1-4 同じ学校の一つ年上の人

「……で、さっきは何で怒ってたんだ?」

 腕にしがみ付くようにして隣を歩く柚木に、恐る恐る問いかける。

 急に怒り出した柚木は、友希に何か耳打ちされるとこれもまた唐突に機嫌を直した。それどころか、むしろいつにも増して友好的な態度に変わり、それは柚木の両親、俺にとっての伯父さん伯母さんに挨拶し、お年玉を貰い初詣へと出かける事になった今の今まで続いている。あまりに急激すぎる機嫌の変化に、また何かの拍子で一転して怒り出すのではないかとこちらとしては気が気でない。

「ううん、ちょっと勘違いしちゃって。急に怒ってごめんね、ひろ兄」

「いや、気にしてないから別にいいんだけど」

 先程の話を掘り返しても、怒る様子は見せない。

「でも、短気なのは良くないな。カルシウムが足りてないのか? それともあの日か?」

「――っ、もうっ、女の子にそういう事言わないのっ!」

 今度は怒られてしまう。やっぱりカルシウムが足りてないか、あの日なのだろう。

「しっかし、友希はデートか。なんであいつばっかりモテるのかねぇ」

 家では緩衝材となってくれていた友希は、初詣の話をするなり「ああ、俺は彼女と行くからパスな」と言い腐り、本当にそのまま家を出てしまった。

 思い返せば、あいつはクリスマスもそうだった。ついでにクリスマスイヴもそうだった。少しくらい家族と居る時間を大切にしてもいいのではないだろうか。くそ、羨ましい。

「ひろ兄だって、変な条件付けなければ彼女くらい作れると思うけどなぁ」

「慰めてくれなくっていいんだ、俺があの夢を持ち出したのは昨日からなんだし……」

「……慰めてるわけじゃないんだけど」

 かわいい従妹の優しさを受け取り、今日もまた俺は前を向いて歩いていく。

「ん? あれは……月代先輩!」

「えっ、ちょっ、ひろ兄?」

 前を向いていたおかげか、少し離れた十字路の角から現れた見知った顔を見つけた。

 いつもはまっすぐに伸ばしている髪を後ろで結び、さらに見慣れない着物姿ではあったものの、その整った横顔は見間違えようもない先輩のもの。

「柊くん? ……っ」

 小走りで駆け寄るも、向こうは着物とは思えない速度で走り去っていく。

「待って下さい、先輩! なんで逃げるんですかっ!?」

「忘れてくれ、今の私には君に合わせる顔が無いっ」

 少しだけ逃げる側と追う側に別れるも、やはり走り辛かったのか、やがて両者の距離はゼロにまで縮まる。

「掴まえましたよ、先輩。まさか、こんなところで会えるなんて」

「ははっ……掴まってしまうとはな。情けない話だ」

 なおも逃げようとするその腕を掴むと、先輩は観念したようにその足を止めた。

「えっと、ひろ兄? 私は席を外してた方がいい感じ?」

 少し遅れて、追い付いた柚木の控え目な声が後ろから聞こえた。

「なんでだ?」

「いや、なんでって、なんか深刻そうな感じだし」

 俺と先輩に交互に視線を移す柚木を見て、先輩が口元を小さく歪めて笑う。

「心配しなくても、私と柊くんの間には特に深刻な事情はないよ」

 続いて、小さく一礼。

「私の記憶が正しければ、はじめまして、かな。私は柊くんと同じ部活の、一応先輩をさせてもらっている月代花火です。今後ともによろしく」

「えっと、これはご丁寧にどうも?」

 柚木もそれにつられてか、ぎこちなく礼を返す。

「よければ、君の名前も聞かせてもらいたいんだけれど」

「あっ、そうですよね。ひろ兄の従妹の、椎名柚木といいます。よろしくお願いします」

「椎名さんか、ありがとう」

 緊張した様子の柚木に対し、月代先輩の方はごく自然体で微笑む。

「でも、事情が無いならなんで月代さんはひろ兄から逃げてたんですか?」

「ん、その事か。それは、柊くんの事が苦手だからだよ」

「そうだったんですか!?」

 さらりと告げられた聞きたくない一言を、俺の耳は聞き逃さなかった。

「む、柊くん。女の子のないしょ話を盗み聞きするのはよくないな。女の子の話というものは大体は知り合いの陰口か、男子のそれよりひどい下ネタで構成されているんだから」

「嘘だっ! 女の子はいつも甘いものの話とラテアートの話しかしないんだいっ! 間違っても隣の席の女子がクラスの友達に『柊ってさぁ、なんか私の事いっつもチラチラ見てくるんだけど、マジきもくね?』とか言ってたりなんて事はないんだいっ!」

