6

 この興奮を例えるならば、初めて夜ふかしをした時だろうか。いや、騎士になることが認められた時かもしれない。

 毎日過ごす場所も、時間が変われば別世界。

 すっかり照明の落ちた城を歩きながら、リュールは胸を躍らせた。

 石畳に敷かれた絨毯の上に響く靴音は、全部で4つ。

 リュール、クロウの二人を、より力強い靴音で、総指揮官のシウバが先導し、ジェラルドが最後尾に続く。

 今宵、この新米騎士の目付け役として、わざわざこの二人が出てきたのだ。どれほど重要な任務であるか、敢えて言葉にするまでもない。

 入り口から歩いて数分、壁の松明が、風と共に揺らめき、鈍色の大きな扉を照らした。

 アースウォリアの城には、獅子の門と呼ばれる扉が5つある。

 1つ目は、城の入り口。民に広く門戸を開いた、この国の憩いのスペース。

 2つ目は、そこから少し奥。調理場や洗濯室など、メイドや料理人が主だって使う場所である。

 3枚目。これは、簡潔に言うのであれば、騎士達のスペースと言える。訓練所、詰所などは全てこの3枚目の扉の内に存在している。それぞれ警備等で、出ていくことはあるが、リュール達のような新米騎士は一日の大半をここで過ごしている。

 これらの扉には、国の象徴である黄金の獅子が描かれ、この城で働く者にとっては、何枚の扉をくぐる事が許されているのかが、職位分ける指標となっていた。

 そして、4つ目の扉の前に立った時、リュールとクロウは緊張のあまり生唾を飲んだ。

 4つ目の扉は、騎士の中でもある程度年数が経った実力者しかくぐる事が許されていない、謂わば騎士たちのステータスとも言える扉である。入団して半年の新米騎士が足を踏み入れたことなど、未だかつて一度もないだろう。

 今や総指揮官として、アースウォリアの騎士をまとめあげるシウバですら、数年単位の下積みがあってここを通ったとのことだ。まだ経験の乏しい二人にとって、どれほど意味のあることか。

 浮足立つ心を抑えつけるように、リュールは体を小さく震わせた。ふと隣を見ると、クロウも小刻みに足を震わせている。

 そんな二人を真剣な瞳で見つめてから、シウバが扉に手をかけた。

 ギギギ、と重苦しい音が、廊下に響き渡る。

「すっげぇ……」

 感嘆の声を上げたのはクロウだ。

 扉の先には、赤い絨毯が敷かれ、豪華な調度品がその色を輝かせている。観葉植物も、普段見るものよりもずっと美しく、手を入れられているのがわかる。

 ここは、他国から来賓があった際に使われる迎賓用の部屋だ。

 今まで通ってきた場所とは明らかに異なる雰囲気に、リュール達は息を呑む。

「行くぞ」

 シウバが歩き始め、二人はそれに続き、ジェラルドが追う。

 初めて訪れる夜の城はまるで別世界で、いつもの場所ですら、初めて訪れたような鮮やかさを帯びている。

 そして。

 リュールは前方を歩く父の背中を見た。

 総指揮官であるシウバの仕事を、一兵卒であるリュールは、今までほとんど見たことがなかった。彼は、今回初めて父と共に城を歩き、この国の騎士達にとっての<総指揮官シウバ>という存在を目のあたりにした。

 若い騎士からベテランの騎士まで、すれ違う度に背筋をピンと伸ばし、尊敬と憧れの混じった眼差しを父に向ける。父は、そんな彼らに、厳しくも穏やかに労いの言葉をかけ、先へと進んでいくのだ。

 いつもよりも数段大きく、しかし遠く映る背中を前に、リュールはほんの少しだけ突き放されたような気持ちになっていた。父シウバと総指揮官シウバには、それほどまで大きな差があるのだ。

 広い部屋を数個横切り、5つ目の扉が姿を現した時、リュールとクロウは、顔を見合わせた。

 5つ目は、事実上城の最深部へと続く扉。二人にとっては全く未知の世界である。

「お前たちには、今晩の割り振りを説明してなかったな」

 と、シウバが扉に手をかけた体勢で思い出したように口を開いた。そして、そのまま彼らに振り返ると、後ろのジェラルドと視線を交わせ、小さく頷く。

「陛下と王女の部屋は別々な場所にある。そのため、ふた手に別れて警護を行う」

 リュールは、その言葉にどきりとした。シウバかジェラルドか、果たしてどちらが自分と組むことになるのか、父はどんな選択をしたのだろう?

