人形
19
私の部屋には人形がいます。
可愛い可愛い大切な人形。私の命よりも大事な人形。それはもうたまりません。長い髪。綺麗な肌。眺めているだけでも楽しいのです。
今日はここに至るまでのお話を致したいと思います。
私には母がおりませんでした。私が物心つく前に亡くなったと聞きました。家族は父と三つ下の妹。こう言ってはなんですが、父は不動産業を営んでいてそれなりに裕福でした。なので、幼少期に何か困った、という経験はしていません。母がいないことへの寂しさ、だけでしょうか。
その頃の思い出と言えば、家族で遊園地に行ったことでしょうか。私が八つ、妹が五つの時のことです。
「おねぇーちゃーん!はやくぅー!」
舌足らずな喋り方が可愛い頃でした。父の仕事は忙しく、あまり休みはありません。その日は一年ぶりに遊園地に行った日でした。妹ははしゃぎ、次から次へとアトラクションを乗り歩きます。その体力にびっくりです。私も父も疲労困憊でした。
次に乗ったのはメリーゴーランドです。
「ねぇ、どれに乗りたい?」
私は妹に尋ねました。
「うーん、これ!」
妹が指したのは馬車でした。
「なんで?こっちのお馬さんの方が楽しいよ。上や下にも動くよ?」
私には妹が馬車に乗る理由がわかりませんでした。
「お馬さんにはおねぇちゃんと乗れないでしょ。おねぇちゃんと乗りたいの」
妹は私と一緒に乗りたかったみたいでした。
「うん。一緒に乗ろう!」
私と一緒に乗りたいなんて、なんて可愛い妹なのでしょう。
昔のことを思い出していると、別の記憶も蘇ってきました。あれは私が十二、妹が九の頃だったでしょうか。幼少期の私たちは、休日になると時々父の仕事で不動産を廻るのについて行っていました。その日もそうだったので覚えていたのでしょう。
その日の夕食は唐揚げでした。唐揚げは妹の好物です。たくさん作りましたが、私と妹がパクパクと食べてすぐに最後の一つになりました。私がそれに箸を伸ばした時です。同時に二膳の箸が唐揚げを取りました。その先を見ると妹。妹は少し葛藤する様子を見せた後、
「お姉ちゃんにあげる」
と言いました。この頃はもう舌足らずではありません。
「良いのよ。食べて」
私はそう言いました。
しかし妹は食べようとしませんでした。
「お姉ちゃんが食べて」
と私に譲ります。私はありがたくいただきました。妹なりの気遣いによって普通の唐揚げよりも美味しく思えました。
そんな幸せな日常は、ある日突然終わりを告げます。それは私が十三歳のある日のことでした。父が、
「この後ちょっとついてきてくれ」
と言いました。夕食を食べた後のことなので、こんな時間に珍しいなと思いました。
父の車に乗り、しばらく夜道を走りました。父も私も無言です。着いた先は知らない繁華街の知らない建物でした。これも父の不動産だろうか、と思っていると、
「こっちだ」
と父が呼びます。
父について建物の中に入りました。そして一階の一室に入ります。そこはキャバクラのようでした。
「社長、お疲れ様です!」
会計をしていたボーイさんが言いました。父がこんな店を経営していたとは知りませんでした。
父は適当に返事し、更に奥に入っていきます。フロアを通り過ぎると黒服にサングラスをしたSPみたいな人が立っている扉の前に着きました。
「社長!お疲れ様です!」
彼も父を社長と呼びます。父が社長と呼ばれているところを見るのは初めてなので、新鮮でした。
「彼女がその、今日からの……?」
「あぁ。そうだ」
「本当に、いいんですかい?」
「問題ない。何か言いたいのか?」
「いえ。別に。滅相もない」
父がいつになく高圧的です。
「ここに入れ」
私に言いました。
最初に私、次に扉の前にいるSPとは別の男、そして最後に父が扉の中に入りました。
扉の先は通路で、左右にまた扉が続いています。カラオケ店の通路が思い出されました。扉は分厚く、防音の様です。カラオケ店と違うのは、扉に鍵がついていることでしょうか。
扉の一つが開けられました。大きめのベッドとシャワールームがあります。行ったことはありませんが、ビジネスホテルのシングルルームがこんな感じなのではないでしょうか。
中を見ていると、SPに突き飛ばされました。私はその勢いでベッドに倒れ込みます。突然のことで訳がわかりませんでした。そして、父が入ってきました。すぐにSPが扉とその鍵を閉めました。内側から開けるにも鍵が要る構造でした。
「これはなに?どういうこと?」
私は父に問いました。一刻も早く状況を理解したかったのです。父はベッドの私を見下ろして立っていました。その雰囲気はこれまで接してきた父とは全く違うもので、ただひたすらに威圧感だけが感じられました。
「これまで、お前の母親の話をしてこなかったな」
「えっ?」
確かに、母の話はあまり聞いてきませんでした。病気で亡くなった、ということだけでしょうか。
「父さんは若い頃から不動産業をやっていてね、家賃を払わない店子もいるんだよ。数ヶ月は待つんだけどね。それでも払わない、いや、払えない店子がいるんだな。そういえば、表のキャバクラもそうだったな。結局買収したけど」
突然の父の昔語りに面食らいました。
「そんな人にお金を貸す金融会社があってね、父さんはそこを紹介するんだ。まぁ、そこも父さんが経営しているんだけど。お金を借りた人は当然返せない。家賃も払えないのに利子払えるわけないよね。そうなった人にどうすると思う?」
私はこれまでのことを思い出します。防音の個室、内側から開けられない鍵……。中学生の頭ながらに考えると、おぼろげに答えが出てきました。
