4-2 頑張って入った学校でも行くのは辛い

「腹一杯になったらこたつで一眠り。そんなだらけきった生活とも明日でおさらばだ!」

 元気に宣言してみても、特に事態が好転するわけではない。

「やだよぉ、ひろ兄とおさらばするのやだよぉ」

「俺もやだよぉ、やだよぉ」

 かくして、話は振り出しに戻ってしまった。

「ねぇねぇ、ひろ兄、冬休みが終わっても時々、いや、しょっちゅう遊びに来ていい?」

「しょっちゅう来るのか。もちろん、俺は大歓迎だけど」

 実際、俺と柚木の家は十数分も自転車に乗れば行き来できる程度の距離しかない。その気になれば、毎日だって遊びに行ったり来たりはできなくもないし、そうしていた時期もあったのだが。

「……受験は大丈夫なのか?」

 柚木はただ今、中学三年生、つまり高校受験のまっただ中であり、だからこそ最近はご無沙汰だったわけで。口うるさく勉強しろなどと言って嫌われたくないため、ここまではあえて触れてこなかったが、この正月に柚木が勉強している姿を見た覚えはない。

「あれ、言ってなかったっけ? もう碧岩高校の確約もらったから、後は適当でいいかなー、って思ってるんだけど」

「なんだ、そうだったのか」

 碧岩高校とは、ごくごく簡単に言えば俺の通う高校だ。ちなみに、友希の通っている柏木高校と比べると、微妙に偏差値は下だが、家からの距離ならばダントツで碧岩の方が近い。柚木の家からでも、おそらく徒歩か自転車で通える距離だろう。

「でも、柚木ってそんなに勉強できたっけ?」

 それでも、碧岩高校も決して悪い高校ではない。特に、模試の成績で合格を貰う、いわゆる確約で合格するには、それなりの学力が必要だったはずなのだが。

「失礼な! とも兄からちょくちょく教えてもらってたからそこそこ出来るよ!」

「え、マジで? それ初耳なんだけど」

 唐突に明かされた事実に、素でショックを受け、口から気の抜けた声が漏れる。

「……なんで俺を頼ってくれないんだぁ」

 たしかに俺より友希の方が勉強はできるけど、それでも俺にも一言くらいあってもいいじゃない。俺ってそんなに頼りない? ダメな奴? ダメ兄?

「あっ、ち、違うの! そうじゃなくって、その、あの……」

「いいんだ、柚木。所詮俺はダメな方の従兄、ダメ兄なんだ。これからも柚木は優秀な方の従兄、エロ兄に頼って生きていくといい」

「むしろそっちがひろ兄だよ!」

 ふっ、ひろ兄だけにエロ兄ってか。上手いこと言うじゃないか。

 いじいじといじける俺の前で、柚木があたふたとしている。いいんだ、俺なんかを慰めてくれなくても、と言えない自分が悲しい。誰か慰めて。

「――ただいまっ……と、何してんだ?」

 そうこうしていると、ちょうどタイミング良く友希が帰ってきた。

「へっへっ、どうも、優秀な友希さん。彼女さんとの逢瀬はいかがでしたか。いやー、羨ましいですねぇ、頭も良い上に随分とおモテになるようで、へっへっ」

「んだよ、卑屈な。いつものわけわかんない自信はどこ行った」

「いやいや、そんなものはとてもとても、へっへっ」

 俺の思う一般的平社員像ごっこは意外と楽しく、気分が少し晴れる。へっへっ。

「実は、とも兄に勉強教えてもらってたって言ったら、ひろ兄がこんなになっちゃって」

「……あー、なるほど。めんどくせぇ」

「へっへっ、すいませんね、めんどくさくて。へっへっ」

「それが一番めんどくせぇって、やめろ」

 溜息を吐いた友希は、顔を作ってこちらに視線を向け直す。

「別にいいだろうが、柚木は兄貴と同じ学校に行きたかったんだから」

「だって、それなら俺に頼ってくれてもいいじゃん」

「……兄貴に勉強教えてもらうと、それだけで満足しそうだからやめた、って言ってたから、別に頼られてないわけじゃねぇと思うけど」

 少し間があっての友希の言葉に、柚木が慌てて俺と友希の間に割り込む。

「と、とも兄っ、それ言わないって言ったのにぃ!」

「今更、そのくらいで照れるもねぇだろ」

「そうじゃないの! とも兄は女心がわかってないよ!」

 赤面して唸る柚木から視線を外し、友希は俺を見る。

「まぁ、とりあえずそういう事だ。納得したか?」

「そうかそうか、つまり友希じゃ柚木を満足させる事はできないと、そういう事だな」

「間違っちゃいねぇよ。なんか、そこはかとなく嫌な感じはするけど」

 俺が言葉に混ぜた微量な嫌な感じを嗅ぎ取るとは、流石は血の繋がった弟だ。

「……ったく」

 長い息を一度吐くと、友希は階段を上り部屋へと戻っていった。

「しかし、そうか、柚木はうちの高校に入るのか」

「う、うん、ひろ兄と同じ学校に通いたいから」

 いまだに顔を赤くした柚木は、俺の言葉にすぐに頷きを返す。

「そうは言っても、来年は俺も三年だし、友希の高校の方がよかったんじゃないか?」

 俺と柚木の誕生年は、学年で言うと二つ離れている。従兄妹の関係としてはかなり年は近い方だとは思うが、それでも二つ離れれば、同じ高校で過ごせるのは一年しかない。だが、俺より一つ下の友希となら、更にそこに一年の猶予があるわけで。

「……もう、ひろ兄はわかってないなぁ」

「ん? ああ、まぁ、たしかに、柏木は遠いし、少し難しいか」

「違うよっ。ふん、いいもん、柏木高校にも受かってやるんだから」

 俺の口にした推測はどうやら間違っていたようで、柚木は頬を膨らませて拗ねる。

「ほら、そんなに怒るなって」

「ほっぺたつんつんしない! ひろ兄には真摯さが足りないよ!」

「つんつんしてるんじゃない。穴を開けて中の空気を出そうとしてるんだ」

「怖いよ!」

 中々のスピードで、柚木の頬が俺の人差し指から離れていく。指に残る柔らかな感触を惜しみ、仕方なく自分の頬を突く事にする。

「まったく、ひろ兄は……とにかく、私は碧岩に行くから、受験は大丈夫だよ」

「そう言えば、元はそういう話だったか」

 なんだかんだ問題が解決したりしなかったりで、話は最初に戻ってしまう。

「……やだよぉ、学校やだよぉ」

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