1-3 親の兄の娘

「……じゃあ、とも兄はひろ兄の相談から逃げようとしてただけって事でいいの?」

「まぁ、簡単に言えばな」

 鬼気迫る勢いの柚木を引き剥がしてくれたのは、やはり愛しの弟だった。そのまま友希に小声での説得を受けた柚木は、嘘のように大人しくなり、そして今に至る。

「なーんだ、そうだよね。よかったーっ!」

「いや、よくないよくない。ひろ兄がとも兄に見捨てられちゃうんだってば」

「あっ、そっか。ダメだよとも兄、兄弟としてひろ兄と仲良くしなきゃ」

 腰に手を当て、いわゆる『めっ』のポーズを取るも、柚木の口元はだらしなく緩んでいる。何がそんなに嬉しいというのか。

「普通の弟は兄の相談になんか乗らねぇよ。せめて逆だろ」

「じゃあ、普通より仲良くすればいいんだよ。あっ、でも、あくまで兄弟としてだよっ」

 笑顔から一転、柚木は自分の言葉に慌てたように手を小刻みに振った。

 椎名柚木は、俺と友希の母親の兄の娘、つまり従妹だ。

 伯父の結婚が比較的遅かったおかげで、柚木は俺より二歳、友希より一歳年下の従妹であり、家が近い事もあって俺達兄弟を妹のように慕ってくれている。

「妹のように……ハッ、そうか! ……いや、やっぱりダメだな」

 ふと、頭に生じた甘えを切り捨てる。

 従妹の友達は、字面も関係性も妹の友達と似てはいるが、あくまで別物だ。悪くはないが、少なくともまだそこに甘える段階ではない。

「わっ、ビックリしたぁ。どうしたの、ひろ兄?」

「大丈夫、少し妥協しかけただけだから。それより、柚木もひさしぶりだな」

 こちらを向いた柚木の頭を撫でる。妹でなくとも、やはりかわいいものはかわいい。

「う、うん。受験のあれこれでちょっと忙しくってね。でも、しばらくは泊まるからずっといっしょだよ」

「泊まるっつうと、伯父さんと叔母さんもか?」

「ううん、お父さんとお母さんも今日は泊まってくみたいだけど、その後一週間くらいは私だけだよ」

「一週間か……結構なげぇな」

 友希のわずかに吐いた溜息に、柚木が目を細める。

「何、とも兄は私がいると嫌なの?」

「嫌ってわけじゃねぇけど……」

「うー、なんかイヤな感じ。ひろ兄は、私がいっしょでも嫌じゃないよね?」

「そうだな、とも兄も照れてるだけだから心配しなくても大丈夫だ」

 もう一度頭を撫でると、柚木の顔から不安そうな色が消し飛んだ。

「そっかー、とも兄照れてるんだー。かわいいーっ」

「照れてねぇっつうの。後、兄貴はとも兄言うな」

 なんだかんだ、友希も柚木の事をかわいがっている事は間違いない。柚木だって俺が言わなくともそれくらいわかっていて、その上でじゃれているだけにすぎない。

 からかうように体をつついてくる柚木をおざなりに払い除け、友希が立ち上がる。

「まぁ、とりあえず、こんなとこで話してないで伯父さん達に顔出しにでも行こうぜ」

「俺の城をこんなとこ呼ばわりするとは失礼な」

「こんなところ、こんなとこで十分だろうが。いいから行くぞ」

「でも、ひろ兄の部屋、いつもより綺麗だよね。前来た時なんか、床にマンガとかゲームがぐっちゃーって散らばってて、ベッドの上くらいしか座るとこなかったし」

 部屋を改めて見渡していく柚木の視線から逃がすべく、ベッドの上の『妹の友達と押し入れで……』を後ろ手に枕の下に隠す。 

「ねぇねぇ、ひろ兄、それ何?」

 しかし、その最中で好奇心に満ちた問い掛けが俺を襲ってきてしまった。

「ん、これ? これはだな、まぁ何というかいわゆる……エロ漫画って奴だ」

 上手く誤魔化してやるつもりが、一周してそのまま口から出てしまっていた。結果、やはりと言うべきか、柚木は目を丸くし、友希は眉間を抑えて苦い顔をしている。

