2-5 妹の友達を食い荒らすためのいくつかの方法

「……ひろ兄、起きてっ。ごはんだよっ!」

「ん、んあ、なんだ、パキスタンがどうしたって?」

 肩を大きく揺さぶられる感覚に、一気に意識が覚醒する。

「一文字も合ってないよっ!? ほらっ、ごはんだから起きて」

「ああ、ごはんね。はいはい、パキスタンの」

「日本のお正月の伝統的な料理、おせちだよっ!」

「なんだその説明」

 まだ頭の回らない俺を、柚木が懸命に立ち上がらせてくれる。

 時計を見ると、ちょうど七時を回ったところ。可乃を送り届けて家に戻った後、予定調和的に襲ってきた昨日の徹夜から来る睡魔に身を任せて、まだ一時間も経っていない。道理でいまだに思いっきり眠いわけだ。

「ちゃんと自分で歩いて。もう、ひろ兄は仕方ないんだから」

「柚木、人と言う字は、人と人が支え合う形じゃなくて、一人の人が大きく足を広げて立っている形からできたんだよ」

「……だからっ!? それなら一人で立ってよぉ!」

 なんだかんだ、柚木にもたれかかったままで階段まで来ていた。優しい従妹をもって何よりだ。

「あっ、やっと来た。ありがとね、ゆずちゃん」

「おっ、弘人くん、ひさしぶり。相変わらず男前だなぁ」

 食卓に辿り着くと、既に席に着いていた二家族、俺の家族と柚木の家族に出迎えられる。

「友希と比べれば、そりゃ男前にも見えますよ」

「いや、友希くんと比べると残念ながら少し劣るかな」

「またまたぁ、こんな時間から酔っぱらってんですか」

「良く気付いたね。正直、俺も飲み過ぎたな、と思ってたんだ」

 がはは、と大声で笑う伯父さんの脇を抜け、空いていた席に座る。

「でも、本当にかっこよくなって。柚木がひろ兄、ひろ兄って言うのもわかるわ」

「ちょっと、お母さん!? 何言ってるのっ!」

 顔を赤くしながら伯母さんに噛みつく柚木も、いそいそと俺の隣に座った。

「ひろぉぁ、かーょもいぇんらぁぁ、いっぉゅぅちゃっとつぃぁっゃぁいぃ」

「いや、あんたは何語を話してるんだ」

 ベロンベロンになった父の言葉は、欠片すら理解できそうにもない。どうせ、酒に弱いのに伯父さんに付き合ってこうなったのだろう。

「そんな事言ったら柚木ちゃんに失礼でしょ、ねぇ」

「えっ、通じるの? 俺がおかしいの?」

「心配しなくても、普通わかんねぇから」

 同じ家族の中でも、どうやら両親の意志の疎通は一段と強いようで。俺と友希にはまったくわからない父の言語に、母は一人笑って返していた。

「友希、最近アレはどうだ?」

「アレ? なんだよ、それ」

「アレだよアレ、赤くて柔らかい、足のいっぱい生えてるアレ」

「いや、わかんねぇし、なんか気持ちわりぃよ」

 負けじと兄弟の絆を見せつけようとするも、無残に失敗。ちなみに、正解はタコでした。

「はっはっは、しかし、二人は仲がいいな。やっぱり男兄弟だからなのかねぇ、俺と江美が二人くらいの時は週に一度口を聞いてくれればいい方だったんだが」

 しかし、伯父さんには仲がいいように映ってくれたみたいで、嬉しい限りだ。

「そんな事言って、お兄ちゃんだって、別に私と話そうともしてなかったじゃない」

「それが、俺達がそんなに仲良くなかったって事じゃないか」

「まぁ、私達くらいが普通だと思うけどね」

 この場において、兄弟関係は俺と友希の他にもう一組、俺達の母と伯父もまたれっきとした血の繋がった兄妹だ。だからこそ、柚木は俺と友希の従妹なわけで。

「叔父さんは、母さんの友達に手を出したりとかしてませんでした?」

 目下最大の関心事への糸口について聞きたくなるのも、俺にとって当たり前の事だった。

「っブッ! ……カはっ、こほッ。きゅ、急にどうしたんだい、弘人くん!?」

「あなた……ちょっと」

 盛大にむせ返った叔父さんの反応が、千の言葉よりも明確に答えを示していた。どうやら同じ解釈に達したらしい伯母さんの声が、心なしか冷たい。

「いや、なんかの参考にくらいなるかな、と思って。やっぱり、妹の友達っていうのはそうじゃない子よりも背徳感とかあって興奮するもんですか?」

「わかった! お年玉だなっ! いくら欲しい? 五か、十か!?」

「うっ……いや、それよりも妹の友達の話を……やっぱり十で」

「いや、買収されんのかよ」

