必要

3-1 妹の友達と付き合いたいからといって年上が嫌いなわけではない

「どうだい、柊くん。恋模様は流線型を描いているかな」

「まぁ、ぼちぼちですね」

 場所は写真部部室、部長の椅子に深く腰掛けた先輩からの高度な挨拶に、わかっているフリをして返してみる。ちなみに、先輩は部長ではないし、元部長でもないのだが。

「ぼちぼちというと、角度は37°くらいという事でいいのかな?」

「むしろ、142°くらいまでイッちゃってる感じで」

「142°か、それはすごいね」

 何がすごいのかわからないが、喜んでくれる先輩を裏切るわけにはいかない。大真面目な顔をして頷いておこう。

「さて、と。冗談は置いておいて」

 あ、冗談だったのか。

「それで、どうかな? まだ妹の友達と付き合いたいのかな?」

「はい、もちろん。是非に」

 正月も三が日が過ぎた今でも、あの夜に感じた願望はまだ俺の中に残っている。内から燃え盛る情熱をもってしても、しかしこの部屋は寒かった。

「ストーブ付けていいですか?」

「ああ、そうだね。一応、その方がいいか」

 かくして、学校の備品であり、そして地球の遺産であるところの石油を燃やして俺達二人は暖を取る。生きる事の業を噛み締め、そして瞬間で忘れた。

「まぁ、とりあえず、まだ諦めていないようでよかったよ。もしも君が諦めていたら、ここ数日の私の努力が水の泡になるところだった」

「そんなに真剣に考えてくれてたんですか?」

「今の私はかなり暇だからね。それに、かわいい後輩のためだ」

「ああ、先輩……先輩が先輩で良かった」

 女神のような言葉と微笑みに感動するが、目から涙は流れてこない。所詮はその程度の感動だという事だろう。

「さて、じゃあ、早速だけれど私の家に行こうか」

「本当に早速ですね」

 まだ部室に入って数分もしない内に、月代先輩は場所を移そうと腰を上げていた。

「善は急げ、だよ。急がないと据え膳が冷めてしまう」

「冬ですからね」

「うん、冬だからね」

 俺の答えが正解だったのか、満足そうに頷く先輩に続いて立ち上がる。付けたばかりのストーブが、電源を切った後も少しだけ無念そうに唸りを上げていた。



「そう言えば、先輩の家に入るのは初めてですね」

 漫然と学校から先輩の家までの道を辿り、いよいよマンションの中に入ろうかというところまで来て、やっとその事に思い至る。

「そうだね、私が柊くんの家の中に入ったのも、この前が初めてだったし」

 互いに学校の帰りなどに家の前まで足を運ぶ事は幾度もあったものの、あくまでそこまでで、実際に家の中に入った経験は互いに最近になるまで無かったらしい。

「もしかしてですけど、意外と俺達って仲良くないのでは?」

「……意外と?」

「そこからっ!?」

「冗談だよ、私は一緒に死ねると思った相手しか家に入れない主義だからね」

「それも冗談ですよね?」

「…………」

「…………?」

 丁度クソ重苦しい沈黙のタイミングで、下りてきたエレベーターに乗り込む。九分九厘冗談だとはわかっていても、会話の流れ的に密室が少し恐ろしく感じないでもない。

「ああ、そうだ。私の家に入る前に、言っておいた方がいい事があった」

 エレベーターを無事にやり過ごし、【月代】と書かれた表札のある部屋の扉の前まで辿り着いたところで、先輩は一度足を止めてこちらに向き直った。

「大丈夫です、先輩が包丁を持って目の前に現れても、俺は最後まで先輩を信じます」

「いや、その時は真っ先に逃げた方がいいね」

「……その時はありうるんですか」

「柊くん、この世界には0%と100%が普通にあるんだよ」

「願わくば、その0%であってほしいです」

 縋るような俺の言葉は、難しい表情に受け止められた。うーん、これは21%くらいかな。

「まず、柊くんに言っておきたいのは、今の私の家には両親がいないという事だね」

「それは……つまり?」

 意味深な言葉に、思わず胸が期待に弾む。健康に悪いから、急いで心拍数を戻そう。

「それで、次に言っておきたいのは、多分、姉が家にいるという事なんだ」

「姉? ああ、お姉さん。着物を借りたとか言ってましたね」

 先輩の家で二人きりという幻想が崩れても、会話は淀みなく進む。

「でも、そう言えば、先輩からお姉さんの話を聞いたのってそれが最初だったような」

