嫁の飯が不味いから
雷藤和太郎
嫁の飯が不味いから
「先輩って、昼飯いつも豪華ッスよねぇ」
たぬきうどんを持って、後輩が隣に座ってきた。社内食堂の中では一番安いもので、俺が食べている青椒肉絲定食の半分ほどの値段だ。
「一番安いものを食ってるお前から見たら大体そうだろうよ。ダイエットか?」
「純粋に金がないんスよ」
たぬきうどんに七味唐辛子をこれでもかとかけて、食べはじめた。
「それに、たぬきうどんは一番安いもんじゃないッスよ。素うどんとか、半うどんがあるじゃないッスか」
「それはもう汁ものだろ。ほら、青椒肉絲食うか?」
「へへ、いただきまッス」
小皿に取り分けて後輩の前へ滑らせると、後輩は満面の笑みを浮かべた。しばらく二人隣合って黙々と昼食をとる。後輩はうどんを食っているというのに静かなものだった。そばだったらすする音が聞こえないと変な感じもするが、うどんは人によるよな、などと考えていると、後輩が声をかけてきた。
「それにしても先輩、結婚してるのに社食なんスね。お弁当とか作ってもらえないんスか?」
「あー……それ聞く?」
「え、何か聞いちゃいけないパターンッスか?」
「いやまあいいんだけどさ」
定食の味噌汁を飲み干して、手を合わせる。後輩は青椒肉絲は早々に食べ切っていたが、うどんがまだ半分ほど残っていた。
「嫁がさ……料理が上手じゃあないんだよ」
「うわ、メシマズ嫁って奴ッスか?」
「俺の口からはそんなに直接的には言えないが、まあそうでさ」
「メシマズって言っても種類があるじゃないスか。どういう感じなんスか?」
「火の入れ方が下手なんだよ。根菜なんかは生煮えだったり芯まで火が通ってなかったりするくせに、肉や魚、特に西京焼きのような味付きの奴を焼き過ぎて焦がす。もう一つは」
「まだあるんスか!?」
「いや、これは好みの差かもしれないんだけど、とにかく嫁の飯は酸っぱいんだよ」
「酸味のあるおかずが好き、ってことスか?」
「何でも酸っぱくしちゃうんだよ。餃子とか唐揚げとか」
「あー、唐揚げにレモンは戦争の種ッスからねぇ」
「ドレッシングも極端に酸っぱいものが好きでさ」
「でもそれくらいなら、別々に取り分ければ済む話じゃあないスか」
「まあそれはそうなんだけど、火の入れ方はどうしようもないよなぁ」
「失敗した、って奥さんは思ってないんスか?」
「俺も最初に、『美味い』って言っちまったからさ、その後から『やっぱ不味いよ』とか『もっとちゃんと火通せ』とも言えなくって、ちょっとした冷戦状態。嘘ってわけじゃあないんだけど、夫婦になる以上、メシに関しては正直になるべきだったと思ったよ」
「あちゃー……」
「だから、色々と画策するようになった」
「何を企てたんスか?」
「まあ簡単なことだ。俺が飯を作る、ってことにしたんだ。うちは共働きだから、家事に関しては分業なんで、それなら嫁に作らせるより俺が作った方が争いが起こらなくて済む、ってな」
「奥さんは先輩のご飯に文句言わないんスか?」
「作る時は酸っぱくするんだけど、別に酸っぱくなくても食うんだよ。で、俺が作ったものは『美味しい!』って笑顔で言ってくるからさ」
「……良い奥さんじゃないスか」
後輩もうどんを食べ終えたようで、箸をおいて口の中で「ごちそうさまでした」と唱えている。物足りないような顔をしているので、「何か食うか?」と聞いたら「いいえ、ダイエットッス」と言った。仕返しに成功したと思ったのか、後輩はニヤリとした。
「これで飯が美味ければなぁ……文句無いんだけど」
「先輩、今度自分にお弁当作ってきてくださいッス」
「ハァ?何言ってんだお前」
「えー、そこまで聞いたら先輩の作るご飯食べてみたくなってきたんスもん」
「俺は弁当を作るのが面倒だからこうやって社食の飯を食ってるんだが?」
「それじゃあ、交換条件ッス!自分が二日先輩にお弁当を作ってきたら、先輩が自分に一日お弁当を作る。これでどうッスか?」
「お前、昼飯を安く済ませるためにうどん食ってるんだろ?」
「そうッスよ」
「お弁当作るとなると、社食の安いたぬきうどんより金かかるぞ?」
「いいんスよ。自分、先輩の料理が食べてみたいんスから」
「そうかい。おっ、そろそろ休憩終わりだぞ、ほら」
「先輩、約束ッスよ!」
後輩はそう言って小指を向けてきた。
「ああ分かった分かった」
後輩の差し出す小指に自分の小指を絡ませると、後輩はそれを上下に振った。
「それじゃあ、明日お弁当作ってくるッス!」
二人で社食のおぼんを持って返却口へ向かう。おぼんを下げると、後輩は胸ポケットからタブレットケースを取り出し、中の錠剤を一粒飲んだ。
「どうした、風邪か?」
「いえ、鉄分のサプリッス。自分、生理が重くって」
再開五分前のチャイムが鳴って、俺と後輩は並んで仕事に戻った。
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