぱなしで馬鹿話に花を咲かせるのが、氏との恒例行事である。この日も御多分に洩れず、デジタルサイネージのためのディスプレイが取り付けられた大きな柱に寄っかかって、地面のタイルの模様で足遊びをしながら、くだらない掛け合いを延々と続けていた。
タイルの模様を一頻り遊び尽くした頃のことである。友人が、突如として口を噤んだ。さながら、iPhoneで快適に動画を観ている最中ショボいWi-Fiの電波が邪魔をして動画が読み込めなくなった時のように、唐突に氏の声が途切れた。タイルから氏の顔へと目線を遣ると、氏の両の瞳が大きく見開かれていた。私の背後の何かを、私の肩越しに凝視している。その呆けたような表情が、些か不気味に感じられたほどだ。文字通り一瞬で、氏が見ているものの正体を推測する。親しい友人の姿を数年振りに見かけたのか?幸か不幸か、氏の恋人の浮気現場でも目撃したのか?2mの体躯を持つ人身牛頭の怪物が、巨大な双頭斧を手に我々を見つめているのか?背後に何が待ち構えているのか。警戒と好奇とに駆られ、振り返った。
二十歳前後の細面の青年。黒いパーカーのフードを被って、スケッチブックを胸元に持っている。 何も喋らず、無表情。人形にように不思議な無機質さを漂わせながら、突っ立っている。スケッチブックには、太い黒字でこう書かれていた。
「ラップバトルしませんか?」
ところで、近頃若者を中心にラップ・ブームが巻き起こっている。「高校生ラップ選手権」、「フリースタイルダンジョン」といった、ラップバトルを題材としたテレビ番組が火付け役となり、ここ一年ほどで世間に大流行を巻き起こしていた。しかも、単に若者の間で流行っているというだけでなく、メディアにも取り上げられる機会は急増したようだ。有名企業とラッパーとのタイアップCMが急増し、週刊少年チャンピオンではラップを題材とした漫画が連載され始め、東京都の中学校では日本語ラップシーンの黎明期を牽引してきたプレイヤーがラップについての特別講義を行うようにまでなっていた。今までは一切見かけることもなかった学生ラッパー集団が各地の駅や広場で練習の集いを開いている光景も、頻繁に見かけるようになった。
青年がスケッチブックのページをぺらりと捲った。「勝てば賞金」という旨の文言が書かれている。「1人目に勝てば1円、2人目に勝てば500円、3人目に勝てば1万円」。意外にも、事態は呑み込めていた。なにせ既述の通りラップバトルが流行しており、私自身も、波に乗っかって番組を視聴していたからである。ラップバトルの作法、雰囲気、ルール、そういったものは理解している。そして、この勝ち抜きシステムが「フリースタイルダンジョン」のそれを踏襲しているということも。スケッチブックに釘付けになっていると、細面の青年が私に向かって突然フリースタイル・ラップを披露し始めた。「yo yo……ナンタラカンタラ……」。内容は一つも覚えていないが、それと同時に青年のお仲間が2人登場した。1人は上背があり厳めしく、もう1人は何となくオドオドした様子である。これで、スケッチブックの説明にあった3人が揃った。なるほど、彼ら3人がこれからラップバトルの相手になるというわけか。
お仲間が現れると、細面が普通の口調で喋り出した。流麗なフリースタイル・ラップとは打って変わって、初対面の人にきちんと敬語を使う年相応の良い子ちゃんである。細面はスケッチブックの内容を口頭で説明し始めたが、途中で私が「フリースタイルダンジョン形式かぁ」と口を挟むと、「番組を見ているのなら話が早い」となって、早速第1試合を始める運びになってしまった。初戦の相手は、オドオドしっぱなしの男である。アウェイなのはこちらであるにも関わらず、なぜ落ち着きも自信も無さげなのかと訝しんでいると、細面が「彼も初心なので、お手柔らかに……」と補足を入れてきた。なるほど、勝ち抜き戦の取っ掛かりとして最初は初心者同士、尋常な勝負をさせようという彼らの配慮か。
細面がスマートフォンを取り出し、「ビート」をかけ始めた。「8小節2本です。チャレンジャー、先攻後攻どちらを選びますか?」「後攻で」相手は名前すらも知らない、5分前に会ったばかりの赤の他人である。そもそもこのキョド男くんを攻撃する理由が無いので、キョド男くんの使ったワードからカウンター的に韻を踏み返すという、あくまでも技術的な部分を争点とした方向性の勝負に持っていこうと思い、後攻を選んだ。あと、素人が先攻でイキり散らして変な空気になるのは御免被りたかったというのもある。「OK、先攻○○後攻チャレンジャー、ナンタラカンタラ……」心の準備も終わらぬまま、先攻のキョド男くんが私に向かって何か言い始めた。直前までは緊張や不安、恥ずかしさが頭の大部分を占めていた。ところが、相手がこちらに向けて何か喋り始めた途端、いきなり目の前が真っ赤になり、目の前の男が憎むべき仇敵のように感じられた。
