4-5 弟はなんでも知っている
「なぁ、兄貴」
夕食を終え、こたつでくつろいでいる時、友希から声を掛けられた。
「どうした、弟よ。残念ながら俺の矮小な脳味噌では君の勉強の助けにはならないぞ」
「これまで一度も、勉強の相談なんかした事ねぇだろ」
「……たしかに、そうだな」
自分の頭脳が信頼されていた時代がなかった事を再確認し、少しだけ落ち込む。
「じゃあ、なんだ? 恋愛相談か? 誰とでもいいから早く結婚するのがおすすめだ」
「それは兄貴の都合だろうが。……まぁ、あながち間違ってねぇけど」
「えっ、ほんとに結婚すんの?」
「そっちじゃねぇよ」
俺の驚きを軽く流し、友希はこたつの対面に足を突っ込む。
「兄貴、柚木とケンカでもしたのか?」
「俺が柚木とケンカするように見えるか?」
「するようには見えねぇけど、してるようには見えなくもねぇな」
なるほど、鋭い。と、言いたいところだが、実際はそれほど鋭くもない。夕食の間中ずっと、俺を恨みがましい目で見続ける柚木の様子には、同じ食卓を囲んでいたなら誰でもすぐに気付けたはずだ。また、食事を終えるのも一番早く、食後はすぐに部屋へと籠もってしまう始末。部屋と言っても、俺の部屋なのがおかしな話なのだが。
「いや、実は……言っても怒らない?」
「聞かねぇ事にはわかんねぇけど、多分怒りはしないだろ」
「じゃあ言うのやだ、多分だと怒るもん」
「……ウゼェ」
まだ本題に入ってもいないのに、友希が怒ってしまった。なんて短気な弟だ。
「わかった、怒んねぇから。何かあったんだな?」
「やだ、友希もう怒ってるもん。言わないもん」
元々怖い友希の口調は、怒りからか怒鳴るように響く。それでは俺は怖くて話せない。
「……そんな事ないですよー。全然怒ってませんよー」
すると、何を思ったか、友希の声と口調がいきなり子供をあやすようなものに変わった。
「ぅブッ! ……かっ、ガホッ!」
今まで聞いた事のない不自然なそれに、俺が笑いを堪えられるわけもなく。
「……で、結局、何があったって?」
笑いが収まり、顔を上げたところで、一段と凄みを増した友希の声に出迎えられた。
「いや、違うんですよ。柚木に告白されたんです、ハイ」
自分で失態を犯しておいて、照れ隠しとはかわいい奴だ。なんて言うには怖すぎる友希の顔を前に、思わず敬語で返してしまう。せめてもの兄の威厳を保つため、背筋だけは伸ばさないようにがんばってるけど。
「それで、断ったと?」
「……いや、どうなんだろう。断ったは断ったけど、最終的にはうやむやになった?」
「なんだそれ」
なんだと言われても、よく考えてみれば自分でもわからない。友希に風呂であった事を話しながら、なぜ柚木が怒っているのかを考えてみる。
「はぁ、なるほどな」
「あんまり驚かないな」
俺の話を聞き終えた友希は、意外にも気のない声を漏らす。そもそも、柚木が俺の事を異性として好きだというだけで、十分に驚くべき事だと思うのだが。
「いや、たしかに、一緒に風呂入るとは思ってなかったわ」
「そっちもだけど、柚木が俺に告白したのとかも」
「それはまぁ、そもそも、もうしてるはずだったし」
「ん? もうしてる?」
意味の掴めない言葉を耳にし、オウムのように繰り返す。
「兄貴が妹の友達がどうとか言わなければ、柚木は泊まりに来た日に兄貴に告白するつもりだったんだよ」
「えっ、そうなの? ってか、なんでそれ知ってるの? エスパー? 柚木のトランクに入ってストーカーしてた?」
「エスパーが混ざってわかりづれぇ。そうじゃなくって、普通に柚木から相談されてただけだっつうの」
柚木から相談、とくれば、昼の事が思い出される。
「なんだ、勉強といい恋愛といい、俺を除け者にして、二人だけで相談して! そんなに二人がいいなら、いっその事、友希と柚木で付き合っちゃえばいいんだ!」
「また無茶苦茶な。兄貴に告白する事を、兄貴に相談するわけねぇだろ。そもそも、柚木が俺から勉強教わってたのも、相談のついでだったわけだし」
まぁ、それはそうだ。すぐに冷静になった俺は、もっとホットでいればよかったと後悔する。冬だから。
「友希は、俺と柚木に付き合ってほしいのか?」
「俺が付き合ってほしいって言ったら、付き合うのかよ」
「えっ、いや、流石に実の弟との恋愛は禁忌どころじゃないというか……」
「文脈読め、頬赤らめんな」
的確なツッコミを受けながら、自分が頬を赤らめていた事実に動揺する。
「まぁ、実際、別に友希がなんて言おうと俺は妹の友達を諦めないがな」
「それなら、別に俺がどう思ってようがいいだろうが」
「それはそうだけど、単純な興味としてというか」
どうやら友希は以前から柚木の恋愛相談に乗っていたらしく、だとすればその好意の対象、自分で言うのも恥ずかしいが、俺と柚木の恋愛を友希は応援していたという事になるのではないか。
「別に、積極的に付き合ってほしいわけじゃねぇよ。……ただ、柚木と兄貴が幸せな方が俺も嬉しいってだけで」
「……友希、このバカヤロー!!」
ぶっきらぼうに呟いた弟の一言に、いたく感動した俺は友希へと抱きつく。こたつ越しで全身は無理なので、こたつの中の足にだけ。
「うわっ、なんだ、なんだよ!」
「くさいぞ、このっ! なんて台詞を吐くんだ!」
「自分でもわかってるわ! ああ、もう少し言葉を選べ、さっきの俺!」
「くっさいぞ! ああ、くさい、くっさい!」
もがく友希の足を抑えつつ、くさいくさいと連呼する。そうしなくては、俺は感動で泣いてしまう。
「くさい、くさい、ああ、くさい!」
少しの間そうしていると、やがて友希の足が動きを止めた。
「――何、やってるの?」
同時に、こたつの外から、布団越しの柚木の声が聞こえる。
「いや、兄貴がまたふざけて――」
「うわぁぁあん! ひろ兄がとも兄の股間を嗅いでるぅぅうぅう!」
「ちょっ、あっ、柚木!!」
慌てて立ち上がろうとした友希の足は、俺の腕に絡まり抜けない。その間に、柚木の階段を駆け上っていく音が、布団越しにもはっきりと聞こえた。
「……はぁ、本っ当にめんどくせぇ」
「くさいだけに?」
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