第64話:小説と「本質的な疑問」
(前回からの続き)
小説とは「本質的な疑問を提出する表現だ」と村上龍は言っている。
それなら有名な作品は必ず模範的な「本質的な疑問」を提出しているのかというと、そう簡単に「この作品はこういう疑問を提出しています」、といった具体例を挙げることはできそうにない。それは一種の要約だし、そもそも要約してしまったら、それはいわゆる「メッセージ」や「作者の言いたいこと」と似たようなものになってしまう。
「本質的な疑問」の例を漠然と考えてみると、たとえば、
・人間とは何か?
・社会とは何か?
・人類とは何か?
・文明とは何か?
・正義とは何か?
・生きることの意味とは何か?
といった文句が思い浮かぶ。問題意識がないよりはあった方がいいし、何かを批判的に見るのが小説の基本的姿勢であるとも言えそうだが、上記の例はいずれも格好だけはよいものの大雑把すぎて、当てはめようとすれば何にでも当てはまりそうである。
もっと焦点の合った例はないだろうか。とぼんやり考えているうちに、別の本を読んでいてよい疑問の例を発見した。
その本とはジョージ・ソーンダーズの「人生で大切なたったひとつのこと」である。このソーンダーズという人は、以前「短くて恐ろしいフィルの時代」という奇妙な小説を書いていて、何となく「一冊だけ小説を書いて世を去った人」かとばかり思っていたら「リンカーンとさまよえる霊魂たち 」という新作が出ていて、しかも「ブッカー賞受賞」というので驚いて、興味が再燃した。その「リンカーンと~」を差し置いて、先に「人生で~」を手に取ったのは全体に短いからである(62ページしかない)。
この本は表紙が真っ赤で、いかにも胡散臭い、自己啓発っぽいタイトルで、中身も「本」というより「小冊子」風で、大学の卒業式でのスピーチの書き起こしである。
ただ、この人の問いかけはまさしく「本質的な疑問」なので、ちょっと紹介してみたい。
↓
簡単そうに見えて、実践するのは本当に難しいのですが、「もっとやさしいひとになること」を、人生の目標のひとつにしてみてはどうでしょう。
そこで、百万ドルの値打ちがある質問です。問題は何か?わたしたちは、どうしてもっとやさしいひとになれないのでしょうか?
(中略)
そこで、ふたつめの百万ドルの質問です。
わたしたちはどうすればいいのか?どうすれば、もっと愛情があって、もっと心を開いて、いまより自分勝手ではなくて、いま起きていることをもっと意識して、いまより非現実的でない、などなどの……ひとになれるのでしょうか?
↑
ただしこの疑問(わたしたちは、どうしてもっとやさしいひとになれないのでしょうか?)は、疑問としては見事だが、前述したように「スピーチ」なので、それこそ村上龍の言うような「言いたいことを言いたい人は駅前でスピーカーで叫べばいい」という例にも当てはまってしまう。
つまり、この疑問を小説として展開すれば立派な作品ができそうな可能性は高いと思われるものの、疑問そのものを伝えたいのであれば、やはり卒業スピーチの方が場としてはふさわしいとも言えるのである。
もちろん、この疑問を核にしてあなたがショートショートの一つでも書ければ書いてもいいのだし、長編の構想の軸の一つに加えてもいいのだし、自分なりに別種の「本質的な疑問」を考えてみることもいつでも可能である。
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