 なんだかんだ言って、金はいかなる時にも有用だ。参考になるかどうかも未知数な伯父さんの話より、確実に手に入る十万を求めるのは間違っているだろうか? 否。

「まぁまぁ、話してあげればいいじゃないですか。あなた、これからはそんなにお金の余裕もなくなるわけですし、十万円は痛いでしょう」

「ちょっ、春江!? そんな殺生なっ!」

 しかし、どうも伯母さんの説得と経済制裁の影響で、十万が俺の懐に飛び込む事はなくなりそうだ。

「ええいっ、自棄だ、なんでも話してやるっ! さぁ、来い、弘人くん!」

 無理にテンションを上げる伯父さんには悪い事をしたと思わなくもないが、正直言って俺にとっては大事の前の小事だ。

「じゃあ、まずはさっきも言ったように妹の友達の良さを。後、相手からどう呼ばれてたかとか、どういう感じで仲を深めていったかとかも聞きたいですね」

「おぉ!? け、結構がっつくなぁ、弘人くん」

「あの頃がっついてたのはお兄ちゃんだけどね」

「…………」

「え、江美? 春江も、なんだ、昔の事じゃないか、ははははっ……ゴほっ!」

 豪快に笑いながらビールを呷った伯父さんが、当然のように豪快にむせた。

「それで、どうなんですか? 答えてください、さぁ」

「わ、わかったわかった」

 わずかに顔を寄せ、目を見て尋ねると、伯父さんは喉を一度鳴らして話し出す。

「……えっと、まず、妹の友達のいいところは、とにかく落としやすいところだな。年上の男に憧れがあるんだろうね、少し優しくしてやるとすぐに惚れてくれる。ああ、これは三つ目の答えだね。どう呼ばれてたかは、その子によって違ったけど、最初は『お兄さん』が一番多かったかな。たまに名前で呼び捨ててくる子とかもいるんだけど、ああいうタイプは結構独占欲が強くてめんどくさいね。それと……」

「あ、もういいです。どうも」

「あれ、そうかい? これからが楽しくなってきたんだけどな」

 伯父さんの話は俺の思っていたそれとは若干違っていて、参考になりそうもない。俺の夢である妹の友達との恋愛とは、もっとこう純粋であってほしいのだ。

「それなら、私が聞きましょうか。さぁ、どうぞ?」

「は、春江? いや、そのだな……」

 なんだか伯父さんと伯母さんがいちゃついているが、俺には関係の無い話だ。

「さて、食べるか……あれ、俺の箸は?」

「え、ちゃんと出したと思うけど。ああ、ゆずちゃんが使っちゃってるわね」

 見ると、たしかに柚木の手には俺のいつも使っている箸が握られていた。

「これって、ひろ兄のだったの!?」

「ごめんね。たしかに、ゆずちゃんの分の箸が足りてなかったかも。持って来るわ」

「どぉせなぁ、たえぁえぇもぁったぁいぃゃねぇぁ」

 通訳係が箸を取りに行ってしまい、父の謎の言語は完全に解読不能だ。

「えぇっ!? でも、うん、私はひろ兄がいいなら……」

「なに、柚木、これなに言ってるかわかんの?」

「おぉ!? ひぉお、こぉまぇぃぁえぇ、とぉぇんぉぁ!?」

「だからわかんない! あと酒臭い! それと近い!」

 半狂乱の父が必死の形相で迫ってくる様は、ただただ恐ろしくおぞましい。半開きの口からのマーライオンがごとき汚水シャワーを浴びかねないのもあって、全身全霊の力で引き離す。

「うぅ……よし、ひろ兄! あーんっ!」

「うわっ、危なっ!」

 かと思ったら、父の逆から鋭く突き出された箸が顔の横を抜けていった。箸の先には黒豆が挟まれており、それを握る柚木の目はきつく閉ざされている。

「あれっ? なんで食べてくれないの? ほらっ」

「ひぉお、おぁぇあぁ!」

「あらあら、仲良くしちゃって」

 刺突と臭気、二つの脅威に同時に襲われる俺を見て、戻ってきた母が呑気に笑う。

「……いや、だからだな、いいじゃないか済んだ事だし」

「済んだ事だから、私も笑って聞いているんでしょう」

「笑ってって、俺には笑ってるようには見えないんだけど……」

 少し離れた伯父さんと伯母さんの話は気になるが、気にしている余裕はない。

「……はぁ、落ち着いて飯も食えやしねぇ」

 感想だけは弟が代弁してくれたので、俺はしばし目の前の危機に集中する事にした。

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