「は?負けたくねェ」
韻や、韻を探すんや。カウンター効果のデカい、まとまったやつを。公然猥褻。はい。クソメガネ。はい。あとは?……もう終わりや。これでいくぞ。なんじゃこいつ、調子乗んな。
………
結論から言うと、勝った。熱量半分、韻半分という勝ち方だったように思う。試合の流れを書き起こすと、キョド男くんが初っ端に「公然猥褻」という言葉を出してきたので、お誂え向きの四字熟語を逃す手はないと思い、まずこの一単語に集中した。「お前が勝つ可能性当然無いです」というまとまったフレーズを2秒くらいで捻り出すことに成功したため、これを自身のターンの最初の攻撃に持ってきた。続いて「クソメガネ」というメガネ・ユーザーなら誰に対しても使いまわせる中身ゼロのディスに対し、「こいつ俺に勝負挑むなんて相手を見る目がねぇ」という幼稚園レベルの脚韻で応戦し、第2撃とした。この時点で、審査員役の細面と強面がそこそこ湧いていた。その2発以後、カウンターに相応しい相手の有効打はもう尽きたように感じていたので、言うことが無くなってしまい、自ターン後半はキョド男くんに事実無根の罵声をめちゃくちゃに浴びせた。キョド男くん、ゴメンな。
私のターンが終わり、さあ2本目どう出るキョド男くんと身構えたのとほぼ同じタイミング。細面が彼と私との間合いに割って入り、タオルを投入する形になった。「はいそこまでぇー!」最初、私が尺を勘違いしていたのかと思ったが、細面が「えーと、ヤバいパンチライン入ったんでね汗」的なことを言っていたので、どうやらコールドゲームになったらしいということが分かった。それにしても、そんなに水をあけるような結果だっただろうか。え、キョド男くん、そんなに傷ついた?と急に心配になったが、バトル後も彼の表情は一応笑顔だった。そして、お互い面映ゆい気持ちのまま(彼が実際どうだったかは知らないが)最後は笑顔で互いの手を握り、健闘を称えあった。
「ここでやめたら賞金一円、負けたら没収です。チャレンジャー、第二試合やりますか?」「あ、一応やります」一円玉一枚貰ってもどうしようもないので、ダメもとで二戦目に進んだ。キョド男くんと立ち位置を交代したのは、自信満々な様子の細面である。「チャレンジャー、先攻後攻どちらを選びますか?」「後攻で」「OK、先行○○、後攻チャレンジャー、ナンタラカンタラ……」
………
余裕で負けた。何も言い返せず、そもそも勝負にならなかった。簡単に想像がつくと思うが、先攻の細面の大変お上手なフリースタイル・ラップに目いっぱい蹂躙し尽くされた初心者の私は、自ターンで一つのディスも返すことが出来ず、押黙って時が過ぎるのをひたすら待った。マジで一刻も早く家に帰りたかった。しかし一つだけ、一矢報いようと奮起した場面もある。それは、細面が「ストリート」「すごいーの?」「クソニート」という共通の韻を持つワードを連発してきた時だ。私は、これが「高校生ラップ選手権」の中で「SNOZZZ(スヌーズ)」というラッパーが使った言葉の組み合わせの丸パクリであると、聞いた瞬間にわかった。「おいなんじゃこのフェイク野郎は、初心者相手に恥ずかしないんけ」と頭にきて、「おいそれSNOZZZのパクりやんけ」と自ターンの初っ端に指摘したが、私が発することが出来たのはその一言だけ。バトルの結果に影響などしなかった。しかし、これは今思い出しても頭にくる。あの時、それを糸口に意地の悪いディスり方で細面のフェイク性を突いて風呂敷を広げていれば、或いは……。
いずれにせよ、2戦目は敗北に終わった。試合の後、細面と握手を交わし、最後にもう一度キョド男くんと握手を交わして、彼らとは別れた。信じられないほど脚が震えていたが、この地下道において、それは真冬の寒さとは無関係らしかった。
バトル・オブ・ザ・キョートステーション watercandy @ats713
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