3. スケッチで品定め

 それからどうなったかと言うと、商店街の一角に「トバツ」という甘味処があります。そこがノビルさんの実家ですが――


「あら、早かったのね」


 厨房で仕込みの最中だったお母さんが手を止めました。


「私、着替えてくる」


 それだけ言うと、ノビルさんは更衣室に入りました。


 シュンスケさんは結局追ってこなかったようです。下手な考え休むに似たり、かもしれませんね。乙女心は複雑ですから。


 さて、その夜。ホテルのスイートでは、ジネディーヌ様がすっかりくつろいだ姿でワンチョペの帰りを待っていました。手にしたグラスの中で琥珀色の蒸留酒がゆらゆら揺れています。ふくいくとした香りを楽しみながら喉を濡らすのです。


 と、誰かがドアをノックしました。


「入れ」


 戻ってきたのはワンチョペで、揉み手でジネディーヌ様に擦り寄ります。


「首尾は上々で」


 背が低く固太りの中年男はスケッチブックを取り出しました。やおら鉛筆を走らせると、その日目に焼きつけた娘たちのスケッチを描きはじめました。


 みるみるうちに何枚もの似顔絵が完成していきます。


 その腕前は確かなもので、写実的な人物像は的確に娘たちの特徴を捉えています。


 ジネディーヌ様は無言でその似顔絵を一枚一枚確認していきます。


「お気に召しませぬか?」

「いや、続けろ」

「では、とっておきの一枚でさあ」


 ワンチョペが描きはじめたのはそう、ノビルさんでした。これならどうだと言わんばかりにすいすいすらすらと筆を走らせていきます。出来上がったスケッチはまるで耳をくすぐるような彼女の息づかいが聞こえてくるようで、愛らしさが溢れんばかりです。


「鄙、いや雛には稀なる可憐さ。ま、ご覧じろ」


 似顔絵を一瞥したジネディーヌ様は感じるところが何かあったのか、眉をぴくりと動かしました。


「ふむ。雛を育てるもまた楽しいかな」


 聞くところによると、ジネディーヌ様が奪った女性の年齢は様々だったといいます。いかなる基準か分かりかねますが、おそらくワンチョペはジネディーヌ様の征服欲を刺激する何かを心得ていたのでしょう。


「あいも変わらず初物がお好きですなあ」

「初物の涙に勝る甘露がこの世にあろうか?」

「あっしは涙の味はしょっぱいとしか思えないでやんす」


 乙女の涙をどう思っているのでしょう、とにかく彼と関わった娘は再び涙を流す運命なのです。


 美少女に心動かされ、力が漲ってきたのでしょう、ジネディーヌ様は思わず立ち上がりました。必ずやこの可憐な娘を手に入れてくれんと拳を固く握り締めます。


「荒ぶる魂がいよいよ燃えたぎってきよったわ」

「いつもの病気ですな」


 はい、病気なのは従者もよぉく知っているのです。


 ワンチョペが物色した娘たちのスケッチで気に入りの娘を選ぶと、ジネディーヌ様は次に恋文をしたためはじめます。会ったこともないのにどうやって恋心を伝えようというのでしょう、しかし、ジネディーヌ様の眼は特別です。たった一枚の絵からその娘の美点を的確に見抜き、褒めそやすのです。


 何度も紙を反故にしては書き直します。ようやく納得のいく出来になったそのときです、インターホンのベルが鳴りました。


 受話器をとると、それはホテルのフロントからでした。


 ――ご面会願いたいとお客様がいらしております。

「私は今忙しい」


 にべもなく答えます。


 ――それが、債権者だ出資者だと言ってお引取りにならないので――


 やれやれといった表情でジネディーヌ様はペン先を止めました。


 さて、その債権者たちとの面会はどうなったか。詳しくは分かりませんが、ロビーからすごすごと去っていった人影がきっとそうでしょう。


 物陰で様子を伺っていたワンチョペが傍に寄ってきました。


「督促で?」


 やはり借金の返済を迫りに来たようです。


 ところが、脅したり宥めすかしたり、そういった手練手管などどこ吹く風。表情一つ変えず逆に鋭い眼光で相手をひるませるのがジネディーヌ様です。


「金というのはだな、借りれば借りるほどこちらの立場が強くなる」


 なるほどなるほど、ワンチョペはしきりにうなずきます。


 あのですね、天文学的な額で借り手が開き直ってしまえばそういうこともありえるというくらいの話です。よい子の皆さんは真似しないでくださいね。


 ジネディーヌ様に軽くあしらわれてしまった債権者たちは意気消沈した面持ちでトボトボと引き揚げます。それはそうです、回収できなければ自分たちの首をも締めかねないのですから。


 エントランスで待機していたクラシカルな丸みを帯びたデザインの高級車、その後席に太った体を押し込めるようにして乗り込むと、債権者たちはそのままホテルから出ていきました。


 丁度そこを通りかかったのは他でもない、アルトゥール様でした。


 絶海の孤島をどうやって抜け出したものか、表情や身なりから察するに特にやつれた様子もなく巧く逃げおおせたようです。


 黒塗りの高級車とすれ違った瞬間、アルトゥール様は窓の奥の人影をちらと一瞥なさいました。


「今の顔、見覚えが。ははぁ、ジネディーヌが近くにいるな」


 見上げるとホテルの最上階から漏れてくる灯りが目にとまりました。


 ジネディーヌが滞在しているのはどうやらここで間違いなさそうだ、そう見当をつけたアルトゥール様ですが、眼前のホテルには関心なさげな面持ちでふいに前を向くと懐から紙切れを取り出しました。


「その前に今夜の宿は、と」


 アルトゥール様もジネディーヌ様の行動パターンはよく知っておいでです。本格的に動きだすのはこれからです。

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