8. 茸獲り
登山服に身を包んだアルトゥール様とチェシャがヨノヲスの街に流れる河を上流へと遡っていきました。
彼方に山の稜線が見えてきました。そのあちこちで切り立った巨岩が剥き出しとなっています。
「あそこです」
チェシャが指差しました。
この辺りの山は巨岩が多く、中でも一番大きな岩が祟りをなし人々を恐れおののかせていたところ、トヨの女神――ヨノヲスの街を開いた女神が剣でその巨岩を断ち割ってしまったという伝説が残されています。
伝説が残された岩場から下を覗き込むと森が遥か下に見えます。
「ううっ、脚がすくむ」
アルトゥール様は顔をそむけると、できるだけ下を見ないようにして岩の感触を確かめました。はい、アルトゥール様は重度の高所恐怖症なのです。
二人は今急峻な崖を伝って登る最中です。
「祟りは平気なのか?」
「女神が坐しますご神体はあの山の頂上ですから、ここはいいんです」
「ああ、あれか」
確かに向かいの山の頂は巨岩が剥き出しとなっています。
「よいしょっと」
先導するチェシャが岩場の割れ目にハーケンという鉄製の釘を打ち込むと、カラビナという金属製の輪を掛け手際よくザイルを通します。
「あそこです。あそこの窪んだ穴に生えてます」
アルトゥール様は上方を見やりました。
「高い所は餡子より苦手だが、ここでやらねば」
チェシャが岩場のわずかな手がかりを頼りによじ登っていきます。それで意を決したアルトゥール様も再び手近な岩に手を掛けました。
「ところで、どうやって降りるんだ?」
しばらく後、摘んだマイヒメタケが小さな藤の篭に両手一杯ほど入っています。きくらげに似た褐色の寒天質状の茸です。
「上首尾ですね」
チェシャは満足そうですが、アルトゥール様はげんなりとした顔でした。
「日が暮れる前に引き揚げよう」
はい、下りる方が早いんです。
※
甘味処トバツの店内でナシロさんが一通の封筒をこれ見よがしにしました。
「見て、パーティの招待状」
「あら、同じの私にも届いてるわ」
ナシロさんが封を切りました。
「今度の週末、ホテル・ヨノヲスでパーティですって」
はい、抜け目のないジネディーヌ様とワンチョペですから、これはという娘に招待状を送っていたのです。
「主催者は――」
「アフランシの貴族だそうよ。ああ、何を着ていけばいいのかしら」
ナシロさんはすっかりその気です。
厨房の奥からノビルさんのお母さんが顔を覗かせました。
「二人とも浮かれてどうしたの?」
「パーティに招待されたんです」
いつの時代も女の子はそういう華やかなイベントに憧れるものです。ナシロさんが答えました。
「そう、パーティ」
ノビルさんのお母さんは眉根にしわを寄せました。
「……この間のハンサムさんといい、二人とも浮かれるのもいいけど、足許をきちんと見つめないと」
ハンサムさんとはアルトゥール様のことです。あれから何度も店に足を運んでいるので顔なじみになっていましたから。
ノビルさんは招待状をじっと見つめました。ジネディーヌ様直筆のサインが確かに週末にパーティが催されることを告げていました。
そのときふとワンチョペの言葉が脳裏によぎったそうです。
――一度お会いになってみてはいかがです?
ノビルさんの眼差しが揺らぎました。パーティに出れば、またあのジネディーヌに逢える。どんな人か知りもしないのに、どうして心がこんなにぐらつくのだろう、シュンスケさん、アルトゥール様、そしてジネディーヌ様の顔が脳裏に浮かんでは消え、指先が震えます。
「ノビル?」
「……だって、シュンスケって退屈なんだもの」
その言葉にノビルさんのお母さんは肩をすくめ、厨房へと戻りました。
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