第48話 東太平洋大海戦一二 落鶴

「面舵一杯!」

『翔鶴』艦長城島大佐は敵機の大半が向かってきたことを悟り、即座に回避の指令を出す。

 この艦の癖は、全て体が覚えている。先程は不覚を取ったが、二度目はない。そのような覚悟を胸の内に秘め、彼は前方より迫り来る敵機をきっと睨み付けた。操艦に集中する。大丈夫。躱せるはずだ。

「舵中央!戻せ!」

 城島大佐の言葉より、ややあって、『翔鶴』はピタリと敵艦に正面を向け、回頭を止めた。

 向かう機体は二〇機強。流石に前段躱すことは出来ないだろうが、これで被害を最小限に出来る。ここで、この艦を沈めるわけにはいかない。

 そんな彼の願いが天に通じたのか、『翔鶴』はスルスルと、魚雷の網の中をすり抜けている。これはいけるかも知れない。誰もがそう思ったときであった。

「右舷より敵機!」

「何!」

 見るとそこには四機のP38。しかもその銃口は過たず『翔鶴』の艦橋に向かっている。

「伏せろ!!」

 誰かが叫んだその直後、P38の機首が光り、機銃弾が『翔鶴』艦橋へ、殺到した。

 カンカンカンカン、と甲高い音を発しながら、機銃弾が艦橋のあらゆる所へ突き刺さる。床に這いつくばった城島大佐には、曳光弾の軌跡がはっきりと見えていた。

「行ったか……」

 城島大佐が立ち上がったとき、辺りには血と硝煙の匂いが充満していた。

「司令、大丈夫ですか?」

 五航艦司令原少将は、城島大佐に助け起こされながら

「うむ。私は大丈夫だ。君は操艦に戻り給え……被害状況の確認はこちらでしておく」と気丈にも言ったのである。

「はっ。操艦に戻ります」

 城島大尉は敬礼をし、伝声管に声を掛けた。

「副長、生きてるな。早速で悪いが、防空指揮所の被害を調べ、補充要員が必要な場合には向かわせて欲しい。あそこは、『翔鶴』の目だ。あとのことは原少将に従うように」

 しかし、その時にはもう遅かった。

 P38の艦橋銃撃によって生じた艦橋の指揮系統の空白は、まさしく致命的であった。

「左舷より敵機!魚雷放ちました」

「取舵一杯!間に合うか!」

 P38の銃撃を浴びている、一瞬の間に忍び寄っていたのだろう。連携が取れていたとは思えないが、正しく神業であった。

『翔鶴』は衝撃に見舞われた。回頭が間に合わなかったのである。

「っ……!」

 しかし、まだ一本だけで有る。正しく処置をすれば、沈むはずはない。しかし、災厄は終わっていなかった。

 四機のB26が『翔鶴』の後方より忍び寄り、雷撃を放った。この時、『翔鶴』は未だP38の襲撃から立ち直れておらず、満足な対空見張りは望むべくもなかった。そのことによって生じた隙を、突かれた。その機体に気がついたときには、全てが遅かった。

「各員衝撃に備えよ!」

 城島大佐は、そう言うより他になかった。頼みは運だけであった。

 そして………………かつて無いほどの衝撃が、『翔鶴』を襲った。


「被害は『翔鶴』だけか……」

「敵機の殆どが『翔鶴』に向かいました。三〇に相当する陸攻に集中的に狙われては、『翔鶴』も為す術がなかったものかと」

 無念そうに言う南雲中将に、草鹿少将はそう言った。

「『翔鶴』は沈みました。それは結果です。問題は、これからどうするかだ」

 源田中佐は、強引に話を変える。しかし、内容は確かであった。確かに問題は、これからどうするかである。彼は続けて言う。

「敵空母は未だ健在で有り、敵基地も同様です。我々はこのままでは、二つの相手と同時に戦うことになります」

「二次攻撃隊に再武装させ、敵空母を攻撃する。敵空母を倒せば、あとは一つだ」

 草鹿少将はそう応える。

「確かに、そうです。しかし、我々が次の矢を放つ間に、敵基地はまた新たな攻撃隊の発信を行う。そうなれば、今度は何隻失われるか……我々は敵基地の正確な場所さえ分からないのですよ」

 源田中佐はこの敵の攻撃を、秘密基地によるものだと考えていた。既に知られている基地を、囮にして秘密基地に航空機を集めておく。そして、こちらの隙を突き、攻撃する。

 しかし、草鹿少将はこう言い放った。

「敵基地の場所は問題ではない」

「何ですって?それはどういうことです?」

「この作戦の第一目標は何だ?」

 源田中佐はその言葉にはっとさせられた。第一目標。それは空母ではないか。

「……そうか、そういうことか」

「分かったか」

「ええ、しかし防御はどうするのですか?」

「二次攻撃隊の帰還を待ち、その中の零戦隊を直掩隊に加える」

 それは草鹿少将にしても苦肉の策であった。

 長期間の航空作戦は、航空兵の疲労を招く。そして、疲労はミスを生む。極めて単純な理屈だが、それ故に対処が出来ない。そのため、行わないことが望ましいのだが、今回はそうは言えない。既に二隻の空母を失っているのだ。これ以上失うわけにはいかなかった。

 正午を回り、一三時一五分、第四次攻撃隊が空母より出撃した。

 艦戦二五機

 艦爆一八機

 艦攻一五機

 この攻撃隊は第二次攻撃隊を再度武装させたもので、攻撃機が相応に多くなっていた。

 この攻撃隊による攻撃が、この日、そして恐らくこの海戦の最後の攻撃であることは、三艦隊の誰もが承知していた。これ以降にも攻撃を行おうとすれば、帰還は夜間になる。夜間の着艦も不可能ではないが、甲板を照らす必要である。そうなれば、敵潜水艦の格好の標的となる。此所は米軍の根拠地に非常に近い場所なのだ。


 TF16―2は一二ノットの速度で南下していた。先ずは第三艦隊の攻撃半径から逃れなければいけない。基地航空隊が空母一隻を撃沈したとはいえ、情報として入ってきている。しかし、まだ空母は十分に残っており、彼らも攻撃を受ける恐れは十分にある。

「陸の司令官は可能であれば、もう一度攻撃を仕掛けるといっていたが……」

 ジャップどもも馬鹿ではないだろう。それに攻撃隊も相応の被害を受けているはずである。もう一度攻撃を仕掛けたとしても、成功はしないだろう。あれは、一瞬の隙を突いたからこそ成功したのだ。

 おまけにTF16―2も傷ついている。出撃可能なF4Fは一〇機に過ぎず、次に攻撃を受ければ、かなりの損害を覚悟しなければならない。

 そして、それは来た。悪魔の唸り声の調べを思わせる発動機の爆音と共に、日の丸を翼に刻んだ航空機の群れが、水平線の彼方より姿を現した。

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