第6話
何時間、いや何十時間だろうか。測っていないので正確な時間は分からないが、相当経っていることは間違いない。
私はその間ずっと、部屋から出てすぐそばの横長のテーブルで待っていた。食堂として使っているのか、複数人が一度に座れるよう横長で、端には調味料がいくつも置かれたトレーがあった。椅子は座りやすいように低い。
私は部屋に背を向ける形で椅子に腰を下ろし、待機していた。
ため息を吐く。申し訳ないが、少し退屈を感じていた。
脳内に語りかけるのだってなんだって疲労感はあるものの、睡魔はない。そもそも、寝ることさえない。
だが、それが仇になってしまうことがしばしばある。今はその時。睡眠とは暇な時間を最も効率よく潰すことのできる手段であるのに、それができないのだから。その代わりに、私はひたすら1人ジャンケンを手段としていた。
それにしても、ここまで長時間ジャンケンするのは初めてだった。“先に100勝した手が勝者ならぬ勝手”というルールにしたのだが、あっという間に終わり200勝に変更、まだかかるから300勝、400、500とひたすら増えに増え、今や10000勝した方が勝ちとなってしまった。今のところ、右が9871勝9872敗で左が9872勝9871敗、という超激戦を繰り広げている。
今まで無言でやり続けていたが、そろそろ飽きがきていた。むしろ、よくここまでやり続けていたな、と自分を褒めたくなった。右手が5000勝目を超えた頃、流石に限界を感じ、少し趣向を変えようと試みた。
まずは実況。
息する必要などないのに何故か、私はおもむろにスゥーっと空気を体へ取り込んだ。
「さぁ! 左手と右手、どちらが勝手となるんでしょうか!?」
見よう見真似でやってみたが、意外と気分転換になる。
「何をやってる?」
あっ。私は左に顔を向ける。私を見下ろすように立っていたのは、まあ当然死確者である。
「ジャンケンです」
訊かれたので答える。
「そんなことは見れば分かる」
「では、どういう?」
死確者はため息をつき、 「もういい」と呆れ顔を浮かべる。
「帰るぞ」
「えっ?」
まさかの一言に思わず目が開いた。眉も上がっている。
「もういいんですか?」
「お袋の前で死ねるかよ。親より先に死ぬだけでも親不孝なのに、目の前で見せるなんてのは論外だ。それに」
息を少し詰まらせる死確者。まだ続きがある切り方だった。おそらく自ずから話してもらえるはずなのに、気になった私は「それに?」と催促してしまった。こういう風に興味関心を自制できない私は、時間だけ重ねてるだけで天使としてはまだ一天使前には程遠い、半天使前であるかも疑問だと痛感させられる。
「もう少しな気がするんだ、俺が死ぬのは」
おぉ……
奇跡だ。死ぬ時間はまだ伝えてないはずだ。なのに、当たってる。その通りだ、今回の死確者に残された時間はあと僅かである。
このように、なんとなく感覚で分かることを確か、虫のお知らせ、とかいうんだったと記憶してる。
「ほら、行くぞ」
死確者は出口に向けて歩き始めた。
「は、はい」
慌ててついて行く。なんか、感じが戻ったな。
車は大学の元あった場所に止まった。おもむろにエンジンを切ると、振動が小さくなり、次第に静かになった。
「間に合いそうだな……」
車載のデジタル時計を見た死確者はぼそりと呟いた。
「何にです?」
私は死確者を見て尋ねる。死確者も私を見た。
「決まっているだろ、授業だよ」
「えっ?」まさかの回答 。「行くんですか?」
「仕事だからな」
死確者は内側に体を少し傾け、シートベルトを外した。カチャリと大きな音が響く。
そうか。納得した。確かに仕事は大事だ。
「折角なので、授業を見学してもよろしいですか?」
死確者はシートベルトを戻した状態で動きが止まった。
「なんでだ?」
「理由は特に。ただ少し興味があるんです」
「言ったと思うが、私の授業はつまらんぞ」
「なら確かめます。私の目と耳で」
そのまま暫く黙ると、死確者は正面を向き、「……好きにしろ」と言い放ち、車のドアを開けた。外へ出る。雲ひとつない空に、太陽は煌々と輝きを放っていた。なんとも眩しかった。
「というわけだ」
死確者は体を右斜め後ろに向けて、端にある時計を見た。その後、自身の腕にしている腕時計を定位置に戻してから、見た。二度確認した。
授業を開始してからもう1時間が経過している。なのに、死が間近にある人とは思えない、思わせない声色や動きをして淡々と進めていた。今まで長く続けてきた貫禄の表れなのか、それとも死への恐怖が……いやこれ以上は愚答だ。やめておこう。
死確者はおもむろに視線を学生のいる正面へと戻し、真一文字に結んでいた口を解き、「皆、教科書を閉じてくれ」と大教室全体に聞こえるよう使っていたマイクで言葉を発した。
学生たちは、それ以上何も言っていないのに勝手に意味を汲み取った。「うわぁ抜きうちだ……」「マジかよ……」「ヤッベぇ……」と一斉にざわめき始めた。悲観の雰囲気が全体を包み込んだ。体も、個々に発生した波のうねりのように動いている。
「テストじゃない」
死確者の少し大きな一言により、辺りはスッと静かになる。
