2-3

「あの、ご家族の方とかは、大丈夫なんですか?」

 椿の躊躇いがちな質問は、学校から帰り、無人の家に足を踏み入れた時に発された。

「少なくとも、すぐには帰って来ないだろうね。帰って来るにしても正月辺りかな。だから、まだ心配しなくていいよ」

「そうですか」

 椿の口から、小さく息が漏れる。

 今になるまで、俺は椿に家庭環境らしきものを伝えてはいなかった。椿は、俺の一人暮らしの理由が家族の死去やそれに類するものではないかと憂慮していたのだろう。

「うちは、四人家族でね。父親の転勤で両親と妹は引っ越したんだけど、俺は一人で当時住んでた家に残ったんだ」

 更に椿を安心させるため、説明を重ねる。

 俺の家は何も複雑な家庭環境などを抱えてはおらず、無駄に家族について気を遣わせるのも避けておきたい。この歳で一人暮らしは少々珍しくはあるだろうが、それだけだ。

「じゃあ、宗耶さんはご家族と離れて暮らしてるんですね」

「そうそう、だからしばらくは椿さんがここにいても問題はないよ」

 もっとも、家族が帰って来た時に、同い年の少女が寝泊まりしていたなんて事実が発覚したらそれはそれで問題になりそうではあるが。特に、妹からの偏見の目が更に強くなるのは容易に想像できる。

「その、ご家族と離れ離れで寂しくはないんですか?」

「あんまりそう思った事はないかな。家族より友達と離れるのが嫌で残ったわけだし」

 正確には、由実と謳歌を放っておいてこの土地を離れるのが嫌だった。ただ、あえてそこを深く語るつもりにはなれなかった。

「もしかして、椿さんは寂しかったりする?」

「いえ、そういうわけじゃないです。私はその、家族の事も覚えてないですから」

 質問の意図を深読みしてみたが、椿には否定される。

「ただ、一緒にいても私は宗耶さんの事をほとんど知らないなぁ、と思いまして」

「ああ、まぁ知らない男の家に二人きりってのは怖いよね」

「そんな、全然怖くなんかないです。けど、もう少し宗耶さんの事を知りたいな、って」

 軽い冗談もどきの言葉も、真っ向から真面目に返されてしまう。そんな台詞を面と向かって言われると、流石に俺でも恥ずかしい。

「それなら、聞きたい事があったら何でも聞いていいよ。全部答えるとは限らないけど」

「いいんですかっ?」

「あ、うん。答えるかどうかはわかんないけどね」

 目を輝かせた椿が少し怖くなり、もう一度念を押す。

「じゃあ、その、宗耶さんのジョブというのは、どういうものなんですか?」

「へ? ジョブ?」

 そして、まるっきり予想外だった椿の言葉に、体の力が一気に抜けた。

「はい、昨日生徒会のみなさんに聞いたら、宗耶さんに直接聞いた方がいいと言われたので。でも、やっぱりみなさんが隠すくらいだし、ダメでしたか?」

「いや、ただ意外だっただけで、むしろいつか話しておこうとは思ってたから」

 椿がそれほど『ゲーム』に関心があるとは思っていなかったが、考えてみれば、俺や生徒会の連中の会話にも、それを知っている前提の話もあった。椿の記憶喪失も、言ってみれば謳歌による『ゲーム』の演出という面が強く、好む好まざるではなく椿が『ゲーム』について知ろうとするのは当然なのかもしれない。

「俺のジョブは遊び人。と言っても、これだけじゃ何の事かわからないだろうけど」

 椿が首をわずかに傾けるのは予想の内なので、そのまま続ける。

「生徒会のメンバーのジョブは、一通り聞いた?」

「えっと、名前だけは。白樺さんが弓使い、白岡さんが僧侶で、藍沢さんは魔法使い、二階堂さんは……たしか魔法剣士でしたっけ」

「そうだね。藍沢については昨日言った通り、他も大体は名前の通りの力なんだけど」

 実際には、由実以外は力に合わせて名前を付けたと言うのが正しい。

 四人での遊びで使っていた弓使いの名にふさわしい力を手に入れた由実と違い、俺の力は遊び人の名と見合うものではない。だが、それに合わせて職名を変える事はなかった。

「俺のジョブ、遊び人は名前と全然関係ない、目の力なんだ」

「目、ですか?」

「そう、自分では勝手に『魔眼』なんて呼んでるけど」

 やや大袈裟に両目を手で覆い、まばたきの後に開ける。

「簡単に言えば、何でも見える力、かな。振り向かなくても真後ろの様子が見えるし、ここから椿さんまでの距離はミリ単位でわかる。藍沢が透明になっても見えるし、ついでに目を見れば、何を考えてるのかだってわかる」

