1-3

 由実の手を引いていたはずの俺は、いつの間にか逆に手を引かれる形になっていた。

 玄関へと向かうかと思われた由実は、しかし階段を下りるのではなく上る。二つ階を上がり、最上階の四階から更に足を進め、辿り着いたのは屋上だった。

「今回は何だ?」

 この奥光学園の屋上は、基本的に一般生徒の立ち入りが禁じられている。とは言え、実際には俺がここに足を踏み入れた事は一度や二度ではなかった。

「わかっているだろう。いつもの、だ」

 ゆえに、両者の間のやりとりに淀みはない。いつものように由実の指の先を追い、校門に繋がる一本の道路、俺達が毎朝通う道に目をやる。

「あちらの道から三体来るらしい」

 由実は視線をそのままに手だけを胸のポケットに入れ、きれいに折り畳まれた紙を取り出して俺に渡す。開いてみたところ、内側には大雑把な地図と、これもまた雑な字で『放課後、三人』とだけ書かれていた。

「俺はいつもみたいに観測手でいいのか?」

「基本的にはそうなる。後は、もし仕留め損なった場合の保険だな」

 いつの間に持っていたのか、続いて全長117cmの黒い棒を由実から手渡される。

「いつも思うんだけど、それなら俺は屋上じゃなくて下にいた方がいいんじゃないか?」

「だから、あくまで保険だ。離れていては観測手の方がやり難いだろう」

「まぁ、それはそうなんだけども」

 由実の言葉はまったくもって正しく、反論の余地はない。

 しかし、仮にその保険として動く事になった場合の事を考えると、やはり積極的に同意しようとは思えなかった。俺はあまり高いところが得意ではないのだ。

「……とりあえず、できるだけそうならないように頑張ってくれ」

「もちろん、手を抜くつもりはない」

 由実の声に重なるように、視界を光が掠めていく。急いで目で追うと、由実が既に第一射を放ち終わっていた。

「目標1の腹部中央に命中。目標1の戦闘続行不能を確認」

 まばたきの後、先程由実の指さした地点に視線を移し、狙撃の成功を確認する。

「目標2の胸部中央に命中。目標2の戦闘続行不能を確認」

 続けて放たれた第二射も、完璧な軌道を描き目標に到達。道に倒れた二人の男、それぞれの腹部と胸部には、いずれも青白い光の矢が刺さっていた。

「相変わらず外れないな。観測手なんていらないんじゃないか?」

 由実にちらりと視線を移すと、既に第三射の構えに入っている。

 形だけは見惚れるほど完璧な弓の構え。だが、その両の手には何も握られてはいない。

「そうだったらいいんだが……なっ!」

 そうして由実の引き絞った空から、一本の淡い光の矢が放たれる。人間の目には光速と遜色無い速度で飛んだ光の矢は、寸分違わず最後の一人の眉間を貫いた。

「……目標3の頭部中央に命中」

 273~275メートル先の動く標的、それも完璧に狙った部位へと三発連続で命中させる技量を持つ射手は、贔屓目を差し引いても優秀に過ぎる。もっとも、重力、風、その他諸々の面倒な物理的要因を無視出来る射手など世界に二人といないだろうからして、誰と比較するわけでもないただの主観でしかないが。

 曰く、弓使い。

 古来から伝わる武器の名を呼ぶ音が少女の名と一致している事は、ただの偶然に過ぎない。もっとも、少女がそれを使役るようになった理由には、その偶然が大きく影響してはいるが。

「目標3の戦闘続行不能を……!?」

 半ば確信と共に紡ぎかけた声は、だが目の前の異常によって中断される。

 最後に矢を頭に喰らった少女、他校の制服を来た女子生徒は、だがその歩調を僅かに緩めただけで倒れる気配すら見せてはいなかった。

 由実の放つ光の矢は、概念的エネルギーの集合体だ。

 原理はともかく、由実の光の矢は本物の矢に相当する威力だけを標的に与える『という事になっている』。人体の急所、それも頭に喰らえば、まともな人間ならば是非もなく意識を奪われる。

 ならば、それを喰らっておきながら表面上まったくダメージを受けた様子のないあの少女は異能か、それとも人の皮を被った化物か。

「第二射、両膝を狙え!」

 だが、どちらにせよ、それが人の形をしている以上、膝を壊されれば人体の構造的に歩行は非常に困難になるはず。

 神速の矢が二本、ほぼ同時に由実の手から放たれる。光の矢ゆえ、不都合な手間を全て無視できるからこそ可能な芸当。

 しかし、寸分違わず標的の膝を貫くはずの二つの閃光は、その双方共に路面に着弾するとほどなくして消えた。

「……迅い」

 第三射を構えつつ、由実が小さく呟く。

 いかに照準から着弾までが早くとも、これだけの距離、それも点を狙った狙撃である以上、標的の動きを予測して放つ必要がある。第二射が外れたのは、標的の速度が由実の予測した速度を大幅に上回っていたからだ。