「ひろ兄、そんな事あったの?」

「うん、そうだね、今回は私が悪かった。たしかに私も甘いものとか結構好きかな」

 電柱に額を支えてもらっていると、頭を優しく撫でられた。泣いてないのに。

「まぁ、冗談はさておき、柊くんから逃げたのはデートの邪魔をしては悪いかと思ったからだよ。実際のところは、従妹さんだったみたいだけれど」

「だとしても、別に逃げなくても。邪魔だと思ったら、そもそも声かけませんよ」

「君の方はそうでも……いや、デートでなかったのならこの話はいいか」

 俺からするとなんとなく悲しい感じで、月代先輩は話を打ち切った。

「それで、二人はこれから初詣かい?」

「はい、そのつもりですけど。やっぱり先輩も?」

「柊くん、あんまり女の子にそういう事を聞くものじゃないよ」

「先輩、これでダメなら俺はもう一生女の子と話せる気がしません」

 流れそのままに聞き返しただけなのに、先輩はなぜか顔を曇らせてしまっていた。

「聞かれたからには答えるけど、私も初詣に行くところだったのはたしかだよ。ただ、私は一人で行こうとしていたんだ」

「一人で、ですか。まぁ、別にそれでもいいんじゃないですか?」

 少なくとも、彼氏と行くなんて言われるよりも大分マシだ。幸せ自慢は弟だけでいい。

「本当に? 柊くんは私が一人で着物でしちゃうような恥ずかしい女の子でもいいと?」

「一人で着物ってのは気合入ってるなー、とは思いますけどね」

「……自分でもそう思っていたけど、まさか面と向かって言われるとは思わなかったよ」

「ひろ兄、ひどい」

 落ち込んだ様子を見せる月代先輩に同調し、柚木が俺を責めてくる。あくまで冗談なはずなのだが、先輩は一々小芝居が真に迫り過ぎているから困る。

「そういうわけで、気合入ってるなー、あいつバカじゃねぇの? とか思われるのは恥ずかしいから、よければ私も二人と一緒に初めてを詣でさせてもらえないかな」

「いいですけど、むしろ普段着の俺達といる方が気合入ってるように見えちゃうかもしれませんよ?」

「……そうか、いや、嫌ならいいんだ。元々一人で行くつもりだったんだから」

「もう、ひろ兄はなんでそういう事言うかなぁ。ねっ、一緒に行きましょう、月代さん」

 またも、同じ流れで柚木に怒られてしまう。先輩はきっとわかってやっている。

「そう言ってもらえるなら嬉しいな。でも、柊くんは……」

「だから、いいって言ってるでしょうに。むしろ、断る理由がありませんよ」

「そうかい? それならお言葉に甘えさせてもらおうかな」

 かくして、俺と柚木の初詣に月代先輩も加わる事になったのだが。

「ひろ兄は、学校だとどんな感じですか? モテモテな感じですか?」

「まぁ、そうだね。目の前で衣服を脱ぎ出せば、大抵の女子が黄色い声を上げるくらいには人気があると思うよ」

「やっぱり……ひろ兄いつもそんな事やってるんだ」

「うん、特に体育の前なんかは、それはもう豪快に脱ぎ捨ててるね」

「……あの、なんですかこれ」

 すっかり打ち解けた様子の二人の会話の内容も気になるが、それ以上に非常に歩き辛い。

「うん? 前に『両手に花が夢なんですっ!』って熱く語ってくれたじゃないか」

「それは三つ前の夢で、今の夢は違います」

「ひろ兄の夢って、そんなのばっかだね」

「……じゃなくって、なんで両手に花の状態に?」

 両隣からの視線は過剰に近く、それだけならまだしも、体も近過ぎて正直邪魔だ。

 なぜか俺の腕にしがみ付いてきた月代先輩と、少し遅れてもう片方の腕を絡め取った柚木に挟まれ、今の俺は両手に花というよりも両手に蔓が巻き付いた状態になっていた。

「日頃の行い、だろうね」

「褒められてるのか貶されてるのか微妙なとこですね」

「それはそっちで判断してくれて構わないよ」

 先輩の意味深な笑いにはどこか視線を引き寄せるものがあるが、足運びに必死で見惚れるほどの余裕はない。

「とりあえず、十分堪能したのでそろそろ離してください。柚木も、ほら」

「えぇーっ、ひろ兄のケチ」

「随分と欲がないね。私の知っている柊くんは除夜の鐘に浄化されてしまったのかな?」

「俺が丸ごと煩悩の化身だったみたいな言い方はやめてください」

 柚木は渋々、先輩はあっさりと、二人が適切な距離まで離れたところで再び歩く。

「うわぁ、やっぱり混んでるなぁ」

 ほどなく、見えてきた人の群れに柚木が声を漏らす。思わぬアクシデントで少し走ったおかげか、予想より大分短い時間で神社の前まで辿り着いていた。

「ねぇねぇ、ひろ兄、並ぶのめんどくさいから、わたあめだけ買って帰らない?」

「そうしたいのも山々ではあるけど、今年ばかりはそういうわけにもいかないな」

「あの夢の事? そういうのは、神様に頼むんじゃなくて自分の力で叶えるものだよ!」

「いや、いい事言ってるみたいだけど、それって行列から逃げてるだけだから」

 この程度の行列に屈するようでは、自力で夢を叶えるどころか、その後に控える友子ちゃんとのテーマパークでのデートにすら耐えられない。アトラクションの何倍もの長さの待ち時間に耐えるため、並ぶ事を楽しむくらいの気概を今からでも養っておくべきだ。

