2-7 たのしいおみくじ
「あっ、そう言えば」
朝食を終え、こたつでみかんのスジを取っていると、ふと思い出した。
「なになに、どうしたの?」
「いや、おみくじ引き損ねたな、と思って」
顔以外の全てがこたつの中に潜り込んでいる柚木の口に、みかんを放り込みながら話す。
「あむ。たしかに、すっかり忘れちゃってたね。あむ」
「と言う事で、おみくじを引きに行こうと思うんだけど」
「えーっ、あむ。でも今日、あむ。さむ、あむ。ちょっ、む、やめ」
口を開ける度にみかんを詰め込んでやると、やがて柚木は口を閉じ大きく首を振った。
「んん、んぐっ……はぁっ。もうっ、入れ過ぎだよっ!」
「ごめんごめん、つい楽しくなって。柚木はあれだな、オットセイの才能があるな」
「そんなのいらないよっ!」
まったく、と言いながらも、懲りずに丸く口を開ける柚木に再びみかんを入れる。
「で、どうする、柚木も行くか?」
「うーん……でも、今日大分寒いし、おみくじだけ引きに行くのもなぁ……とも兄も行くんなら行こっかな」
柚木が顔を反転させ、食卓の方を向く。俺達よりも遅く起きて来た友希は、今まさに朝食を取っている最中だ。
「いや、俺は昨日おみくじも引いてきたし、行く必要ねぇだろ」
「友希この野郎、抜け駆けしやがったな」
「知らねぇよ、兄貴達が忘れてただけだろうが」
「そりゃそうだ」
友希に八つ当たりしても仕方ない。そもそも誰が悪いかは決まっている。
「ちなみに、結果はどうだった?」
「結果? ああ、おみくじなら、中吉だったな」
「中吉か、中々手強いな。流石俺の弟だ」
中という字面は一見大した事無いように感じるが、実は中吉より上となると、もう大吉しかない。まぁ、俺は大吉を引くから関係ないのだが。
「じゃあ、ちょっと行ってくる。ついでに柚木の分も引いて来ようか?」
「引いて来てくれるなら、お願いしよっかな」
「よし、わかった」
のろのろしていると行く気がなくなるので、急いでこたつから出てコートを羽織る。
「昼までには帰ってくるから、母さんにもそう言っといて」
「うん、行ってらっしゃい」
こたつから手を出して小さく振る柚木に見送られ、廊下に出る。廊下を抜け、玄関から出ると、たしかに昨日よりも寒いように感じた。
走れば暖かくなるかと思い、少し走るも、顔に当たる風が冷たさを増したのでやめる。
「流石に今日は先輩はいないか」
昨日先輩と出会った十字路に差し掛かるも、当然ながらそこに先輩の姿は無い。
「……寂しい」
まだまだ正月気分の街中には、家族連れや友人、恋人同士なんかの姿も見てとれる。
何故俺はこんな時に一人でおみくじを引きに行かねばならないのか。こんな事なら柚木の足を舐めてでもいっしょに来てもらえばよかった。
『ひゃっ、くすぐったいよ、ひろ兄』
「……へっへっへ、これ以上舐められたくなかったら着いて来てもらおうか」
無意識に口から漏れていた妄想に、自分の耳を通して気付く。
今はまだ周囲から冷たい目を向けられるだけで済んでいるが、このままでは寂しさから不審者になってしまう。
「しかし、誰かいないもんかねぇ」
神社の前まで来ると、昨日よりは減ったにしろ、やはりかなり並んでいる。知り合いでもいれば、そいつが例え恋人と浮気相手に挟まれた修羅場であっても話しかけに行ってやるのだが。寂しさも解消できて、ついでに行列をショートカットできて一石二鳥だ。
「……ん、あれは」
おみくじの列に目を向けると、ちょうど中ほどに見知った顔があった。
「どうも、ひさしぶり。元気してた?」
「……えっ? 私、ですか?」
最初は自分が話しかけられていると思わなかったのか、その丸顔の少女がこちらを向くまでには少しの間があった。
