第20話 湯気に紛れる想い
ひとえとは距離を置き、連絡を取ろうともしてこなかった。
また、藍沢ひとえという名前が上ろうものなら話題から目を逸らし、積極的に耳を塞いできた俺からすればこいつがどんな人生を歩み、どういう出会いを経て、今再び俺の前にいるのかを知らない。変わったようにも思えるし、変わっていないようにも感じる。
当然ながらこいつと別れてからも俺はなんてことはない普通の人生を歩み、そのぶんだけこいつも人生を歩んで来た。
それだけの話なのだろう。
「……落ち着かねーな……」
無駄に広い部屋、設備、カラオケ、ゲーム、冷蔵庫。
ビジネスホテルを当たって見たものの何処も満室な上、流石にやはりカラオケや漫喫というわけにもいかず「当初の予定通り、休める場所」へと流れ着いた。
「…………」
扉越しにシャワーの音が響く。
作りは至って普通のビジネスホテル変わらないがベットはダブルサイズを通り越してキングサイズとでも言えそうな大きさだし、そもそも俺が意図的に意識を逸らしている「入浴室」はスモークガラスになっている。
パチパチと床でお湯の跳ねる音が響いてくるし、いやらしいほどに中の様子が影となって浮かび上がる。
耐えられずにテレビをつけているがそれでも意識はそちらの方へと引っ張られていて、いやいや待て待てと自分をなんとか抑え込んでいるようなものだ。
コンコン。
と、音が響いた。
「…………」
部屋の扉をノックされたわけではない。発生源は間違いなく「スモークガラスの向こう側」だ。
気がつけばシャワーの音は止んでいるし、心なしか影がこちらを見ているような気がする。
「せーんぱい」
甘く、湯気で湿ったような声色が向こう側から響いてくる。
「……なんだよ」
返事を返すか悩んだ挙げ句、放って置いても仕方がないと気の無い返答で持って返えす。
訪れる沈黙、再び鳴らされる「コツンコツン」。
「入って来てもいーんすよ?」
「誰が!」
揶揄い、笑う様子にどっと疲れつつソファーに腰を下ろすとテレビの音量を少し大きめにした。
何処かで見たことのあるようなお笑い芸人が食レポを行なっている。
こんな時間に。食レポならぬ食テロじゃないか。
「……腹が減ったな」
この類いのホテルというものには殆ど縁がなく、出前というかデリバリーと呼べばいいのか所謂カラオケ店のフードメニューみたいなものは用意されていて。パラパラと開いてみれば丼物からパスタまで多種多様に揃っている。
どうせ全部レトルトなんだろうが、それでも小腹が空いたことにはかわりない。
何か手頃なものはないものかとめくっているとーー、
「…………」
使用目的など一つしかないであろうグッツのページも添えられており、そっとそれを閉じると遠くへと押しやった。
もしも俺が何か注文して食べている間にひとえが出てこようものなら「私も何か食べるッス」て流れになるのは目に見えている。
例え二人ぶん注文していても「へー、他には何があるンスかー?」だ。
そんな状況であのページを見ることになるのは絶対に避けたかった。
つか、なんであいつはこんなに平然としていられんだよ……!!
内心ビクビクだった。
大人気なく、また甲斐性もなく、この状況にドキドキで、男子高校生と変わらない俺だった。
いや、あの頃にここに来てたらもっと目も当てられないような状態だったろうけどさ……。
どうやら湯船に浸かっているらしく、チャプチャプと響いてくる音に意識を持っていかされそうになる。
都合のいい女は嫌だとあいつはいった。
無論、そんな関係になるつもりはないし、状況に流されて既成事実だけを作るつもりもない。
だが、しかし。
「……はぁ……、」
正常な男としての機能という奴なのだろうか。
いつも以上に意識せざる得なくなっており、正直、このまま一晩やり過ごせるかはかなり不安だった。
……アイツがいたら、取材ですって煩いんだろうなぁ……。
なんとなく、柚乃がはしゃぎ回る様子が浮かんだ。
藍沢とは違いただの好奇心であちこち作りを見て回るような気がする。
さっきのフードメニューが載っていた冊子だって「おお!! 見てくださいよー!!」とかいってノリノリでめくりめくるだろう。……頭痛が痛い。
そもそも女子高生を連れ込んだら完全に犯罪だろうし、アウトどころかレッドカードで退場ものだ。社会から。
「何か一周回って落ち着いて来たな……」
脳内をメンドくさいイメージに侵食されている状況はある意味好都合で、余計なことを考えないで済んだ。
しかし、はしゃぎ回る柚乃の姿の他に「あの日の朝の光景」がふと同時に浮かんで来て、
「っ……?!」
思わず肩が跳び跳ねた。
ワイシャツ姿の柚乃にではない。
後ろから抱きつかれた感触にだ。
「もー、もしかして寝落ちしちゃったのかと思ったっスよー」
「お前な……」
耳元で囁かれる言葉は色味を帯びていて、頬に触れる髪は濡れて湿っている。
後頭部にぶつかる感触は想像するまでもなくそれで、こいつがどんな状態で抱きついて来ているのか思考を必死にブロックし続ける。
「俺の知らない間にずいぶん大人になったもんだな」
「胸の話っすか?」
「ちげーよ!!」
いや、それもそうだけどッ。
相変わらず振り返ることができず、横から伸びて来た白い腕に目を瞑る。
テレビの音が消え、暗くなった画面に俺と藍沢の姿が写り込んでいた。
「ーーーーっ……、」
目をそらせば逸らしたぶん、やけに感覚が研ぎ澄まされる。
第六感に目覚めたかのように周囲の状況を探ろうとしていく。
「あのなぁ……俺はその……そういうつもりはねーよ」
「わかってるっすよー。わかっててくっつきたいって思うのはいけないことっすか?」
「やめてくれ……」
心臓がばくばくだ。
今にも弾け飛びそうになる。
理性が。
「……って、フーッ!! わーっ!! 恥ずかしー!!!」
ドタドタと離れていったのは藍沢の方だった。
「んぅ……?」
ベットに潜り込む音に恐る恐る振り返ればすっぽり頭の先まで潜り込み、髪の先しか見えていない。
「いや、濡れてるだろ。髪」
「無理っす!! もう無理っすよぉー!! 恥ずかしくて死んじゃいそうっすもん!!」
「お前なぁ……」
ならやらなきゃいいのに……と呆れられたのは少しでも平常心を取り戻そうとした作用だ。
ソファーから腰をあげると俺もシャワーを浴びるために浴室へ向かう。
着替えはーー……なんというか、パジャマに浴衣、バスローブと多種多様だ。
洗濯機と乾燥機まで完備されているもんだから最近のこれはすげーなーと舌を巻く。
「大人になったんだからちょっと冒険してみたんだけど……やっぱダメだね、先輩? もう私、先輩の顔見れないかも」
「……みなくていいから寝とけ。朝までな」
「うん」
耳の先まで真っ赤な顔が再び布団に潜り込み、俺は部屋の電気を消してやる。
流石にあそこに入り込む勇気はないからソファーかな……? 幸い、座り心地は良かったし。
そんなことを思いつつ浴室に向かい。
ほのかに熱を帯びている上に、なんだか俺の知らない香りで満ちていたそれにシャワーを全開にした。
ーー心底、心臓に悪い。
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