「柊くんの夢、か。そう言えば、さっきの話だとまた新しい夢ができたみたいだけど」

「そうなんですよ、聞きます?」

「いや、話したいなら別だけど、あえて聞こうとはしないよ。初詣の願い事というものは人に言わない方がいいらしいからね」

「ええっ!? もう弟と柚木には言っちゃったんですけど! それどころか、書き初めにして部屋に飾っちゃってるんですけど!」

 先輩から告げられた初耳の情報は、俺にとっては中々にショッキングなものだった。特に縁起を担ぐ方ではないが、どうしても出鼻を挫かれた感は否めない。

「まぁ、あくまでも一説に過ぎないから……って、何をしてるんだい?」

「止めないで下さい、今から二人に話したという記憶だけを綺麗に忘れるんです」

「やめてってば、ひろ兄っ、鳥居の赤がそこだけ鮮やかになっちゃうからっ!」

 柚木が涙目で止めてくるので、仕方なく鳥居に頭を打ち付けるのをやめる。痛いだけで記憶もなくならず、これでは丸損だ。

「何というか、その方向性なら普通は相手の記憶を消そうとするんじゃないかな?」

「いや、それはないです。友希と柚木の記憶を消しても、肝心の俺が覚えてたら結局言っちゃった事に変わりはないですし」

「なるほど、主観が全てだと。相変わらず柊くんは面白いね」

「すごい自己中な考え方だね……私としては頭叩かれなくて助かったけど」

 感心する月代先輩と頭を抑える柚木を引き連れ、長い行列の後ろに並ぶ。

「まぁ、一人に言うのも百人に言うのも同じですから、いっその事それについては気にしないようにしますよ。そういう事で、聞きますか?」

「話したいのなら、聞く事もやぶさかではないかな」

 話を戻すも、先輩の喰い付きはあまり良くない。

「別にそこまで話したいわけじゃないんですけど。でも、やっぱりせっかくだから言いましょうか」

「いや、特に話したくないなら私としては構わないよ」

「話したくないわけじゃないんですよ。ただ、先輩はどうなのかなーって」

「だから、私はどっちでも構わないんだけれど」

「…………」

「…………?」

「察してっ! 聞きたいって言ってくださいっ!」

 平行線のやりとりに、根負けしたのは俺だった。見上げてくる目から考えは読み取れないが、先輩なら絶対にわかっていて遊んでいる。でも、ここで折れたら言えない。

「あっ、言いたいのか。ごめんごめん、本当は聞きたいよ」

「形すら取り繕う気ないっすね。いいですよーだ、別に話したいわけじゃないですし」

「そうなのか、それなら良かった」

「あーっ、もうっ! だからそこで引き下がらないっ!」

「ひろ兄、めんどくさいよ……」

 先輩に遊ばれている俺に、柚木が冷めた目を向ける。なんだ、これは俺が悪いのか?

「そもそも、そんなにもったいぶって言うほど大した事じゃないでしょ」

「む、いくら柚木でも俺の夢を嘲笑うようなら容赦しないぞ。寝込みを襲って耳に擦りごまを詰め込んでやる」

「わかんないけど、意外とひどい事になりそうだからやめて!」

「大丈夫、人ってのはそう簡単には死なないようにできてるから」

