第74話:上昇が下降であった二人の女性主人公

 ソフィア・コッポラの映画「マリー・アントワネット」を観ていて、これもやはり「権力者に厚遇されて上昇するが実は下降であった」系列の話の同類だと気づいた。


 ただし、ここには当初、権力者がいない。主人公のマリー・アントワネットは、自分が自分であるというだけの理由で政略的な結婚の段取りがホイホイ進み、相手をほとんど知らないまま、とんとん拍子に王妃となり、たちまち自分自身が権力を握ってしまう。


 権力と言ってもそれは浪費する権利のようなもので、それすら実際にはほぼ消えかけているのだが、とにかくエスカレーター式にどんどん上昇して、主人公=権力者になってしまう。


 彼女は孤独で、空虚で、遊びと浪費以外には何にも心を動かされない。楽しくて、明るくて、キラキラしていて、美しい毎日が続くのに全てが虚飾で、内実が絶無。それならお決まりの「本物の恋」「真実の愛」によって生き甲斐を得て救われるかというと、結局それもない。


 そういった空虚な感じが画面によく出ている。派手できらびやかであるほど、心の空洞が大きくなって、肉体のサイズよりも虚しさの空洞の方がずっと大きくなって、広がり続けてフランス全土を覆いつくしているようですらある。


 それはやや大げさだが 「快楽が欲しい」「自由が欲しい」「永遠の生命を得たい」「永遠に子供でいたい」という願望だけを肥大させたような、そしてそれを簡単に成し遂げてしまった、つまり碌でもなくて、過去の人から見た文明国の多くの人間に当てはまるような人物がマリー・アントワネットである。自分の進むべき方向性を見いだせず、指針もないままに迷走し、不安の中で下降して迫害されて放擲されるという、見方によっては現代の誰にでも当てはまる、身につまされるような話だった。


 ところで「マリー・アントワネット」とまず誰も比較しないと思われる「キャリー」も、これと一部は対照的で、一部は似た構造になっている(76年のデ・パルマ監督、シシー・スペイセク版)。こちらは下品なまでに劇的で、ずっと下降状態でいじめられているキャリーが、急に持ち上げられることになる。しかしそれは、突き落とすための策略としてあえて持ち上げられていただけで、まさに「上昇が実は下降であった」型の代表ともいえるわかりやすさである。ここでの権力者は、個別の誰かというよりは漠然とした「みんな」である(母親も含めて)。


 誰しも「キャリー」のようにいじめられているよりは、マリー・アントワネットのようにちやほやされたいと考えるだろう。しかし「ちやほやされるのは幸福に似て不幸である」という山本夏彦の言葉そのもので、後世の我々から見れば、夢のような王宮生活の本質は悪夢そのもの、マリー・アントワネットこそは不幸そのものなのだ。


 キャリーの心の中は悲しみと恐怖と怒りとがぎっしりと充満して爆発寸前になっているのに対して、マリー・アントワネットの周囲には何でもあるが、その心には空気すら入っていない。そして最終的には、自分で座っていたはずの権力者の椅子にはいつのまにか「民衆」が座っている。


 王侯貴族階級という権力者がいて、そのピラミッドの頂点にマリー・アントワネットが駆け上がって繁栄を謳歌している、実はその期間こそは「民衆」という次の権力者と入れ替わるまでの、短くも儚い、最後の残り火が輝くだけの時間に過ぎなかったのだ。


 成功という甘い果実の奥には、転落への苦い種がいくつも潜んでいる……、なんて格好のいいことをつい書きそうになるが、この「民衆」というのがキャリーの周りの「みんな」のご先祖でもあるので、やはりこの二人の女性主人公の存在のあり方はよく似ている。その他大勢の中には決して埋没できない星のもとに生まれついてしまった悲劇ともいえるし、生け贄という言葉も思い浮かぶ。


 映画としての「マリー・アントワネット」は、ヴェルサイユからの脱出の場面で終ってしまっているので、尻切れトンボのような印象を受けたが、後で考えればこれはこれで、お約束の脱出劇なのだと理解できなくもない。


 ある映画感想サイトではこの場面に「やっと最後に解放された」という意味を読み取っているコメントがあった。ピラミッドの頂点から転げ落ちるような、身分の急転直下はほとんど死を意味しており、同時にそれは解放ともいえる。二人の女性はいずれも幸福に似たものをほんの短い間だけ味わいながらも不幸で、そして二人の破滅と解放はセットになっていた。

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