第15話:タイトルについて

魅力的なタイトルについて少し例を挙げてみたい。

 今回は考察というより実例集として書く。


 以前、ブルボン小林(=芥川賞作家の長嶋有)の「ぐっとくる題名」を読んで、自分なりに好きなタイトルを10作ほど並べて順位をつけたことがある。

 どのようなタイトルがあったかというと、以下の通り。


「私は海をだきしめてゐたい」

「水玉模様の夏」

「狩猟で暮らしたわれらの先祖」

「大きい1年生と小さい2年生」

「美しき穉き婦人に始まる」

「顔のない眼」

「敬語で旅する四人の男」

「先生を流産させる会」

「田舎の紳士服店のモデルの妻」

「好きな男の名前 腕にコンパスの針でかいた」


 ジャンルとしては小説、映画、曲名などごちゃ混ぜになっている。

 どれもよいと思うが、題名だけでなく中身が伴っていたかというと結果的には微妙である。題名が決まりすぎると、羊頭狗肉になってしまうのだ。


 今、急に思い出したのだが、恩田陸はタイトルだけを先に考えて、内容は後からというケースがかなりあるらしい(エッセーか何かで読んだ)。

 確かに恩田陸は思わせぶりで、詩的で、何かありそうと思わせる力を備えたタイトルが多い。

「編集会議」という雑誌では、

「タイトルを目にして小説の内容が7割ほど想像でき、残り3割は読者に『何があるんだろう?』と思わせる謎があること」

 とコメントしているらしい(さっき検索して見つけた)。


「蛇行する川のほとり」

「三月は深き紅の淵を」

「まひるの月を追いかけて」

「上と外」

「黄昏の百合の骨」

「象と耳鳴り」

「木曜組曲」


 など、プロ級のタイトルと思える。


 筒井康隆の「創作の極意と掟」には「表題」という章がある。ここで挙げられている20作ほどの例はやや古いし有名作が多いが、自分の好みで選ぶと以下が優秀作である。


「何かが道をやってくる」

「夜のみだらな鳥」

「裏声で歌へ君が代」

「ぼくたちの好きな戦争」

「棒になった男」


 ちなみに「反復」の章では「セリーヌとジュリーは舟でゆく」という映画について触れられていて、これはタイトル的にもよい。

 この「◎◎と××はどうした」というパターンには「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」というのもあるし、まだ開拓の余地がありそう。


 やや長いタイトルの例として「銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ」というのは長い割に引き締まっている。最後を名詞にすればある程度は締まるようだ。


「悔い改めよハーレクイン!とチクタクマンは言った」

「死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々」

「鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの」


 などは長さによるメリットとして「目立つ」「印象に残る」という線を狙ったものかもしれないが、「目立つ割にはすぐ忘れられる」「印象がぼやける」といったデメリットもあり、最初の時点での損得は半々くらいだろうか。

 しかし、中身を知った上で「タイトル負けしてますね」という感想を持たれるときつい。やはりタイトルに凝りすぎると羊頭狗肉と化してしまう問題がつきまとう。

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