ワンダフルワールド15
篁 あれん
#1
ほどなく俺は彼女に殺される。
穏やかな寝息、あどけない寝顔、そんな物に幸福を感じたのは昨日までの話。
その手をどけろ! 声も出ない! つか、起きろ!
彼女は
産まれた時からお隣さんで、老舗洋食屋を営む家の一人娘。
性格は所謂天然ボケと言って良いだろう。
俺、
嫁に来た母親同士が仲良くなり、同じ時期に妊娠、同じ日に出産すると言う奇跡があってからと言う物、家族ぐるみでより一層お付き合いが深まったらしい。
血の繋がらない双子の様に育てられた俺達は、出産日に虹が掛かっていたと言う理由で虹色、七色、と言う名前が安直に決まったそうだ。
因みに俺の方が半日早く生まれた。そのせいかどうかは分からないが、十五歳になっても七色は妹の様に手が掛かる気がする。
「ぶはっ! 死ぬ……おい、こら、起きろ!」
どうしてこうなったか、俺が知りたいよ。
きっと原因はあの
だが、だからと言ってどうすれば良いなんて事は昨日の今日で分かる筈もない。
渾身のフルスイングで七色の頬を叩いた。
女を殴るなんて男にあるまじき行為だが、命には代えられない。
だがしかし、この女は一度寝ると早々起きない人種なのだ。
寝返りを打った七色は、不快そうに欠伸をし、俺はその光景に騒然と身を引いた。
「な……七色、待て、待て待て待て待て!!」
想像して下さい。
腕が降ってくるんです。それはもう、まるで薙ぎ倒された丸太の様な勢いで。
俺は昨日、入学して間もない学校の帰りにいつもの河川敷辺りを歩いていた。
勿論隣には七色がいて、俺は元々口下手なので七色以外とはあまりコミュニケーションが取れない。
友達が出来にくく、このままでは陰キャラ決定までは時間の問題。
中学校まではまだ良かった。
朗らかで人見知りしない七色のお蔭で、七色の隣には俺がいる。
そんな方程式が無意識に出来上がっていたし、俺が口下手であまり喋らない事を気にする友達もいなかった。
だが高校は違う。色んな中学から集まって来た奴らの中で凌ぎを削らなければ、友達争奪戦で脱落してしまう。
俺は焦っていた。
七色とはクラスも離れてしまったし、どの道異性である七色とは色んな事態で不利が生じて来る事は明白だった。
遂に昨日、美術の時間に「二人組を作りましょう政策」が安易に教師の口から放たれ、俺は見事に孤立してしまった。
俺達のクラスは三十一人。
奇数だと言う事をもう少し配慮して欲しい、と嘆願書でも書いてやろうか。
結果、「余った人は先生と組みましょう」と言う残酷な助け舟のせいで、俺は悪目立ちするに至った。
入学早々余った人になってしまった俺は、真剣に悩んでいたのである。
「にぃちゃん、元気ないなぁ? どったの?」
「別に……」
「先生に怒られたの?」
「違う……」
七色に悪気はない。思った事をストレートに聞いて来る。
受験の願掛けで長く伸ばしていた髪を、入学式前にバッサリ切り落とした七色は顎のラインで揺れるボブカットの髪を、夕暮れ時の少し冷ややかな風に靡かせて酷く大人びて見える。
「今日は、ビーフシチューだってお爺ちゃんが言ってたよ? 食べに来るでしょ?」
「うん……」
「今日ね、高橋君が……あっ、高橋君って南中から来た委員長してる人でね。それでね……」
「ふぅん……」
身長がやっと百七十五センチになった。
小さい時から背の高い方だった七色を追い越したのは中二の夏。
やっと十五センチの差が出来て、上から旋毛が見えた時の感動は今でも忘れない。
俺は男にしては小さい方だったけど、デカ女だとか、巨人だとか言われて泣いている七色を助けるのが俺の仕事で、自分が七色より大きくなる事は俺の中での最重要案件だったと思う。
そうすれば、デカイなんて言われなくて済む。
「ちょっと! にぃちゃん、聞いてる?」
「うん……」
「やっぱりなんか、変だよ、にぃちゃん……何か怒ってるの?」
にぃちゃん。虹色のにぃちゃんであって、兄と言う意味では無いのだけれど、七色が甘い声でそう呼ぶと兄と言う意味を含んでいる様に聞こえてしまう。
俺はそれが嫌だと思った事は一度もなかった。
寧ろ、七色には俺が必要だとさえ感じられたし、何があっても「にぃちゃん」と寄って来る七色は可愛いと思う。
高校入学と同時にお付き合いを始めた俺達は、相変わらずの幼馴染っぷりで何も変わらない日常を過ごしていたはずなのに、急速に置いて行かれた様な気になっていた。
「煩いな、別に何でもないって言ってるだろ」
「煩いとか酷いよ! 心配してるのにっ!」
「お前に心配なんかされたくねぇよ!」
男の意地とは何てちっぽけなのだろう。
普段本気で怒鳴ったりする事のない俺の怒声に、七色は怯えた様に固まっていた。
「ごめん……ちょっと、イラついてた……」
「……今日は、一人で帰る。煩くして、ごめんなさい」
「あ、ちょ、ななっ……」
足早に走り去る七色を追い掛ける事が出来なかったのは、後悔と嫉妬が重かったからだ。
泣いてたな……。後で謝りに行かなきゃ。
河川敷の土筆野原は暮れそうな夕闇の中で小声で喋っているかの様な囁きを風に乗せている。水面に煮詰めたような飴色の夕日が反射して、その暖かな光景が余計に俺を黒い影にした。
土手に降りて腰を下し、土筆が群れを成しているのを見て呟く。
「お前等は良いよな……勝手に仲間が生えてくんだろ?」
例えば家族の様に選べないとしても、家族は一緒に学校に行けるわけじゃない。
いるだけで人が寄って来て、世話を焼いて貰える七色が羨ましいと思った事が無いわけじゃない。何もしなくても七色は人に好かれるし、苛められていたと言っても可愛い子に悪戯したい男子の餌食になっていたと言える。
七色は直ぐ泣くし、身長が高くても女の子らしかったから、男子はきっと俺が邪魔だったに違いないのだ。
――じゃあ、こちら側に来てみますか?