「誤差、右17センチメートル、左19センチメートル後方に着弾」

 標的があの速度を保ち続けるとすれば、彼女がこの学校の敷地内に侵入するまでにはもう時間がない。まばたきの後、少女の動きを凝視して動きを視る。

「二秒後、標的の右膝が手前から三番目の電柱の影、地面の白線と重なる位置。左膝がそこから右に42センチメートル、後方に54センチメートルの位置に来る。そこを撃ち抜け」

 狙撃手に指示を出し、屋上の端へと足を向ける。

「もし、それでも動きが止まらなかったら、弾幕を張ってできるだけ足を止めてくれ」

「おい、宗耶――」

 一息の後、由実からの返事を聞く余裕もなく、俺はそのまま屋上から飛び降りた。

「……っと」

 束の間の浮遊感の後、しかし俺の体は地面に叩きつけられる事は無い。

 俺の身体を受けとめたのは、いわゆる魔法。正確には、魔法により校舎の脇で姿を消していた、飛び降り自殺者を受け止めるためのクッションだった。生徒会が予算で購入していたそれは、人一人受け止めるには十分過ぎるほどの高性能品であり、現に今の俺は、自覚している限りでは骨の一本も折れる事なく着地に成功していた。

 浮遊感と衝撃から立ち直りながらクッションから身を起こそうとしたところで、頭上遙か高く、空を切り裂くように迸る青白い二閃が視界に入る。

 狙い澄まされた光の矢は由実の頭に描いた軌道で飛び、目標の座標を絶対に外さない。

 指示した点へと真っ直ぐに飛んだ二本の矢は、吸い込まれるようにして標的の両膝へと命中し、そして消滅した。

「「っ……!?」」

 由実と俺、息を呑む音が重なるのをこの距離でも感じる。

 あれはヤバい。由実の狙撃を防御動作すら取らず無効化するような化物を相手に、俺が真正面からやりあって勝てるはずがない。

 小さくない躊躇を抱きながら、それでも足はすでに化物へと向かっていた。

「……相変わらず凄い、けど」

 走り出した俺の頭上、流星群の如き無数の光の矢が少女の形をした化物に向かって一斉に降り注ぐ。撃った本人すら威力も軌道も把握していない無数の矢の雨に完璧に対処しきる事は流石の彼女でも難しいのか、少女の動きは明らかに緩慢になっていた。

 それでも、やはり化物には違いない。無数の矢の雨の中、少女はその身に一つたりとも直撃を受けてはおらず、足も速度を落としはしたものの完全に止まるには至らない。

「やぁ、化物」

 俺が標的の前に立つよりも少し前、矢の雨はピタリと止まっていた。

 あのまま矢をばら撒かれ続けていたら、目の前の少女よりも先に俺に矢が命中していただろう。俺にそれに耐え得るだけの耐久力が無い事は由実も知っている。

 ゆえに、状況的にも戦略的にも、今から少なくとも五秒は俺と化物の一対一。

 身体能力の差から、先に動くのは相手だった。

 初手、顔面への拳。二手目、首への突き。三手目、勢いのままに回し蹴り。どれもが当たれば戦闘不能となるだろうそれらを、両手に握った黒の棒で捌いていく。

 曰く、棒術。

 攻防一体のその武術を、俺は齧った事すらない。ただ、素人なりにも、この材質すらわからない、それでいて長さ重さ硬さのちょうど良いだけの棒は扱いやすかったから使っているというだけで。

 四手目、五手目、六手、七手、八、九。十から先は考えたくない。獣の速度を優に超える化物の攻勢に耐え続けるのは分が悪すぎる。

 だから、こちらから仕掛ける。

 交差するように振り下ろされた両腕を後ろに跳ねて躱すと同時、まばたきを二つ挟みつつ、少女の突進に合わせて棒を突き出す。

「……っ!」

 結果、臍を狙った俺の棒は命中と共に弾かれ、代わりに少女の右の突きが脇腹を掠めていた。傷は浅い、痣は知らん。だが、痛みと衝撃は否応無しに俺の膝をつかせる。

「…………」

 顔を少しだけ上に向けると、左手を後ろに引いた体勢で文字通り俺を見下ろしている少女と目が合った。大きく形の整ったその瞳には、獲物をついに捉えたという喜悦も、これから俺の命を奪う事への躊躇いも無かった。

 そして無感情に突き出された手刀は、だが俺の首に辿り着く寸前で止まる。

「…………ぁ」

 前傾の姿勢のまま、化物は一瞬だけその動きを完全に止め、そして緩やかに俺の上へと倒れ込んできた。その腹部の中心、先程の俺が狙い、そして弾かれた少女の臍には特大の光の矢。