「えろまんが? ひろ兄、そんなの持ってるの? やだー、えっちぃー」

 だが、思ったほど柚木の反応は悪くない。理解のある従妹でお兄ちゃんは嬉しい。

「いいかい、柚木。思春期の男子たるもの、エロ漫画やエロ本の一冊や百冊は持っていて当たり前なんだ。嘘だと思うなら、隣の席の男子に『エロ本持ってる?』って聞いてみるといい。『うん、持ってるさ!』とさわやかに返してくれるに違いない」

「いや、見知らぬ中学生を巻き込もうとすんなや」

「それもそうか、じゃあ担任の先生に……」

「なお悪いわ」

 教育的指導は、真面目なお兄さんによって遮られてしまう。まぁ、柚木が笑ってくれているからいいとしよう。

「えろまんがの話はよくわかんないけど、私が聞きたかったのはあの習字? みたいなやつの事なんだけど」

 柚木の指さした先には、机の上に広げられた俺の書があった。どうやら、自ら余計な事を口にしてしまったようだ。

 しかし、かわいい従妹が俺の夢に興味を持ってくれるのであれば、そんな事は些細な事。

「習字? ああ、あれか。あれに興味を持つとは、柚木も見る目があるな」

「えへへ、そう? 私見る目あるかな?」

「あっ、ちょっ、兄貴」

 書を柚木の目の前に披露すべく、立ち上がり机へと向かう。友希が何か言おうとしていた気もするが、それもおそらくは些事だろう。

「これはな、柚木、俺の夢だ。せっかくの正月だから、それを書き初めにしてみたわけだ」

「ひろ兄の夢? サッカー選手になる、とか?」

「小学生かよ。いや、むしろ、そっちの方がまともかもしんねぇけど」

 柚木は正座で、友希は立ち上がり掛けた中途半端な姿勢で俺を見上げる。発表の形としてはなかなかに悪くないと言えよう。

「では、とくと見るがいい。これが俺の夢を描いた渾身の一筆だ!」

 紙の上と下、両端を持って、勝訴の紙を掲げるようにして『妹の友達と付き合う!』の書を柚木の目の前に広げる。

「……えっ? 何、これ?」

「だから、俺の夢だ。これを叶える事を当面の人生の目標にすると、ちょうど昨日、いや正確には今日になってからか、とにかくそう決めたんだ」

「いや、妹の友達って。だって、ひろ兄の兄弟ってとも兄だけじゃん」

 目の前の半紙が邪魔で表情は見えないが、柚木の声は戸惑いのそれだった。まぁ、最初から簡単に理解してもらえる夢だとは思っていないので、それくらいではめげない。

「それでも、だ。俺はあらゆる手段を使って妹の友達と付き合うと、そう決めたわけだ」

「……それって、つまり、ひろ兄は妹の友達以外と付き合うつもりはないって事?」

「とりあえず、今のところ二股をかけるつもりはないな」

「ふーん、そう。……へぇー、そうなんだ」

 それでも、かわいい従妹は俺の真剣さを汲みとってくれたのか、小さく何度か頷くと何やら呟き始めた。

「ひろ兄のバカっ! もう知らないんだからっ!」

 かと思えば、いきなり立ち上がると、すごい勢いで俺を目掛けて突進してくる。

「えぇっ!? なんで? なんで怒ってんの!?」

「うるさい、バカっ! ひさしぶりに会ったと思ったらバカな事言って、このバカ兄っ!」

「ちょっ、書はダメだからっ。これ書くの何時間掛かったと思って……」

「こんな紙があるからいけないんだよっ、どうせひろ兄のバカな思いつきなんて寝れば忘れるんだからっ!」

「だからわざわざ書き残したんだろっ、離せっ、破れる、破れる!」

「はぁ……こうなると思ったわ」

 原因不明の怒りに駆られた柚木から、必死で書を守る。

 結局、友希が止めてくれるまで、柚木の怒りは収まる事はなかった。

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