第一章

1

 春も色めき、植物達の息吹が満ちる頃。

 一面に色とりどりの花が咲き乱れる街外れで、二つの影は静かに対峙した。

 どちらも少年と言うに相応しい年格好。皮でできた軽鎧を身に纏い、手には彼らの身体にはまだ少し大きい剣を握りしめている。

「ふっふっふ。今日は俺が勝たせてもらうぜ」

 不敵な笑みをたたえながら、黒い瞳の少年が剣を構えた。心なしか丸みを帯びた頬には、淡いシミが点々と描かれ、紅蓮の髪は後ろで細く編まれている。

「いやだね。今日のボーボー鶏の香草焼きは、俺の胃袋に収まる予定なんだから」

 対するは、若草色の髪をした少年。口元を笑みで結び、濃紺の瞳は、まっすぐと先に立つ赤髪の少年を見つめていた。銀色の額当てからは、ぴょんと前髪が折れ跳ね、そこはかとなく幼さを醸し出している。

 若草色の少年の名は、リュール=フィリス。そして、対峙する赤髪の少年は、クロウ=ハーチェスといった。

 二人の少年は剣を構え、じりじりと距離を詰めながら、来たるべきその時を待っている。

 ――突風。

 花が一斉に吹き上げられ、花吹雪が宙を舞う。

 やがて風が収まり、花びらが再び大地へと還ろうという刹那、二人は弾かれたように花畑を駆け出した。

 距離はおおよそ100m。その中央で両者の銀閃がぶつかる。

 キィィィン……

 澄み渡った金属音が、快晴に響き渡った。

 初撃、二撃、三撃と、互いの剣が重なり合い、心地良いリズムを生み出す。

 受けては流し、時にはそれを避けながら、二人は何度もその剣を交わした。

「はあっ!」

 腹腔から息を吐きだし、若草色の髪をした少年――リュールが剣を横薙ぎに払うと、赤髪の少年――クロウは、体を捻り、勢いのままそれを受け流す。剣の腹を滑らせ重心を移動し、剣先に達するや否や、器用にその切先を捉える。

 瞬間、それを待っていたかのように、寝癖を躍らせながら、リュールは思い切り剣を上に向けて払った。

「げっ」

 想定外の方向からの払いに、クロウはバランスを崩し、チャンスとばかりにリュールが深く踏み込む。

 振り下ろされる構えが取られた直後、赤髪の少年は、踵だけで後ろに跳躍した。

 目標を見失った剣はそのまま一度振り下ろされ、そして。

「でぇぇぇぇい!!!」

 その隙を見逃さず、突進。

 まるで猪のように突っ込んでくる赤い影をよけ切れず、リュールは思いっきり地面にふっとばされた。クロウは、そのままトドメと駆け出したが、しかし。

「わー!」

 先ほど跳躍した際に出来たであろう窪みに見事足が引っかかり、敢え無く花の絨毯へダイブすることとなった。

「……なに、これ」

 ややしばらく経って、ようやく起き上がったリュールが、ぷるぷると体を震わせながら、花畑に顔面を埋める少年を心底可哀想な目で見つめた。すると、赤髪の少年も勢い良く起き上がり、

「俺が知りたい」

 としょんぼりため息をつく。

 そして、お互い顔を見合わせると、今度は揃って盛大に吹き出した。

「結局今回も勝負つかなかったじゃん」

「前回はお前が川に落ちたのが悪いんだろ」

「そう考えると一度も勝負ついてないなぁ」

「むしろ、つかない記録更新でも目指してんのかね、俺ら」

 ここ数ヶ月の状況を振り返り、二人は肩をすくめた。これまで幾度も手を合わせてきたが、ある日は巨大クモの巣に引っかかり、ある日は突如雨に見舞われ、一度足りとも勝負がついたことはない。そして、理由がもうひとつ。