「あの、すいません、誰でしたっけ?」
「あれっ、覚えてない? ほら、隣のクラスの柊だけど」
「柊……ああ、あの柊くん?」
少しだけ悩んだ後、少女、たしか山口さんだったかは目を軽く見開いた。
「どの柊くんだかわかんないけど、多分その柊くんだと思う」
「えっと、その柊くんが、何か用?」
「用が無ければ話しかけちゃダメだった?」
「いや、ダメってわけじゃないけど……ほら、私たちそんなに接点ないし」
まったくもって山口さんの言う通りだ。お互い名前もあやふやな相手と仲良くおしゃべりなんてできない、わけでもないが、普通は用も無いのに話しかけようとは思わない。
「ああ、じゃあ、あれだ。平田とはどうなった?」
「平田くん? ……どうなったって、どうもなってないけど」
即席で話題を考えて聞いてみるも、山口さんはなぜか表情を歪めてしまった。
「なんだ、どうもなってないのか。じゃあ、今のは忘れてくれ」
そもそも、俺が山口さんの顔を見てすぐにわかった理由は、これも隣のクラスの、そこそこ仲のいい平田という男が彼女の事を好きだと常日頃から口にしていた事にある。近々告白するなんて事も言っていたから、てっきりもうどうにかなったと思っていたのだが。
「……えっと、もういいかな?」
「ああ、じゃあ、誰かといっしょに来てる? 平田とどうにもなってないなら、隣に入れてもらってもいいかな、なんて……」
口にしている間に、嫌な予感が刻一刻と迫ってくる。と言うよりも、柄の悪いあんちゃんが山口さんの向こうから迫ってきていた。
「おい、テメェ、美幸の何だよ」
「同級生、ですかね? お兄さんはお兄さんですか?」
友希の口調に慣れていたおかげか、あまりびびらずに対応できた。冬だから汗もかかない。寒いって素敵。
「そうそう、これは私のお兄ちゃんで「彼氏だよ、なんか文句あんのか」
山口さんの言葉に被さるように、お兄ちゃんだか彼氏だかが怒鳴る。
「っていうのは嘘で、実は彼氏な「ってのは冗談で、兄だけどよ」
またも言葉の混線。しかも、今度は二人の口にした内容が先程と逆だった。
「ああ、なるほど。お兄ちゃんで彼氏ね、はいはい」
「「違っ……」」
二人の言葉が完全に被る。やたらと必死な形相からは、もはや俺の言った事が真実だったようにしか見えない。
「えっ、マジで?」
「だから違っ「オイ、誰にも言うんじゃねぇぞ、コラ」
なおも誤魔化そうとした山口さんの努力は、お兄さんが口止めに発した一言によって完全に無駄になってしまっていた。
「大丈夫、誰にも言いませんよ」
「う、うん。ないしょにしてね、バレると色々まずいし……」
「絶対ないしょだぞ、コラァ!」
口を揃えて言う兄妹の事は、特に誰にも言うつもりはなかった。近親間の恋愛なんて難事に挑む二人はどこか仲間のように思えなくもないし、どちらかと言えば応援したい。
「じゃ、じゃあ、そういう事で。またね、柊くん」
「あっ、じゃあ、また」
驚きの余韻に浸っている隙に、別れを告げられてしまう。どちらにしても、あのまま二人と列に並ぶ気にもならなかったからいいのだが。
兄妹の恋愛について興味はあるが、あちらからすれば聞かれたくはないだろうし、それほど妹の友達と付き合う参考にもならないだろう。
しかし、列から追い出されてしまったのは問題だ。俺が来た時よりも更に列は伸びていて、そこまで戻るとなると最初から並んでおけばよかったと思ってしまう。
「ちょっと、弘人! あんた、どういうつもり!?」
とぼとぼと最後尾に向かっていると、山口兄妹より少し後ろの辺りから俺を呼ぶ声が聞こえた。
「ん……あれっ、可乃か? どうした、お前昨日も来てただろ」