「うん。男は労働力として売り飛ばす。マグロ漁船やカニ漁船が多いかな。そして女……。女が来るのがこの場所だ。体で払ってもらうんだよ」
私は顔をしかめました。そのおぞましさ。そして、想像が当たっていたことに不快感を覚えたのです。
「お前の母親もその一人でね。二人目産んですぐに死んだが」
「……一体何を言いたいの?」
初めて聞く母の真実に驚き、話の見えなさに不安を覚えました。
「最初からお前達姉妹に愛情なんか無かったんだよ!」
突然父が叫びました。その豹変に私は硬直しました。
「そんな……。嘘よ!」
冗談であってくれることを祈り、私は言いました。これまで私たちに見せてきてくれた父の姿を信じたかったのです。
「はっ。嘘なんかじゃない。これまで優しく接したのは今のお前の顔を見るためだ。なんという愉悦だ。この時を待っていたよ。小学生相手に暴露してもインパクトが無いからな。中学生になるまで長かったよ。……あぁ、父さんの子であるのは間違いない。そこは信じて貰ってもいい」
嘘だ……。嘘だ……。そう思い込みたいのですが、現実は赦してくれません。最後の言葉も信用できるわけがありませんでした。
「だからなぁ。これからは体を売ってもらうぞ」
そう言って父が、否、父と思ってきた男がベッドに座る私を押し倒してきました。
「お前、処女だろ?」
男が私の耳元で囁きます。ぞわっとしました。
「いや……!やめて!」
私は父を押しのけようとしました。しかし、大の大人には勝てません。両腕を押さえ込まれ、また耳元で囁かれました。
「お前が抵抗するならお前以外でも良いんだぞ……。わかっているな?」
その瞬間に妹の顔が思い出されました。あぁ、私の可愛い妹。貴女を汚す訳にはいきません。私の体から力が抜けるのが、自分でもわかりました。
「それでいいんだ。それで……」
父がまた囁きます。
その晩、私は女になりました。
行為の後、私は男に言いました。
「私がこれを引き受けたら、妹には手を出さないと誓って」
男は言いました。
「あぁ。約束しよう。だが、ここの事一切を妹、その他に話した時は、どうなるかわかっているな?」
正直信用は出来ませんが、これを信じていくしかないように思われました。
それからのことはあまりよく覚えていませんし、思い出したいとも思いません。昼間は学校、夜は店に行く日々。自称高級官僚や社長の相手が多かったのですが、中には地元の警察署長や私の通う中学校の校長もいました。睡眠不足から学校では眠りがちになり、成績も芳しくありませんでしたが、高校は推薦で合格――校長が「お前の父に頼まれた。今日はその分だ」と店で言っていた――し、周囲からは不自然に思われないように生きていました。
困ったのは妹への嘘です。可愛い妹に嘘を吐くのは心苦しかったのですが、妹を巻き込まないため。妹に
「最近、夜どこに行っているの?」
と尋ねられたときには困りましたが、バイトを始めたとごまかしました。その後、特に何も言われなかったので、信じたのでしょう。父だった男は、家では元の態度で接してきました。約束が守られる限り、妹に真実が暴露されることは無いのですが。
全ては妹の為に耐えられました。
三年が過ぎ、私が十六、妹が十三になった年のことです。最早日常と化した店の一室で、常連の警察署長が言いました。
「そういえば、さっき社長さんから今度君の妹さんがデビューすると聞いたよ。楽しみだ」
笑い声を押し殺しながらの言葉に、私は血の気が引きました。
午前五時頃、店の車で自宅まで届けて貰っていました。私は帰宅してまずリビングに向かいました。戸棚を開けて紐を探します。すぐに麻紐が見つかりました。私が買った覚えはありませんので、父か妹が何かの梱包に使ったのでしょう。それを持ち、父だった男の寝室に向かいました。幸い、男は眠っていました。
本来なら、こういうことは時間をかけて行うべきなのでしょう。しかし時間がありませんでした。早急に行わなくては妹を守れない。そう思いました。私は男の首に紐をかけます。そして、思いっきり絞めました。男は途中で目覚め、暴れかけましたが既に手遅れでした。ろくな抵抗もせずに四肢から力が抜けていくのが感じられました。呆気ないものでした。
悪夢の元凶がいなくなったこと、やったことで腰を抜かし、しばらくその場に座っていました。すると、いつの間に起きたのか、開けっ放しの扉から妹が顔を出したのです。
「お姉ちゃん……?何があったの……?」
少し寝ぼけていた様子でしたが、口から泡を吹き明らかに死んでいる父の姿を見て目が覚めたようです。リビングに向かおうとしました。
警察に連絡されると厄介なことになります。私は今まで腰が抜けていたのも忘れて立ち上がり妹を追いかけました。幸い、電話する前に捕まえられました。そのまま床に押し倒して口を押さえつけます。
「これは貴女の為なの……!貴女の……!わかって頂戴……」
そう言ったことまでは覚えていますが、そこから記憶が混濁していきます。なんだか力強く妹の口と鼻を押さえていた気がしますが、思い出せません。
私の部屋には人形がいます。
可愛い可愛い大切な人形。私の命よりも大事な人形。それはもうたまりません。長い髪。綺麗な肌。眺めているだけでも楽しいのです。
何も言わない人形。何もしない人形。私の大切な人形。
人形 19 @Karium
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