 由実の放つ光の矢には、原理はともかくとして『溜め』がそのまま威力に上乗せされている。俺が僅かばかり稼いだ時間で溜められた光の矢は、少女の障壁だか抵抗力だかを貫くほどの威力になっていたようだ。

「どうやら、上手くいったみたいだな」

 背後から、心なしか安堵したような声。振り向くと、いつの間にか校門傍にある時計の下に由実が立っていた。

 最後の矢を放ってからすぐに飛び降りたのだとしても、あまりに早い到着。息一つ切らせずにそれを成し遂げた身体能力は俺よりも化物の方に近いだろう。接近戦ですら、おそらく俺よりも由実の方が強いのではないだろうか。

「今回は結構危なかったな」

 その言葉の通り、俺と由実の間の距離は5メートルと無い。つまり、あとそれだけの距離の前進を許していたら、腕の中の少女は校内に辿り着いていた事になる。

「では、私はあちらの二人から戦利品を拾ってくる」

 由実はそのまま俺を通り越し、転がる二人の男の元へ歩み寄ると、服や鞄、スポーツバッグなどをまさぐって財布や小物入れを取り出していく。

「千二百十円に、二千五百円か。随分としけているな」

「いつも思うけど、この絵面って完全に悪役だよな」

「宗耶がやろうと言ったんだろう。ゲームの勇者よりマシだから、と」

 俺の知るゲームでは、敵を倒せばアイテムをドロップするのは半ば当然だ。

 だが、その行為を具体的に描写すれば今の由実のようにやるしかない。何にせよ民家に押し入らないだけマシなのは間違いないだろうが。

「そっちも調べたらどうだ?」

 二人の学生証を眺めながら、由実が声を掛けてくる。

「ああ、まぁ、そうなんだけど」

 俺が少女を調べるのを躊躇っているのは、異性の持ち物を漁る事に後ろめたさを感じているからでも、もちろん変な正義感があるからでもない。ただ、動きを止めた腕の中の少女が今にも動き出しそうで怖かった。

 男二人を一撃で沈めた由実の矢や、全力に近い俺の突きを、一つの動作すら必要とせずに弾く耐久度。そして、まともな人間がいかなる鍛練を積んだとしても辿り着く事の不可能だろう運動能力。それに加えて、超回復まで携えていたとしても不思議ではない。

 だが、アイテムをドロップすればその時点で勝利が確定するのはお約束だ。少女が再び動き出すのを警戒するなら、尚更早くやる事を済ませてしまった方がいいのだろう。

「おっ、なかなかだな」

 少女の財布に入っていた額は一万四千二百五十三円。女子高生の持ち歩いている額としてはおそらく多い方だろう。

 だが、続けて胸ポケットに手を入れたところで、首筋に寒気が走った。

「何がなかなかなんだ?」

 寒気の原因、標的に射線を合わせるかのような由実の視線は俺の手の位置、つまり少女の胸の位置を凝視。要するに、タイミングが非常に悪かった。

「いや、いいものを持ってるなぁと思って」

 実際、少女はそちらの意味でもなかなかだった。対面していた時は化物にしか見えなかったものの、安らかに気絶している今、改めて顔を見れば普通に美少女の範疇。肝心の俺の手が触れている部位も、制服の上からではわかり辛いが、中に手を入れてみると結構やわらかくてでかい。もちろん中と言っても制服の中、シャツの上だが。

「……こ、のっ!」

 怒号と共に飛んできた矢を躱し、少女の影に隠れる。

 何故由実が怒っているのかはわからないが、シャツの上どころか何も無い上から見ても何も無い彼女の胸部が関係している可能性はゼロではないかもしれない。

「ふっ、流石の弓使いでも死体撃ちは躊躇うか」

「くそっ、いろいろと卑劣な奴め!」

 由実の言葉はまるで事実無根。ドロップしたアイテムを拾うのは普通の事であり、意識のドロップした少女の今にもドロップしそうな胸を手の平で受け止める事は何も卑劣な事ではないのだ。正直なところ、これだけ苦労を掛けられたのだから少し胸を触るくらいは許して欲しいというのも本音ではある。

「へっへっへ、じゃあ今度はスカートの中も調べさせてもらおうかな」

 楽しくなって、もはやただの卑劣漢のセリフを吐いてみたりもする。

 ゲームや漫画ならここで正義の味方が止めにくるのがお約束だが、仮にそうなっても事情を説明すれば許してもらえるだろう。俺の知っている勇者は、結構ものわかりがいい。

 そしていよいよ少女のスカートの中、まぁスカートのポケットの中だが、とにかく中に手を入れた瞬間、俺の目は今まさに開いた少女の目とばっちり合ってしまった。

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