 ギギィと音を立てて、5つ目の扉がその口を開けた。

 正面の月の光に照らされたステンドグラスが、赤い絨毯を色とりどりに染め上げている。

 迎賓スペースよりも一層美しい光景に、リュールとクロウは歩くのも忘れ、呆然と立ち尽くした。

 シウバか先に進んだのに、慌ててついていくと、ちょうどT字路のつきあたりで足を止める。

 ステンドグラスには、アースウォリアの象徴である金色の獅子が描かれている。

「ここから西が陛下、東が王女の寝室の棟だ。今晩は、私が陛下側を、ジェラルドが王女側を担当する。振り分けについてだが」

 そこでシウバは一度言葉を切った。

「クロウは私と共に、リュールは……ジェラルドと共に警護にあたる、いいな」

「え、あ……」

 出された指示に、リュールは思わず小さく声を上げた。

「はい!」

 即座にクロウと共に返事をしたため、誰もその真意には気づかなかったであろう。もやもやとした気持ちで、バレないように父を見上げる。

「では、各自持ち場につくように。明日、ここでまた落ち合う。では」

 しかし、その視線は交うことなく、シウバはクロウを連れて、西側の棟へ消えていった。遠ざかる背中を見送りながら、リュールは知らず右の拳を握る。

 不意に、ポンッと頭を軽く撫でるように、手が触れた。隣に立ったジェラルドが、困ったように笑いながら、くしゃくしゃとリュールの頭を撫でる。

「おやっさんも色々考えてんだ。そう悪く思うな」

 何もかも見透かしたように言うジェラルドに、リュールは口をとがらせた。

「別にそういう訳じゃ」

「ま、どっちでもいんだがよ、んーな顔して姫さんに会うのもどうかと思うぜ?」

「なっ」

 思わず頬に手を当てる。ちらりとステンドグラスを見ると、しかめっ面をした男が映っていた。

「うし、行くぞ」

 眉間のシワを指で伸ばし、リュールは先行くジェラルドに続く。

 壁に灯る蝋燭が、暗い廊下を照らしている。魔鉱石が一度灯した炎を永続的に保ってくれる為、一晩中こうして火が絶えることはないらしい。西方にある魔法都市が、長年の研究で生み出した努力の結晶とも言える技術である。

 早く一般にも普及すればいいのに、と常々リュールは思っているが、なかなか簡単にはいかないそうだ。

 長い廊下を通りぬけ、階段を登る。1段、2段と目的地に近づくごとに、胸が不自然に高鳴った。

 階段を登りきった先、美しい装飾が施された木の扉を見つけた時、リュールは口を開けたまま立ち尽くした。

 先程までの不満が一瞬で吹き飛ぶような光景である。

 この扉一枚を隔てた先に、レイアがいる。

 毎日のように顔を合わせている彼女だが、今夜はこんなにも距離が近い。

「変な気を起こさないように」

 忠告というより半ばからうように、ジェラルドが呟き、隣を通り過ぎる。

「なんでそうなるんだよ!」

 カッと頬が熱くなり、思わず大声をあげると、突如、正面の扉が勢い良く開いた。

「リュール!」

 名前を呼びながら、部屋から出てきたのは、栗毛色の髪の少女――アースウォリアの王女その人である。彼女は、驚いた顔で固まっている少年を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってくる。

 湯浴みを終えた後らしく、少女の栗毛色の髪の毛からは仄かに甘い香りが漂っていた。

「リュールがこっちだったんですね!」

 その香りにあてられ、リュールは一瞬たじろいだ。こちらとしても喜びたいところではあったが、今は仕事中である。きゅっと口元を結び、わざとらしくお辞儀をして見せた。

「……今日は、よろしくお願いしますね」

 そんな彼の態度に若干不満の意を表しながら、レイアはそっとリュールの手を握りしめる。ほんのり痛いのは、多分気のせいではない。

「よかったですね、レイア様」

 そう言いながら扉から出てきたのは、護衛兼メイドのアリーシャである。くすくすと笑い、彼女はさり気なくジェラルドの隣に立った。ジェラルドが、目先に近い槍の穂先を確認し、そっと一歩離れる。