「君たち学生諸君に伝えたいことがある。それは先人たちが築き上げてきた結晶の詰まったことを未来ある君たちに伝える講義ではなく、私個人の雑談話として聞いて欲しかった。だから、努力の賜物である教科書は一旦閉じてもらった」
おそらくその異様さを不思議に、また不審に思ったんだろう。死確者の言葉は学生の口を誰1人として開かせなかった。誰1人として下を向いてない。皆一点に、死確者の方を向いている。
「私は以前、幽霊だったり未確認飛行物体だったり未確認生物だったり、世間一般的な怪奇現象と騒ぎ立てるのは科学で説明ができる嘘であると、100%デタラメだと公言した」
数字を言いながら、黒板にデカデカと白チョークで記す。
「だがそれは間違いだった」
数字に重なるように二重線を引き、“99.999”と書いた。
「99.999%はデタラメだ」
力強くはっきりとした濃い文字だ。
「つまりは、だ」ゆっくりチョークを置いた。「0.001%だけ科学では証明できないこともこの世にはある。確実に存在しているんだ」
死確者は学生たちの方を向き、教卓に両手をついた。
「今まで目の敵にしていた私が言っても説得力など無いだろう。だか、聞いて欲しい。この世の中には0は無いんだ。どんな事にもほんの僅かにでも可能性が存在してる」
「だから、どんなに運が無いと思っても、不幸に晒されていると思っても、希望だけは捨てないで欲しい。夢だろうが幸せだろうが願いだろうがなんだあっても、希望は捨てないで欲しいんだ。止まない雨はない。止めば君たちの目には空にかかった虹が見えるはずだ」
教室は完全に静寂が包んでいた。だから今私が聞くことができる音は、外で鳴く小鳥のさえずり、近くを走る車のエンジン音、キャンパス内を喋りながら歩く人間たちの笑い声だけだった。
1人1人の顔を見渡している死確者。鼻から息を吐く。離れてはいるが、静かだがはっきりと耳に届いた。
「これで私個人による雑談は以上だ。えー今日は少し、どころじゃないな。だいぶ早い。が、これで授業は、終わり、に……」
あと少しだった。言い終える前に死確者は胸をおさえ、教壇の上で倒れた。
瞬間、集中で凍っていた空気が溶け、学生たちの何人かが立ち上がった。
「教授!」「先生!」とバラバラな呼称ながら、一斉に近づいた。
「人呼んでこいっ!」「119番っ!」へ変化すると、空気はもう熱を帯びていた。
申し訳ないが、もう時間だ。何をしても間に合わない。
さっきのその瞬間をもって、死確者は死者となった。
「どうも」
同様と騒然の場に合わぬ一言が聞こえてきた。振り返る。そこにいた女性と目が合う。もう一度視線を戻して確認する。
あぁ、そうか。
「どうも」私は軽く会釈した。
私の後ろには誰もいない。つまり、偶然私と目があったわけではなく、彼女は私を見て「どうも」と言ったわけである。私は一切の例外なく、担当の死確者以外の人間には見えない。
「お迎えに上がりました」
配達課と同じく帽子に特有のバッジを付けている。配達課とは異なりショルダーバッグは持っていない。したがって彼女は——
「じゃあ早速、死者を連れて行きますね」
やはり。この人は先導課の死神、だ。
「お願いします」
死神は死者の元へ歩みを進めていく。
それにしても、死神が女性というのはなかなか珍しい。普段だったらすぐに飲み込めるはずなのに、思わず振り返って確認してしまったぐらいだ。
兎にも角にも、お願いします、を発したことで、死神への引き継ぎが完了した。この後、つまり死者を冥界に連れて行くのは彼女の仕事。要するに、今回の私の仕事は終わったということだ。
続々と教室に人が入ってくる。騒がしくなりそうだ。私は5階のこの教室から出ることにした。
前方の扉へと向かってから、ふと振り返った。先程は隠れて見えなかった死者の顔がよく見える。
死者は満面の笑みを浮かべていた。まるで、屈託ない少年のような晴れやかな表情だ。私の自己満足かもしれないし、勝手にそう思いたいだけなのかもしれない。だけど私には、死者は望みが叶い満足している、そう見えてならなかったのだ。
私は教室を出る。まっすぐ前にある階段へ向かう。
エレベーターはこれから沢山の人間が使うことだろう。私1人が、人間には誰も乗っていないように見えるのに使ってしまうと、停滞させてしまうようなどこか申し訳なさを感じたので、やめることにした。
階段は建物の外側に位置する部分がガラス張りになっており、日差しがよく入ってくる。
等間隔に並ぶ段差を1段1段下っていく。下りることにあまり集中してないからか、その度に体が縦に小さく揺れた。
4階に到着。首から顔写真と名前のカードをぶら下げている職員を見た時、思い出したことがあった。何故そのタイミングで思いついたのかは分からない。これが、科学では証明できないことか、とも思いながら、そういえば決着がついてなかったな、と意識を戻した。私は首を少し下に傾け、手を前に出した。
「ジャンケン……ポンっ」
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