「二人ともまたやってたんですか!!」

 手に大きな花束を抱え、一人の少女が駆け寄ってきた。いかにも柔らかそうな栗毛色の髪に、空色の瞳を持つその少女は、不満気に少年達を見つめると、口をとがらせる。

「レイア!」

 そんな少女を、少年達はバツが悪そうに迎え、視線に促されるようにその場に座りこんだ。

「せっかく外にきているのに、いつも二人ばっかり。もう少し私にも構ってください」

 ほんのり上気した頬を膨らませ、乱暴に腰を下ろす。ばふりと白いドレスと濃緑色のマントが宙を跳ねた。

 そう、彼女こそが、未決着記録更新のもうひとつの理由だった。

 レイア=ウォリア。

 オリアーノ大陸中央に位置する、大国アースウォリアの王女。

 母を早くに亡くし、兄弟もいない為、今現在この少女は、事実上正当な王位継承者である。

 そして、傍らに座る少年達はというと、アースウォリアの騎士団に所属する、新米兵士だった。入団したのもここ半年のことで、騎士を名乗るにはまだ程遠い。

「私だけ仲間はずれみたい」

 リュール、クロウ、レイア。この三人は、所謂幼馴染にあたる。

 元々親同士の関係が深く、幼少より顔を合わせる機会が多かった彼らは、仲良くなるのにさほど時間を要さなかった。いつの間にか三人でいるのが当たり前になり、毎日のように笑い、時には喧嘩しながら過ごしていたが、ちょうど15を迎えた頃に生活は一変した。

 リュール、クロウは騎士団に入団し、レイアは本格的に王女としての公務を任ぜられる機会が増えたのだ。

 片や騎士団で、片や王宮で。一日の大半を過ごす場所が変わり、自然と三人で過ごす時間が減っていった。

 特に王女であるレイアは、その責任と期待の重さに、笑顔を見せることが少なくなり、それを心配した彼らが、こうして隙を見つけては、彼女をこっそりと連れ出すようになったのだった。

 しかし、連れ出した張本人達が、少女そっちのけで仕合う為、結果毎回少女の怒りを買う羽目となる。

「ごめんってば」

 依然として小鼻を膨らませる少女に、困ったように謝り倒すが、少女は一向に機嫌を直さない。

 少年達は顔を見合わせ、やれやれと笑い合うと、

「レイア王女、せっかくの可愛いお顔が台無しですよ」

「貴女は笑ってる方がお似合いです」

 と、少女の前に恭しく跪く。

 すると、しばらくムッとしていた少女は、やがて耐え切れなくなったように、顔を綻ばせた。

「もう、ご機嫌取りばっかりうまくなって」

 ふふふ、と口元を押さえて笑うと、手に持っていた花冠を、リュールの頭にそっと載せる。

「放置して私に何かあったらどうするんですか?ちゃんと守ってくださいね」

「わかってるよ、レイア」

「クロウは、もう少し訓練真面目に受けて下さい」

「これも訓練の一環だって」

 花で作られた褒章をクロウの胸に挿し、レイアは苦笑いする二人の顔を交互に見ると、めっと叱った。

「レイアには敵わないなぁ」

 どんな言い訳を並び立てても、最終的にいつもこうなるのだから困ったものだ。

 春の暖かい風が、頬を撫でる。

「ところで、今日はまだ大丈夫なんですか?」

 と、気が付いたようにレイアが尋ねた。

 本来彼らはここではなく、城の訓練場にいるはずなのだ。要するに、サボりというやつである。

 二人の目が泳いでいるのを確認し、レイアはもう、と小さく呟いた。ほとんどサボりだとわかってついてきている自分も自分である。その辺はあまり強く言えないようだ。

「あー……」

 不意に、リュールが空を仰いだ。雲一つない澄み渡った空が広がっている。

 なんとなく意図を察し、

「天気の塩梅どうっすかね」

 と、クロウが尋ねると、リュールは徐に少女の手をとって駆け出し、

「晴れのち大雨!突然激しい雷に見舞われるでしょう!」

 大声で叫んだ。

 半ば確信めいた予報に、ゲンナリしてから、

「避雷針はよろしくー」

 とクロウも後を追って走り始めた。

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