「レイア様、どちらが来るのかって、ずっと扉の前で待ってたんですよ」

「アリーシャ!」

 従者の言葉に、レイアが慌てて叫ぶ。

 通りで声と同時に出てきたわけだ。隣で頬を膨らませる少女をそっと横目で確認し、バレないように笑う。瞬間、ジェラルドと目が合い、思わず顔をそむけた。

「ところで」

 二人の様子を微笑ましく眺めていたアリーシャが、口を開く。

「レイア様、リュール様に言わねばならないことがあるのでは?」

「あっ」

 思い出したようにレイアが声を上げた。そして、リュールの方を向き直ると、もじもじと上目遣いに彼を見る。

 澄んだ空色の瞳に見つめられ、リュールの表情は一層強ばった。

「あの、リュール……その……」

 言い淀むようなことなのだろうか。

 少女は、しばらく、あう、だの、うう、だのを呟いてから、意を決したように、

「ごめんなさい!」

 と、頭を下げた。

 突然のことに、頭に疑問符を浮かべていると、レイアがおずおずと口を開く。

「その、エプロンとリボンの件……」

 そこまで言われてようやく合点がいったリュールは、ぽんと一つ手を打った。

 横からジェラルドの噴き出す声が聞こえる。

「……あれね、うん、めっちゃ困った。陛下も乗っかってくるし」

 あの地獄の時間を思い出し、つい敬語を忘れてしまう。

「ご、ごめんなさい。お父様、昔からあぁだから……」

「うん、なんか昨日は父さんも……」

 ふと昨晩の事を口にしかけ、

「ん?おやっさんも?」

「何でもないでーす」

 ジェラルドが反応したのに対し、咄嗟に話のネタより父の名誉を選択。

「まぁ、ともかく……次は、せめてすぐ外せるようにして」

「お前、やるなとは言わないのな」

「……そうします」

「姫さんもやらないとは言わないのな?!」

 ジェラルドの呆れ半分、驚き半分のツッコミに、二人は目をぱちくりさせて、彼を見つめた。

「えっ」

「えっ……あ、いや、もうなんでもいいです」

 はぁ、とジェラルドの大きなため息が響いた。アリーシャは相変わらずくすくすと微笑んでいる。

 リュールは、もう一度レイアと顔を合わせると、二人照れ臭そうに笑い合った。

「さて、レイア様、そろそろお休みになってくださいまし。明日も早いですから」

 アリーシャに言われ、レイアは扉の前まで走って行く。

「部屋ん中は頼むぜ、アリーシャ」

「はい、このアリーシャ=ラインハルト、ラインハルト家の名において、必ずやレイア様をお守りいたします!」

「おー、頼もしいな」

 そんなジェラルド達のやり取りをよそに、レイアは振り返って、唇に手をあてたまま口だけ動かした。

 音もなく紡がれた言葉に、リュールは照れながら小さく頷いてみせると、彼女は満足気に部屋へと入っていく。

 扉が閉まり、再び廊下に静けさが戻る。

 ジェラルドと共に扉の前に立ち、再び緊張感が帰ってきたのを実感すると、リュールは一度体をぶるりと震わせた。

「そうだ、リュール」

「ん?」

「ん、じゃねーだろ、はいだ」

「……はい」

 とはいえ、どうも先程のノリが抜けきっていないようだ。

 ジェラルドは、そんな彼を横目に、至って真面目に言葉をつなぐ。

「お前に、万が一の場合について伝えておく」

 ゴーン…

 夜9時を告げるレヴィアントの鐘が、夜の城に響き渡った。

 廊下の炎が怪しく揺らめいている。



「ふぁぁ……」

 見張りを開始して約1時間。ジェラルドの、「歴代俺を振ったイイ女」の話も20人を過ぎた頃、リュールは大きくあくびをした。いくら仮眠を取ってきたとはいえ、普段寝ている時間である。しかも、何をするのでもなく、ただ扉の前に立っているとなると、どうしても眠くはなる。

 退屈しのぎに口を開いても、上司の例の話ばかりで、いっそ彼にこそ眠っていただきたいくらいの気持ちになっていた。あるいは、だからもてないんですよ、と言い放ってやりたい。

 カタン……

 そんな矢先。

 扉の向こうから、窓の開く音が聞こえた。春とはいえ、夜はまだ寒い。アリーシャが空気を入れ替えするにも、若干不自然だ。

 ――と、ジェラルドが表情を一転させ、小さく何かを呟いたかと思うと、左手に剣を顕現させた。

 これも壁の炎と同じく、魔鉱石によるもので、術者の発する特定のキーワードに反応し、即座に武器を顕現してくれるという技術である。

 騎士たちはアクセサリーとして、その魔鉱石を身につけており、ジェラルドの場合は左耳のピアスがそれにあたる。

 重い武器を持ち歩く必要もなく、微々たる魔力で使えるため、昨今ではすっかり定着した技術だ。

 リュールは、ごくりとのどを鳴らし、ジェラルドの様子を窺った。

 わざわざこの時点で武器を顕現させたということは、この扉の先に敵がいるということ他ならない。

 ジェラルドが、ドアノブに手を当て、静かに回す。刹那。

「レイア様!お下がりください!」

 アリーシャの絶叫を合図に、ジェラルドが思い切り扉を開き、室内に突入。リュールもそれに続き、対峙する4つの影を確認した。

 金色の月を背負い、2つの影がバルコニーに立ち並んでいる。

「では、後ほどお迎えにあがります」

 と、片側の男性と思われる影が、パチンと指を鳴らし、瞬間、姿を消した。

「アリーシャ!」

 レイアが悲鳴を上げる。今その時まで側にいたはずの従者の姿が、ない。

「随分と逞しい従者さんがいらっしゃるのですね」

 残されたもうひとつの影が、声を発した。逆光で顔はよく見えないが、声音から女性であることは判断できる。

 一歩。その影は進んだ。

 風が吹き上がり、一瞬だけそのシルエットが露わになる。

「エルフ……?」

 ジェラルドが記憶を手繰り寄せ、呟いた。

 くすりと、女が笑う。

「アースウォリアの王女様。私は貴女に、復讐をしに参りました」

 歩を進めた女の顔が、やがて室内の炎で照らし出される。色の白い肌に、細長い耳。そして、宝石のような青い瞳の眼光が、鋭くレイアを射抜いている。

 髪は薄紅と、書物の記述とは異なっているが、間違いなくエルフの容貌である。

「さぁ、どうぞ苦しんでください」

 闇を纏ったエルフの女――いや、少女は、青い瞳を憎しみに染め、艷やかに微笑んだ。

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