「それはあんたもでしょ。それより、なんで私をスルーして山口に話しかけるのよ!」
「いや、なんでって、気付かなかったから」
「それならそれで、なんで私より先に山口に気付くの!?」
「だって、そんな格好してたら、なぁ」
二度目の初詣だというのに、なぜか可乃は気合の入った着物姿に、髪を後ろで結んでいた。イメージに無い格好に髪型まで違っては気付けという方が無理がある。
「ああ、そうか、お前も彼氏と来たのか」
「違うわよ、そもそも彼氏なんていないし。……ん? 『も』って何よ、まさかあんたは彼女と来たとか!?」
「流石に昨日の今日じゃ、まだ妹の友達すら見つかってないな。そうじゃなくて、さっきの山口さんが彼氏と来てたから」
「えっ、あれってお兄さんじゃないの? 前に写真で見せてもらったけど」
「……ああ、そうだったのか。じゃあ勘違いだ、勘違い」
「男と女が一緒にいれば恋人だとか思ってるようじゃ、まだまだ子供ね」
いきなり口を滑らせかけたが、なんとか持ち直す。可乃のどこか得意気な顔が滑稽で笑いかけるが、それもなんとか抑える。
「で、どうよ、この格好は?」
「一人なのに気合入ってるなー、バカじゃねぇの? と思う」
「うっさいわねっ! いいじゃない、お正月くらいおめかししてもっ!」
冗談で返してみると、なぜか涙目で怒鳴られてしまった。そう言えば、可乃は昨日の先輩との話の時にはいなかったか。
「そんなに怒るなって、冗談だから。似合ってる似合ってる」
怒らせて追っ払われると嫌なので、機嫌を取りにいってみる。
「……なんか雑」
「丁寧な悪口より雑な褒め言葉。過干渉な妻より無関心な妻」
「わけわかんないから。いいわよ、別に怒ってないし」
怒ってないならそれでいい。自然に距離を詰め、自然に隣に並ぶ。
「で、なんでまたこんなとこまで来たんだ? 神社に忘れ物でもしたか?」
「忘れ物って言えばそうかもね。おみくじ引き忘れてたから、引きに来たの」
「なんだ、お前もか」
「何、あんたも忘れたの?」
自分の事を棚に上げて呆れた顔を向けてくる可乃の額に『人』の字を書く。
「えっ、何、何よ?」
「『人』って書いた」
「なんでっ!?」
「可乃のでこにキスする奴が緊張しないように」
「はぁっ!?」
自分でも何を言っているのかわからなくなったので、奇声をあげる可乃はスルー。
「しかし、わざわざ電車に乗ってまで来なくても。もっと近くに神社とか無いのか?」
「そう思ったから、どうせなら、って事で着物で来たの」
「なるほど、ご苦労な事で」
どうせ何か面倒な事をするなら、ついでに他の面倒な事も同時にしてしまおうというのはたまにある。靴を履くなら靴下も履いてやろう、とか。違うな。
「ん、もうすぐか。思ったより早いな」
相当並んでいた行列も、気付けばもう前に何人もいない。考えてみれば、金払っておみくじ引くだけの事、いくら並んでいても大して時間はかからないか。
無意識にポケットを探り……探り、改めてポケットに一つ一つ手を入れていく。
「あっ、財布忘れた」
急いで出てきたせいか、体のどこを探っても財布はおろか小銭の一枚も見つからない。
「可乃、金貸してくれ。とりあえず1000円くらいでいいから」
「別にいいけど、おみくじ引くだけなら200円でいいんじゃないの?」
「ついでに、柚木の分も引くから。あと、俺の分は大吉が出るまで引く」
「ズルはやめなさいよ。ほら、400円」
「仕方ない、出資者様の言う事を聞くとしよう」
柚木の手から100円玉4枚を受け取り、そのまま目の前の巫女に渡す。二十代の前半だろうか、俺達よりは年上に見えるが、十分若く美人だ。きっとアルバイトだろう。
「おみくじ2枚、大吉で」
「それはお兄さんの運次第ですね」