その声が何処から聞こえたかは分からなかった。
気付いた時には鬱蒼と茂る林の様な場所にいて、白い木々が縦横に走るその林は、豪風に凪いで俺はその見慣れない景色に上体を伏せて抗いながら状況を把握しようと辺りを見渡して悲鳴を上げた。
「うぎゃあああああああ!」
黒い肢体に金色の眸。
「何だ、喧しい。人間がどうしてそんな所にいる?」
「おまっ……お前は何だ!?」
「見て分からんか?」
「ね、猫……じゃねぇよな? デカすぎるし……」
「お前が小さいだけだろう?」
「……はい?」
その猫の様な人語を喋る黒い物体はくわっと口を開けると俺に向かってその牙を剥けた。
尖った牙と、サーモンピンクの口内がやけにリアルで腰を抜かして這いずろうと四つん這いになったは良いが、そこから一歩も動けない。
「うわっ! 待て待て待て待て! 食うんじゃねぇよ!」
「大人しくしとらんと、牙が当たるぞ」
「へ……?」
制服のシャツに噛み付いたその黒い生物は、見てみろ、と俺を咥えたまま林の開けた上空まで俺を吊り上げる。
「人間にしてはお前、小さ過ぎる。儂は長く生きて来たが、お前の様な人間に会うのは久しぶりだ」
「ちょ、これって……」
壮大に広がる眼前の景色は、ついさっきまで俺がしょぼくれて座り込んでいた土筆野原だ。俺は土筆に埋もれてしまう程、小さくなってしまっていた。
「何でこんな事に!? え、何で!?」
「儂が知るわけ無かろう。喧しい人間だな……」
そう言って俺を地面に下した黒い生物は面倒臭そうに前足で顔を洗う。
「やっぱりお前は猫なのか……?」
「産まれてこの方、ずっと猫をやっておるよ」
「そう……か……」
「そんなに珍しいか?」
「いやどっちかっつーと、今の俺が珍しいだろ……」
「確かに。何故お前はそんなに小さいのだ?」
「いや、俺ここで座ってただけなんだよ……。何でだと思う?」
猫とは普通に喋れてるな、とか。
これからどうしたら良いのか、とか。
制服も一緒に縮んでくれて良かった、とか。
腹が減ったけど家まで辿り着けるのか、とか。
想定外過ぎてどれが最重要案件かがサッパリ分からない。
「兎に角ここから少し移動した方が良さそうだな」
「移動……?」
「ほれ、そこに蛇がおる」
「へ……び……?」
テラテラとした光沢を纏ったうねる物体が、白い林の隙間から鱗の様な地味な光沢を発していた。
こっちを見ている様な黒々とした眸に、固唾を飲んで一歩仰け反る。
「春だからのぅ……」
「た、た、助けてくれよ……猫! 俺は爬虫類だけは無理だ……」
「その身体じゃ、ハエ一匹でも無理だろうな」
そう言って俺のシャツの襟元をカプリと咥えた猫は土手の上にある木まで来て、軽やかにその枝まで飛び乗った。
首から全身が振り回される様な衝撃に、バンジージャンプ並みの恐怖を味わう。
いや、バンジージャンプの経験が無い俺が言うのもなんだけど、そんな感じって言う想像して貰えますか?
兎に角、体ごと振り回される感覚が新鮮過ぎて説明の仕様が無いんです。
ジェットコースターじゃない。
この不安定な感じは、やっぱりバンジージャンプの方が適切な感じがする。
器用に枝に腰を下した猫は、俺をその枝の上に降ろすと自慢の尻尾を尻に沿わせて大人しく蹲った。
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