「そうだったかな……いや、多分そうなんだろう」

 何やら一人で頷くと、先輩の表情が心なしか真剣なものに変わった。

「これから、柊くんには姉と会ってもらう。嫌だったら、嫌だと言ってくれていいよ」

「まさか、嫌って事は全然無いですよ」

「そう言ってくれるのはありがたいけど、違うんだ。私が言いたいのは、会ってからいつでも、嫌だと思ったら言ってくれていいという事でね」

「……? よくわかんないけど、まぁわかりました」

「本当に、だよ。私に遠慮する必要は無いからね」

 やたらと念を押される理由も、言っている事もよくわからなかったが、先輩の事だからわざとなのだろうと、あえて詳しくは聞かない事にする。

「ああ、それと最後に、姉の名前については十分気を付けてほしい」

 鍵を開け、玄関の扉を開きながら、本当に今思い出したかのように先輩が小さく呟いた。

「……ん、ただいま、お姉ちゃん。言っておいた通り、後輩の柊くんを連れて来たよ」

 何かを確認するような間の後で、先輩は廊下の奥へと呼びかける。

「いないんじゃないですか?」

「いや、そんなわけはないんだけれど」

 廊下を抜け、リビングと思われる広い空間にまで出ても、人影どころか物音一つしない。

「あっ……まったく、またこんな事をして」

「紙、ですか?」

 一直線に机に足を運んだ先輩は、そこに置かれていた紙を手に取ると、すぐに机の上に戻す。紙には、真ん中やや下の方に小さく『出かける、夜までには帰るよ』との文字が書かれていた。

「やっぱり出かけてるんじゃ――」

「柊くん、少しそこにでも座って待っていてもらってもいいかな?」

「えっ、はい、大丈夫ですけど」

「ありがとう、すぐに戻るよ」

 駆けていく先輩を見送り、まさかお姉さんを連れ戻しに行くのだろうか、何もそこまでしなくても、と思い直そうとしたところで、しかし先輩は廊下の中程で足を止めていた。

「お姉ちゃん、ほら、出てきて。協力してくれると言ったじゃないか」

 廊下に並んでいた扉の一つ、その先の部屋に向かって話しかけているようだが、言葉の後に返事が帰ってくる様子は無い。

「写真で見せた通りのイケメンだよ、お姉ちゃんも直接見てみたいって言ってただろう」

『……イケメン?』

 しかし、変にハードルを上げる一言の後には、わずかにか細い声が聞こえた。

「やっぱりいるんじゃないか」

『…………』

「今更いないふりをしようとしても無駄だ、とイケメンも言っているよ」

『イケメン』

「ほら、いるじゃないか」

『……っ』

 聞こえてくる会話からは、どうも扉の先の人物はイケメンという言葉に反応してしまうらしい。そして、その人が先輩の姉という事なのだろう。

『……どうして、わかったの?』

「靴が残っていたからね。それに、わざわざ書き置きなんてする方が怪しいよ」

『わかった、行くよ、行く』

 長引くかとも思われた交渉は、しかし意外にも早く終わったようで、月代先輩の前の扉がゆっくりと開いていく。

「すごいお洒落だね。それで、準備が長引いていたのかな?」

「私は普段通り。いいね、花火」

 先輩と共に廊下を抜けてきたのは、長髪に細身の女性だった。正確には、先輩の一歩後ろに隠れるようにしていた所為で、ある程度こちらに近付くまではそのくらいしかわからなかった。

「お待たせ、柊くん。お姉ちゃんを連れて来たよ。お姉ちゃんも、柊くんに挨拶して」

 だから、机一つ挟んだ距離で、ようやく先輩の背中から顔を出したその人の顔を目にした瞬間、わずかの間だけ言葉を失ってしまっていた。

「どうも、月代花火の姉です」

 一言で言うと、美人。

 先輩と似た顔立ちでありながら、どこか、というよりも全体的に陰を感じさせる印象を帯びており、それが彼女の容貌に絵画のような美しさを与えていた。

「……イケ、メン?」

 傾げた首は白く細く、今にも折れてしまいそうで、ついでに俺の心も若干折れそう。

「うん、互いに第一印象は悪くないみたいだね」

 そうなの? 疑問符付けられてる気がするんですけど、なんてツッコミが若干遅れた隙に、しかし先輩は更にツッコミどころに満ちた言葉を口にした。

「じゃあ、予定通り、二人には結婚してもらうとしようかな」

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