私には、創りたい物に対して必要なだけは書こうと足掻き、充分を目指して、一端でも完成していれば良いと嘯きながら、失敗し続けることしか出来ません。
編集済
あんまり書く経験がいままで無く、最初に仕上げた作品が我ながら読みにくいなぁと思ったので、次の作品は書いてるジャンルと同じような作品の文体を参考にしながら書いてみたんですが、「これで良いのか?」と内心、書いている時に気持ち悪い感じが付きまといました。しかし、レビューを見ると読みやすいとなってる。
それで、今度はチャレンジして自分の好きな文体で書いてみると、個人的にはしっくり来てるんですが滅茶苦茶評判が悪かったり。w
なんだか文章って良く分からないなぁという認識が深まりました。
作者からの返信
コメント有難うございます!
私も文章については常に悩み続けています。
評判やレビューは、割と文句をつける人の意見が目立つ傾向にありますので、100人中97人は「問題なし」「うまい」と思っていても黙っていて、残り3人が批判していたりというケースもあるでしょうね。
日本人作家で自己分析を報告する例が少ないのは、お国柄もあるかもしれませんね。
実際、一介のアマチュアの身としては、自己分析らしき目で自作を見れるになったのは、十万字程度の話を5~6本書いてからでした。
型ができてるから型破りであって型がなければ形無しだ、なんて話がありますが、そういうことなのかもしれませんね。
作者からの返信
日本の作家で自分の文体に言及している人っていうのは、本当に思い浮かばないですね。
筒井康隆は簡潔な文体を目指して、ヘミングウェイを手本にしたとか、初期の漱石は文体をあれこれ使い分けているとか、丸谷才一は「ですます」と「だ・である」をわざと混ぜて書いているとか、そのくらいでしょうか。
>型ができてるから型破りであって型がなければ形無しだ、
思うに日本の作家は、特定の書き手に心酔することから始まって文体を作るので、たとえば太宰治を模倣することがその人にとっての最初の「型」になっているっぽいですね。
自慢ではないですが、私の創作論には自己分析がありますよ〜。まだその部分は投稿していませんが・・・😅