4

 王の逃亡、太陽の騎士団の敗走は、アルラードの民を大きく蝕んだ。


 大臣は、城下を見下ろし、その凄惨たる有様に絶句した。

 つい半日前まで平穏な日常を送っていた者たちが、自分の財と命を守るために、家族、友人関係なくそれらを奪い合い、あるいは手にかけているのだ。

 何百年もかけて造られた美しい街並みは見る影もなく、ただ血臭と怨恨が渦巻いている。

 後ろには、自分に剣を突きつけ、緑の髪の青年が、興味なさ気に眼前を見下ろしていた。小脇に抱えたものを何度か確認し、大臣はその度に小さく呻く。

 これほどまでに自分の無力さを痛感したことはない。

 声すら発することが許されず、背中にひんやりと迫る銀色の気配に、下唇を噛む。

 ややしばらく経って、青年は徐ろに後ろを振り返った。すると、バルコニーから青い髪をした少女が、小脇に何かを抱えてやってくる。

「おっせーよ」

 舌打ちしながら青年が言った。しかし、少女はまるで気にすることなく、心底楽しそうに、

「ねぇねぇ、人ってさ、究極的に追い詰められると、明らかに罠だって思っても簡単に信じちゃうんだね」

 と両手を広げて笑う。その拍子に抱えていたものがごろりと地面に投げ出され、少女はいけない、と拾い上げた。

 投げ出されたを見て、大臣は思わず目を伏せる。言いようのない怒りと悲しみが胸中をよぎった。

「相変わらず悪趣味だこと」

 はん、と鼻で返され、少女は一瞬ムッとした様子だったが、城下の惨状を見るなり、嬉しそうに口の端を緩めた。

 そして、青年からを受け取ると、軽快に城一番の特等席へと向かう。城下を一望できるバルコニーの先方――王のみが立つことが許される、その場所へ。

 続いて青年も歩を進め、押し出されるようにして、大臣もまた移動を余儀なくされる。

 軽く振り返りそれを確認すると、少女は大きく息を吐きおろし、

「さあさ、皆様ご注目!」

 まるで大道芸人のように声を張り上げた。

 突如降ってきた声に、民は一斉に、城を見上げる。そして、声の持ち主がなんであるか理解すると、表情を凍らせた。

 大勢の視線を浴びた少女は、気持ちよさそうに身体を震わせると、今度は仰々しく手を広げ、

「この国は、滅びました」

 と、左右に持ったを見せつけるように掲げた。

 月の光に照らされ、夜にぽっかりと浮かび上がるのは、首だった。

 片方は国王、そしてもう片方は、太陽の指揮官のものである。

 それが示すのは、事実上の敗戦、そして、滅びであった。

 壊れた時計のねじを無理矢理巻くように、少女がその二つの首を民衆へと投げ入れるや否や、弾かれたように悲鳴が上がった。

 そして、それとほぼ同時。敗走後に一度も開くことがなかった城門が、ゆっくりとその口を開いた。

 人々は再び言葉を失い、静かに門をすり抜ける影を、茫然と迎え入れた。

 それは、悠に10mはある体躯を4本の足で支え、黒いたてがみを棚引かせた。巨大な口には大きな牙が何本も生え散らかし、ぬるりとした顔には目が存在しない。

 獣というにはおぞましいその生き物は、これまた巨大な鼻で地面をかぎ分け、獲物を探し始めると、

「いやぁぁぁぁぁぁ」

 止まっていた時が動き始めたかのように、一斉に人々が恐怖の声を上げた。

 黒い獣は、家をその巨体でなぎ倒しながら疾駆し、逃げ惑う人々を手あたり次第に貪り始める。我先にと逃げようと互いを押し合うが、皮肉にもその邪な心を察知するように、黒い獣は先頭を行く者から喰らっていった。

 女子供も赤子も関係ない。人々の断末魔と絶叫が響き渡る。まさにそれは、地獄絵図だった。

「ぅ……」

 捕らえられたまま、大臣は思わずその光景に吐き気を催した。耐え切れず、吐瀉物が撒き散らされる。

 目をつぶっても、脳に直接映像が映しだされ、目を反らすことすら叶わない。

 恐怖と悲壮が同時に現れたような表情で、大臣はそこに立つ二人の人ならぬ者の姿を見た。

 彼らは、目の前で繰り広げられる惨劇を、まるで喜劇でも見ているかのように楽しげに眺めている。

 ふと、少女の視線が彼を捉えると、少女は静かに顔を寄せた。

「駄目だよ、君には大事なお仕事してもらうんだから」

 耳元で囁かれた言葉の冷たさに、大臣は心臓を掴まれるような感覚に陥った。

 そして、今度は青年にまで引きずられ、大臣は、人々が恐怖の中食われゆく様を、ただただ目に焼き付けることとなった。

 夜がまだ更け始めたばかりのことである。



 城が燃えていた。 難攻不落と呼ばれた鉄壁の要塞は、漆黒の闇に映えるように、その体躯に炎を纏っている。

「あぁ……」

 城から少し離れた場所で、大臣は崩折れた。

 あの惨劇は、数時間続いた。積み重なる残骸が、頃、魔王の配下は彼を城の外に連れ出すと、

「行け」

 と馬を差し出した。

 彼らの不可解な意図に気づいたのは、その時だった。

 ――自分は、語り部として選ばれたのだと。

 この残虐極まりない魔王軍の所業を各国に伝える為の語り部に。

 炎上し、瓦解していく城を呆然と見つめる。

 1000年にも渡って繁栄してきたこの国が、こんなにも呆気無く滅びることになるなどと、誰が想像しただろうか。

 人ならぬ者たちは、いつの間にかその姿を消していた。

 一人取り残された大臣は、精根尽き果てた顔のまま、傍らの馬の手綱を握った。

「いかねば……」

 もうほとんど残されていない体力を振り絞り、馬に跨ると、彼は南に向けて駆け出した。

 城を燃やす炎だけが、妖しく夜を照らしていた。

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