2-2 彼女は意外と簡単にできるし簡単に別れる

 海原可乃は、俺のクラスメイトだ。

 あえて説明しろ、と言われたら、俺は誰に対してもそう説明するだろうし、それはそのまま俺自身の可乃に対する見方でもある。

 高校から、それも二年で初めて同じクラスになった可乃とは、特別に気が合うわけでもなければ、共通の知り合いがいるわけでもない、いわゆる普通のクラスメイトだった。

 事の発端は、一人の友人による、俺が可乃の事を好きだという勘違い。

 後で話を聞いたところ、その勘違いが生じたのは、一時期の俺が毎日のように可乃の事を眺め続けていたためらしいが、肝心の俺にそんな記憶は全く無い。多分、窓からの光が鬱陶しくて顔を背けていたら、その先に可乃の席があったとかなんかそんなところだろう。

 とにかく、その早とちりでしかもお節介でなおかつ口の軽い友人により間違った噂が広まっていき、それとほぼ同時に全く正反対の内容、つまり可乃が俺の事を好きだという噂が俺へと届く事になった。今考えれば、伝言ゲームが失敗した結果なのだろうが、そもそも元の噂すら知らなかった当時の俺にそんな分析ができたわけもなく。

「で、お互いに勘違いしたまま付き合って、その後すぐ犬派と猫派で争って五分で別れたわけだ」

 一度喧嘩をしてしまえば、互いに『あれ、こいつ俺(私)の事好きな割にはやたら遠慮ないな』と気付いてしまうのは当然で、結果的に双方ともに特に好きでなかったと発覚した後、喧嘩の勢いもあってそのまま俺達は別れる事となった。

「ちょっと、その話はもう蒸し返さないって事になったでしょ! あれ以上猫をバカにするようなら、本気で怒るわよ!」

「別にバカにはしてないだろ。ただ、犬の方がいいっていう事実を言っただけで。ス○ーピーもウ○ギイヌも人面○も犬だし」

「それなら猫にだって、キ○ィちゃんとかいるじゃない」

「あれはほとんどリンゴでできてるからノーカン」

「別にリンゴでできてるわけじゃないから!」

 ついでに、可乃が相当なポンコツである事もあの短時間で初めて知った。普通は猫より犬だろ。

「……よかった、ひろ兄に手を出した泥棒猫はいなかったんだねっ」

「あっ、あなたまで猫をバカにして! 泥棒猫って何なのよ、犬だって似たような事してるじゃない!」

「いや、今のは猫をバカにしたんじゃねぇだろ……」

 簡単に事情を説明すると、一気に場の雰囲気が緩んだ。みんな猫派のしょうもない足掻きを見て呆れているのだろう。

「結局、お互いに相手が自分の事を好きだと誤解していたという事でいいのかな?」

「簡単に言えばそうですね」

「でも、誤解が解けて付き合うのやめたなら、ひろ兄とこいつが付き合ってた事にはならないんじゃないの?」

「まぁ、それは――」

「違うわよ、弘人と私は一回付き合って、その後に別れたの。だから、一応付き合ってた事にはなるの」

 相変わらず可乃に対して口が悪い柚木に言葉を返そうとするも、重ねるように割り込んできた可乃が代わりに答えてしまう。

「そんなの、ただの誤解じゃん」

「そうよ、だから別れたのよ。でも、付き合ってた事に変わりはないじゃない」

「別にどっちでもいいだろ、結局別れたんだし」

「「よくない!」」

 柚木と可乃の言い合いを止めようとするも、声を揃えて怒られてしまう。まったく、いつもそのくらい仲良くしていてほしいものだ。

「そう言えば、友希、結構長くここにいるけど、彼女ほっといていいのか?」

「……あー、そうだった。くそっ、こんなしょうもない話なら聞くんじゃなかった」

 ごく自然に座り込んでいた友希に声をかけると、悪態をつきながら部屋を出ていく。まったくもって同感なので、彼女に怒られてついでに振られてしまえばいいと思う。

「さて、友希も戻った事だし、静かにしよう。運が良ければ友希のブヒブヒ鳴く声が聞こえてくるかもしれないからな!」

『だから、うっせぇぞ兄貴!』

 壁越しに帰ってきた友希の声が、そのまま俺の声があちらに聞こえている事の証明になる。あいつの彼女が帰るまでちょくちょくこうして嫌がらせをしてやろう、へっへっへ。

「もしかしたら、弟くんが真珠を入れているという話も聞こえてしまっていたのかな?」

「あっ、聞いてみます? おーい、友希! 真珠棒の件だけど――」

『兄貴の机の上から二番目の引き出しに入ってるから!』

 続けた嫌がらせは、ごまかしの答えによって掻き消されてしまった。

「そろそろやめなよ、ひろ兄。本当にとも兄が彼女さんと別れちゃったらどうするの?」

「心配するな、そうなったら肩を優しく叩いて夜の店に連れて行ってやる」

「いや、何の解決にもなってないよね!? 大体、二人ともまだ未成年でしょ!」

「大丈夫、友希の性癖は大方把握してるから」

「なんで把握してるの!?」

「そりゃあもう、兄弟だからな」

 俺達兄弟は、普通よりも仲が良いと自負している。

 だが、だからこそ、弟に彼女がいて俺にはいないなんていう状況を甘んじて受け入れるわけにはいかない。俺が妹の友達と付き合うまで、友希には――

「――そうか、その手があったか」

 ふと、ひらめきが頭に浮かぶ。それは非常に俺の夢に近く、それでいて現実的に可能な中ではもしかしたら最善の策かもしれない。

「ちょっと行ってくる。三人とも、あんまり部屋を漁っちゃダメだぞ」

「あっ、ちょっと、ひろ兄!?」

 扉を開け、部屋を出ると、すぐ隣の友希の部屋の扉を開ける。

「なんだ、おっ始めてないのか」

「あれっ、お兄さん? どうも、お邪魔してます」

 部屋の中、弟とその彼女、優子ちゃんは向かい合って座っていた。

 俺が顔を合わせるのは三度目になるだろうか、こちらを向いた形になっていた優子ちゃんが、驚きながらも頭を下げてくる。うむ、いい子だ、悪くない。

「兄貴? なんだよ、ついに直接邪魔しに来やがったか?」

「まさか、その逆だ。友希、お兄ちゃんはお前達の事を応援する事にしたよ」

「は? 何言ってんだ?」

 振り向いた友希の怪訝な顔が、更に怪訝なものに変わっていく。

「単刀直入に言おう。友希、そして優子ちゃん。結婚してください!」

「ええっ!?」

「はぁっ!?」

 二人が同じタイミングで、各々違うリアクションで驚く。

「なんでっ!? ひろ兄、妹の友達しかダメなんじゃなかったの!?」

「そんなっ! 弘人が犬好きの上にバイセクシャルだったなんて……」

 そして、ほぼ同じタイミングで背後からも的外れな声が聞こえる。

「お願いしますっ、俺のために結婚してください!」

 だが、ここで退くわけにはいかない。

 夢のため、俺は再び弟とその彼女へと頭を下げた。

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