「えっ、その、私が考えてる事も見えてるんですか!?」

「いや、試してほしいならやってもいいけど」

「いえっ! その、結構ですっ!」

 じっと視線を向けると、思いっきり目を逸らされる。自分で仕掛けておいて何だが、こうも露骨に視線を外されるのは精神的に来るものがあった。

「まぁ、使うと結構な勢いで目が疲れるから、できる限り使わないけどね」

「……本当ですか? 見て、ないんですよね?」

 笑いかけながらの言葉は、安心させるための嘘などではなく本当に事実。

 恐る恐るといった様子で視線を戻す椿が何を考えていたのか少し気にならないでもないが、読心とはおそらく観察眼の超強化版のようなものだ。知り合って数日の椿が相手では判断材料が少なく、相当近くで、あるいは長く見つめ合わなければ十分な成果は期待できない。警戒されている今は、どちらもなかなかに難しいだろう。

「でも、やっぱりすごいですね。宗耶さんと藍沢さん以外も同じような力を?」

「同じような、かは微妙だけどね。ただ少なくとも、由実と副会長はまともに戦えば俺なんかじゃ相手にならないくらい強い」

 使い勝手と燃費の悪さ、そして『見る』だけの能力という性質による単純な火力不足が俺の弱点であり、魔眼の力はとても戦闘向きとは言い難い。奥の手もあると言えばあるのだが、まともに戦っていればまず使えない上、知られればそこで終わりのため、由実にすら教えていない。もちろん、ここで椿に教えるつもりもなかった。

「それでも、佐久間さんには勝てないんですか?」

「ああ、勝てない」

 そして、続けて椿の口にした質問には、反射的にそう答えていた。

「謳歌は、俺達が束になっても、それを更に百倍しても倒せない。逆に、謳歌がその気になれば俺達をまとめて消し去るのもそう難しい事じゃない」

 だから、謳歌と戦ってはいけない。戦っても、絶対に勝てない。そう続けかけて、しかしすんでのところで止める。

「ごめん。でも、実際に謳歌を倒すのはまず無理だと思う」

 椿にしてみれば、本当は一刻も早く謳歌を倒して元の生活に戻りたいところだろう。それが叶わないとなれば、少なからずショックを受けてもおかしくない。

「いえ、それなら仕方ないです」

 だが、意外にも椿はすんなりと俺の言葉を受け入れた。いや、記憶を辿ればたしかに椿はいつも飲み込みが良かった。特に、『ゲーム』に関しての話となると。

「でも、椿さんがいつまでもこのままの状況かと言うと、多分そういうわけでもないとは思う。だから心配するな、とまでは言えないけど」

 俺の口にした言葉は、あながち椿への気休めだけでもない。

 記憶喪失になった、いや、おそらくは自ら記憶を奪った少女を盤面に送り込むなんて強引な手段を使っておいて、すぐにでも謳歌が動かないわけがないのだ。

 ただ、幼馴染である俺にも、椿を俺達の仲間に加えた謳歌の意図はわからない。そもそもの『ゲーム』の目的からしてわからないのだから、それもやむなしではあるのだが。

「宗耶さんがそう言ってくれるなら、私としては心強いです」

 頼りない俺の言葉にすら、椿は信頼の目を向けてくれる、

 その心当たりのない信頼と好意は、最初に話した時から更に強くなっているように感じる。本来なら喜ぶべき事なのだろうが、やはり俺にはそれがどこか不安に思えた。

 できれば、椿には俺を好きにならないでほしい。これ以上近くに来てほしくない。

「そう言えば、佐久間さんは魔王なんですよね?」

 俺の懸念を余所に、椿は更に質問を重ねていく。

「まぁ、『ゲーム』の中でそう呼んでるだけだけどね」

 俺達の過去について触れないのであれば、その言葉は嘘ではない。

 だが――

「――それなら、勇者のジョブはないんですか?」

 思えば、それは当然の疑問だった。

 魔王がいれば、勇者もいる。絶対ではないが、この『ゲーム』はそういった前提の上に組み立てられている。そういった前提が崩れた上に、ただ築かれている。

「勇者は……」

 そして、おそらく謳歌は他でもない椿優奈を勇者として設定した。

「この世界には、勇者はいない」

 だが、俺にはどうしてもそれを受け入れる事ができなかった。

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