「死ぬとかいうレベルだったの!?」

 柚木に軽く脅しを入れ、月代先輩へと向き直る。

「とりあえず、先輩が聞きたいという体で話を進めさせてもらいますけど、いいですね?」

「柊くんがそれでいいなら、あえて否定はしないよ」

「ありがとうございます!」

「そんな感じでいいんだ……」

 柚木が何か呟いているが、俺には聞こえない。めんどくさいって言っといて、すぐ後にそんな事を言うような子はもう知らない。

「それでですね、俺の夢は……なんか、こんな感じで言うのってちょっと変ですかね」

「私としては、THE・夢を語る若者って感じでいいと思うよ」

「そのフレーズはなんか嫌だなぁ」

 流れの中でならともかく、一旦話が落ち着いてから改めて自分から発表するのはなんだか気恥ずかしい。先輩から聞いてくれればいいのだが、どうも期待はできない。

「もう、言うなら早く言いなよ。そろそろ順番来ちゃうよっ」

「本当だ、やっぱり話していると時間はつぶせるね。二人に付いてきてよかったよ」

「……そうか、そういう手もあったか」

 言われて前を見ると、長かった行列も気付けば前に数組を残すのみ。ならば、無理にここで俺から話を進める必要もない。

「そう言えば、その着物って先輩のですか?」

「ん、これかい? これは姉のものを借りたんだけど、それがどうかしたかな?」

「いや、似合ってるなぁ、と思って」

「そ、そうかな? 褒めてもらえるのは嬉しいけど、また随分と急だね」

「先輩がいきなり逃げ出さなければ、会った時に言ってましたよ」

「いや、そういう意味ではなくて……」

「ほら、もう次の次だよ、二人ともお賽銭用意してっ」

 話を逸らしている内に、ついに社のすぐ目の前までたどり着く。奮発して五円玉を五つ財布から取り出し、しっかり右手に握り込む。

「柚木は五円か、まぁ定番だな」

「別にご縁が欲しいわけじゃないんだけどね。他にいくらがいいのかわかんないし」

「先輩は、その財布ごとですか? 随分と豪勢ですね」

「あぁ、やたらと一円玉が溜まってしまってね。この機会に全部払おうかな、と」

 言葉の通り、先輩のがま口財布は相当数の一円玉で埋め尽くされていた。金額では先輩に負けてしまうだろうが、こういうのは金額より気持ちの問題だ。

 まだ見ぬ妹の友達とのご縁を求めて五円を五枚にした俺の気持ちの強さは、実に5の5乗。計算しようと思ったが、意外とめんどくさかったのでやめる。

「えっと、ひろ兄、礼とかどうやるんだった――」

 いよいよ俺達の順番、柚木の問いに答えるよりも先に、俺は勢いよく五円達を賽銭箱の中に投げ込んでいた。そのまま勢いよく鈴を鳴らし、両の掌を勢いよく叩き付ける!

「神様、どうか俺を妹の友達と付き合わせてくださいっ!」

 一度言ってしまったら、一人に言うのも百人に言うのも同じだ。だから、必ず届くように、出せる限りの声で神様へと願いを叫んだ。

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