第55話:フィクションにおける位置関係(漫画編2)
漫画でもう少し例を挙げると、スポーツ漫画は全般的に位置関係がわかりやすく描かれている。
たとえばサッカーやバスケの場合、そもそも本物のグラウンド(コート)中央に線が引かれていたり、センターサークルが描かれていたり、ゴールが見えやすい位置にあったりするため、ナウシカの戦闘場面に比べればずっと表現する上での難易度のハードルは低い。もともと現実のプレイヤーや観客にとって分かりやすくデザインされているものなので、それを描く漫画も自然にわかりやすくなっているというべきか。
サッカーやバスケ漫画では、描く側と読む側の間に、
「ゴールまでの距離やボールの位置が正確に描かれている-どこに何があるかを正確に把握できる」
という最低限の理解のレベルが合わなければ試合の様子を描いたことにならないので、必然的に描く側は気を配って描かざるをえないともいえる。対して映画の戦闘場面は、柔道でいう乱取り稽古のような、ゴチャゴチャした中で適当に殴り合い、斬り合いをしていれば成立してしまうといったイージーさがあるのとは対照的である。
それはともかく、たとえば「スラムダンク」の場合、縦・横・奥行きは当然のこととして、斜めに飛ぶパスのコース、それ以外にも直線的にゴールに向かいつつ「ひょい」とかわすようなシュートの投げ方、アリウープを狙うパス、ノールック・パスなど実に多彩な軌道が行き交っている。映画では一部の傑作以外は表現困難な立体感、距離感、スピード感、斜めの動き、それ以上の動きを、とりわけ「スラムダンク」は易々と描いているように思われる。
スポーツの中でも、さらに位置関係が分かりやすいのは野球で、ホームを南とすると北に二塁、東西に一、三塁という向きまで明解でわかりやすい。
しかも、サッカーやバスケのように常に選手が流動しているのではなく、定位置に守りがいて、打者やランナーは特定の塁まで進んで、そこまで行くと停止するという双六のような進み方まで含めて、観ている側が情報を整理しやすい。サッカーやバスケの試合をまるごと描く小説は、読むにも書くにもかなりの難しさが生じる筈だが、野球なら何とか書けそうではある。
余談だが自分は前々から、現実の野球の試合や中継放送にはまったく興味を持てないのに、どういう訳か野球漫画は面白く読めるのが不思議でならなかった。これは、その試合を描写する「視点の数」でかなり説明できるのではないかと思う。
現実に野球場に行って試合を観戦する場合は、基本的に自分自身の視点ひとつと、球場のバックスクリーンに映る大きな映像、そのくらいの視点しか持てない。
対して、テレビ中継を通じて観戦する場合はおそらくカメラの数が少なくとも球場にせいぜい十台ほど、これらがアップになったり引きになったりするので、それらを別物と数え、さらに切り替えを駆使してもせいぜい視線の総数は一試合を通じて数十くらいではないだろうか。
漫画の「ドカベン」でいうと、一試合を描くカメラの数に制約を受けないため、試合中の内野、外野を自在に捉えることはもちろん、登場人物の心理を描く場面や回想場面も入れたりできる。つまり、ほとんど一コマごとに一台ずつカメラが用意できるようなものである。
そう考えると視線の数を比率で表した場合、「現実:テレビ中継:漫画」では「1:10:1000」くらいになるはずで、漫画の圧勝になる。これが面白くなるのは当然ではないだろうか。
もちろん視点やカメラの数が多ければ多いほど、優れた表現になるという訳でもないので、仮に「スラムダンク」や「ドカベン」を忠実に実写化して、複数の高性能カメラで撮影すれば名作になるかというと、おそらくそう簡単にはいかない(コマの配置や大きさ、読むスピードの問題があるので)。それぞれアニメ化もされているが、アニメになるとなぜか、原作の持っていた面白さが大幅に抜け落ちるような印象を受ける。また視点の数が少なくても充分なケースもあって、芝居や落語は基本的にカメラ一台でも鑑賞に耐えうる。仮にカメラが1000台に増えたとしても、野球ほどの差は生じないと思われる。
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