第2話

脳腫瘍のうしゅようだ」


 隣で土管に座っている死神が読み方を教えてくれた。今日もいつもの空き地で資料を読んでいる。今回はそこまで分厚くはない。年齢は低めか。


 それは一体、と私が尋ねる前に「一言で言やぁ、脳のガンだな」と答えてくれた。


 ガンは流石に知っている。というより、私もその病気を患っている死確者を何人も担当したことがあるから、自然と憶えた。しかし、この脳腫瘍という脳の癌を患った死確者は初めてだった。


「ということは、今回もこれが?」


「多分な」


 ガンだけに限らずだが、病気を患っている死確者というのはその病気による死であることが大半だ。経験則は私だけでなく、他の天使も同じだ。つまり、今回は死因とイコール、の可能性が非常に高いということだ。


 今回の死確者の名前は宮野みやの優香ゆか。女性。高校生でもあるので、世間でいうところの……何だっけ?


「まだなのにな」


 そうだ。ジェーケー。なんだろうか、さっきから死神の発言はまるで私の脳を盗み見たかのように、先行している。


 そんな超能力を持った人間のような奇妙さを死神に感じながら、資料に目を通していく。どうやら今回の死確者は脳腫瘍のせいで2年ほど前から入院生活を送っており、ろくに学校に行けてないらしい。資料にはそう書かれている。


「早いよなー、18なのによ」死神は後ろに手をつき、顔を上げる。


「仕方のないことだ」


 死神は「全く……」とため息をつき、「冷ややかだよな、お前って」と呆れ顔を向けてきた。


「そう言っても、私たちがどうにかできるようなものではないだろ」


 別に冷ややかなわけではないし、残酷なわけでも突き放してるわけでもない。産まれるからこそ死ぬ者がいる。自然の摂理であり、釣り合いの問題だ。死なずに産まれ続けたら、地球は死滅してしまう。


「まあそうだけどもさー」


 あまり納得していない死神を横目に私は資料に再び眼を通す。よかった……どうやら今回はコーヒー好きではなさそうだ。それらしき記述はない。


 ここ最近、また担当死確者がコーヒー好きが続いていた。前回の死確者とは相容れず、少し口論をしてしまった。余計な時間を割いてしまい、未練達成にかなり苦労した。


「前にさぁ」


 死神の意味ありげな一言。回想が始まる。そう思った私は一旦手元から目を離し、何の迷いなく死神を見た。その一言が私に向けてなのかは確認しないと分からないが、恐らく十中八九私に向けてだと見ずにでも分かった。理由は、辺りが静かだったから。この静けさは今に始まった事ではないが、まあ居れば声なり足音なりが耳に届くのに、今から少し前までそれは一切なかった。だから、だ。


 死神は親指・中指・薬指・小指の先を左右くっつけて、残った人差し指だけ離し、回している。


「『死確者の情報はネットで寄こせっ!』って、前に愚痴ったの覚えてるか?」


「あー」そういえばそんなことあった気がする。


「それがどうかした?」


「昨日ようやく今更ながら、返事を頂戴することに無事成功しましてね」


 直接私に関係することではなかったのでさほど関心はなかったし、死神も言ってたように相当に前のこと。もうとっくに興味などは失せきっていた。


「なんだって?」


 しかし、無下にするのも殺生というもの。とりあえず聞いてみることにした。


 死神はふと指の回転が突然止めた。いや、止まったという方が近いかもしれない。突如として、死神の顔が変わった。目を細め口を前につんと出したのだ。


「『現世でも重要な情報の書かれた資料・書類のやり取りは紙で行われています』」


「だってさ」と通常状態に戻る。おそらく、返事をした者の真似をしているのだろう。


「つまりは、この封筒は重要の部類に入る、ということか?」


「はい、って即答。しかも、目がこれっぽっちも笑ってない。死んでたよ」


 成る程。死神も同じように尋ねたのだな。


「もうさ、そこまで言われたらさ、何も言い返せないよな……」


 死神はガクッと首を下に折り曲げ、白く燃え尽きたようにうなだれた。手は腿に置かれている。


「残念だったな」


「あぁ……」


 どうやらかなりショックを受けてるようだ。正直なところ、そこまでのことではない気がするし、そもそも返事を貰えるまでに時間があってその間も文句を言わずやっていたのだから、忘れていたと思われる。そこまで真剣に考えていたとは思えないのである。

 だがしかし、実際は分からない。忘れていたのではなく、心に留め続けていたのかもしれない。私には分かぬ何かがあるのかもしれない。まあ、彼がそこまで考えているとは思えないのだが。


「ということは、これからも運んできてくれるということでいいんだな?」


「まあ……そうだな」


 その言葉を聞いてなんかホッとした。私的にはその方がありがたかった。彼は死神の中でも特に実に多くのことを知っていて、会うたびに私の知識を与えてくれる。それは時に、死確者との会話を始めたり続けたり変えたりすることができ、それによって未練の解消に繋がる、もしくは捗ることもある。


「なら、これからもよろしく頼む」


「おうよ」


 死神は嬉しそうな顔を浮かべると、手を前に出してきた。


 うん……じっと見つめた後、私は顔を上げた。「なんだ?」


だよ」


「アクシュ?」


「手を握ることだ」


「そうか」


 言ったそばからだ。また知識が増えた。


「……いや、手出せって」死神は眉を中央に寄せた。


「何故?」


「何故ってそりゃあ、改めてよろしくね~っていう気持ちとそれへの同意確認をするためには大事な……あっ」


 死神は寄せていた眉を上げると、目を少し開いた。その表情は何かに気づいたと同時になんとも言えぬ哀しみを表していた。


「もしかして……嫌なのか?」


 あぁ、だからか。死神は、というと勘違いを生みかねないので正確にいうと彼は、普段から粗暴な言葉遣いであるのだが、実は繊細で傷つきやすい性格。本人も以前言っていた、「俺はガラスのハートだからな、扱いには気をつけろ」と。


「そんなことはない」私は慌てて否定する。


「決して?」


「決して」


 念押しすると、死神の顔が晴れやかに戻った。どうやら立ち直ってくれたようだ。はじめましてでも分かるぐらい分かりやすい変化は、昔も今も変わらない。


「それじゃあ」私も手を出す。


「いや、えぇっと……」


 参ったなという表情をしながら空いてる手で頭を掻く。


「なんだ?」


「出してもらった手前申し訳ないけどさ、左手出したのに右手を出されると変だろう」


「なら、右手に左手を出せばいいのか?」


「違うよ!?」


「叫ばれても……初めてだから分からないんだ」


「なら、物は試しでやってみっか?」


「左手を出せ」


 言われた通りに。死神は右手を出していた。


「どうだ?」


 うーん……「平に甲が当たってる」


「だろ? アクシュってのは左手には左手、右手には右手。同じ手を出すもんなんだ」


 成る程。


「んじゃ改めて」と死神は左手を出していた。


 私は左手に変え、握った。


「よろしくなっ!」


 力強く握られ、引っ張られたかのように体が傾く。


「よ、よろしく……」


 怒っているわけではないとは表情から分かりながらも死神の強い口調に、なんとも歯切れの悪い返事をしてしまった。

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