第50話:仮説の面白さ
数日前から「予言と不信者」という話を少しずつ公開している最中である。
分割して公開するので、どこで区切るかを決めつつ、冒頭から終盤近くまでを読み返していて思ったのは、いかに自分が「仮説」好きかということであった。
あくまでも仮説が主であって、ジャンルとか、枠組みは従なのである。だから、ミステリでもSFでもその他のジャンルでも、割とこだわらずに読めるのだなと感じた。
書く場合で考えると、純粋なSFや純粋なミステリは書けない。
なぜかというと、ミステリの場合は最終的に出てくる「真相」「事実」「真犯人」にこそ最上の価値があって、途中の仮説は従になってしまう点が物足りないのではないかと考えた。多重解決型とか、途中の変てこな仮説が実は大正解でした、とでもしなければ書けない。SFは並以上に科学知識がないと、仮説すら書けない。
ただ、SFの場合は科学的な仮説を空想的に延長して、ひとつの世界を作ってしまったりもできる。ナンセンス文学も架空のルールを延長して、ひとつの完結した作品世界を作ってしまうことがある。シュールな掌編やコントなども同様である。
その種の話を書くのが自分には合っているし、真相や真実はどうでもよくて、仮説が浮かび上がる瞬間の驚きやスリルやサスペンス、視点の広がり、可能性や解釈の持つ多様性、理知的な分析と空想の共存する点、無責任性などが好きなのだろうと思う。
自作でも「たまたま変な仮説を思いついて、書いてみたら妙にうまくいった」とか「変な仮説を演繹してみました」という線が一番いいのではないかと思っている。何作か挙げてみると「石の主張」「『ね』が好きな女の子」、「夢三十三夜」では「第二夜:桃」など、ジャンルは何とも言いにくいが、どれも仮説が中心にある。
「石の主張」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883813354
「『ね』が好きな女の子」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883850499
「第二夜:桃」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884705999/episodes/1177354054884714091
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