微笑みと共に差し出された木の筒を、とりあえず一回転させる。念を込めてもう一度回し、隙を突くようにして縦に振る。
「まずこれが柚木の分」
出てきた木の棒に書かれた番号、17番を巫女に見せ、筒に戻す。
「そしてこれが俺の分だっ!」
先程の行程を更に三度繰り返し、先程の三倍の速度で筒を振ると、穴から勢い良く飛び出してきた棒が可乃の額に直撃した。
「よっしゃ、1番だっ! これは勝ったな」
「よっしゃ、じゃなくて、謝りなさいよっ!」
「あ、ごめんごめん」
おざなりに謝りつつ、筒と棒を巫女へと返す。巫女は俺から受け取った筒をそのまま隣の可乃に渡し、200円を受け取った。
「1番と17番でよろしかったでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
木筒を振る可乃を横目に、奥から来た別の巫女からおみくじを受け取る。
「柚木の分はいっしょに見るとして、こっちが俺のだな」
裏面に1と書かれた方のおみくじに手をかけ、開いていく。
「……微妙だな」
まず目に入ってきたのは、『小吉』の文字。
「どうだった? 私は……吉か、普通ね」
「よし、可乃には勝ったか」
引き終えたおみくじを見せてきた可乃に、こちらも見せ返す。
「何よ、小吉じゃない。私の方が上でしょ」
「バカめ、吉は小吉より下だ。大吉、中吉、小吉、吉、末吉だろ」
「何言ってんの、小さい吉なんだから、吉より下に決まってるじゃない」
「いや、そう言われても」
理由など知らないが、小吉の方が吉より上なのはたしかだ。テレビでやってたし。
「まぁ、大切なのは内容だ。恋愛、恋愛っと……」
いくつかある項目から、まず目下の関心事である恋愛を探してみる。
「『恋多き一年 注意して行動すべし』か。これは、いいのか?」
「よくわかんないけど、いいんじゃないの? 私なんか『将来幸福になる』だし。将来っていつよ」
おみくじの文面はどうにもわかりづらい。可乃と二人首を捻る。
参考程度に他の項目にも一通り目を通し、一旦おみくじはポケットにしまう。
「じゃあ、そういう事で。金は今度会った時に返すつもりはある」
おみくじを引くという目的はすでに達成された。財布も無いし、後は帰るしかない。
「もう帰るの? もう一個のおみくじは?」
「あと一つは柚木のだし。柚木といっしょに開けようと思って」
「柚木って昨日の子でしょ? 今からあの子の家に行くわけ?」
「いや、今は俺の家にいるから、このまま帰るだけだな」
「あ、そっか、従妹って言ってたもんね。泊まってるのか、いいなー」
何に対して羨望の声を漏らしたのかわからず、首を傾げる。
「なんだ、お前も俺の家に泊まりたいのか?」
「ち、違うわよ、何言ってんの!? 私もあんなかわいい従妹が欲しかったって事!」
顔を赤くしながら、可乃は必死で両手を振って否定する。
「そうだ、これから私もあんたの家に行くから、そこでお金返してよ」
「えー、まぁ、別にいいけど。……えー、マジでー? 来んのー?」
「嫌ならはっきり言いなさいよ!」
「じゃあ、嫌だ」
「はっきり言うんじゃないわよ!」
理不尽だ。理不尽を辞書で引いたら、用例の二番目に載っていそうなくらい理不尽だ。
「別にいいじゃない、それとも、お金返す気ないの?」
「貸した金の事をいつまでも引きずる女は嫌われるぞ」
「借りた金を踏み倒そうとする男の方が最低だと思うけど」
金を借りてしまった分、今は俺の立場の方が弱い。仕方がないので、隣に可乃を引き連れながら、自宅までの道を戻る事にした。
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