<旅立ちは突然に>~姦然無訣のバスストップ~



<旅立ちは突然に>~姦然無訣のバスストップ~







逃げるという行為が罪悪であるという‘下種脳’の価値観は、近世まで征服階級として生産者達からの搾取を続けた軍人達によって、人殺しを兵に強要するために作られ、武士道や騎士道の名の下に美化されその本質を隠されてきた。


 結果、逃げるという戦いを避け身を守るための行動は不当に貶められ、現実を直視せず欲望に溺れる行為や目前の問題に対処せず悪化する事態を見逃すといった行動を指す言葉として定着させられていった。


 それは、戦場という本来は人として最も避けねばならない状態を常とすることを前提とした歪んだ価値観の象徴なのだろう。


 戦場とは人間という動物が欲望を制御できずに行う共食いの場だ。


 人間が生存していくうえで必要不可欠な社会を維持していくための価値観を踏みにじり否定する狂った価値観の独壇場たる最悪の空間でしかない。


 その狂気を肯定する価値観は‘下種脳’軍人達が征服者階級から追われ、戦いが人類と多くの種を諸共に滅ぼせるようになった現代でも根強く社会の中に巣食っている。


 生活を支える経済にその狂った価値観を取り入れ、賭博と変わらぬゼロサムゲームを合法とした投機によって世界の征服者階級となった‘下種脳’商人達のせいだ。


 民主主義の理想を己の勢力拡大の為だけに歪めて征服者階級となった‘下種脳’商人達は、やがてその愚かさゆえに自らもその価値観と欲望の奴隷となっていった。


 狂った価値観をもとに運営される近代の企業の活動が、欲望によって暴走するのは当然の帰結だったのだろう。


 富を作り出すために不幸をばら撒くこの経済システムは、大国と呼ばれる国々を征服者階級として、小国を服従者階級とすることで定着していった。


 そしてその背景には、逃げることを許されず戦い続けることと同義の歪められた経済と、大量殺戮の場となった狂った殺し合いが常に存在することとなる。


 もちろん、オレに逃げることが罪悪だという‘下種脳’の価値観は無い。


 だが、逃げられない場面というのはどこにでもあるものだ。




 あの夜、失神から目覚め、うやむやのままにルシエラがオレたちと行くことを認めた後も、まるで意地になったかのようにレイアはオレへと挑んでくるようになった。


 常人離れした身体能力を発揮すれば逃げられないことはないが、それをするリスクは高すぎる。


 だが、それをしなければ、絶妙のタイミングで仕掛けてくるレイアから逃げることは難しかった。


 その結果、過敏体質のレイアはオレの‘気’を浴びて何度も失神する羽目になっていたが、それでもあきらめずにやってくるのはどういうことなのか?


 考えられる可能性はいくつかあるが、その中で一番まずいのが、VRでの快楽依存症だ。


 PSASなどとは違い精神にダメージを受けたことで陥るものではないので、対処が困難なのだ。いわゆるつける薬がないというやつだ。

 

 他に可能性の高いのは精神操作だろう。

 オレを襲えという暗示がかけられている場合だが、それは今さらだ。


 そのおそれは、他の女達、ミスリアにシセリス、シュリやユミカそしてルシエラといったPTメンバーにもある。


 ここがASVR内である以上、オレ以外は皆、外部から操られる可能性はあるのだ。


 なぜオレ以外かといえば、それはオレのPSYによるものだ。


 オレのPSYは、認識したネットやコンピューターを含めた量電子情報機器を接続機器なしにハックし、そのプログラムを自在に書き換えることができる。


 意識のない状態でASVRに放り込まれたせいで、ここをASVRシステムと認識できないためにPSYは働かないが、そうでなければASVR内からのハックも可能だ。


 そういう意味で言えば、やつらがオレにASVRによる洗脳をしかけてくれれば、それは逆にここから逃げ出すチャンスになる。


 これで肉体を相手に抑えられていなければ、地道にバグ探しなどせず、派手なアクションを起こしてやつらにオレを洗脳させるようにしむけるという方法もあるが、さすがにこの状況ではリスクが高すぎる。


 万一にもハックをやつらに感づかれればオレの身体は始末されるだろう。


 その危険がある以上は、行動は慎重に慎重を重ねねばならない。


 重ねねばならないのだが……


「どうしてあんたについて行くかって? そりゃ、あんたにルシエラを任せられるだけの力があるのはわかったけど、あんた自身はろくでもない男だからだよ」


 ようやくシントへと出発することができるという日、乗合魔動車の乗り場で待ち伏せしていたレイアにどうしてここにいるのかと尋ねたオレに返ってきたのは、そんな不名誉なレッテル付けの言葉だった。


 周りを見ると何故だかPTメンバーの女達もそれに賛同するような雰囲気を漂わせていた。


 ミスリアは切れ長の綺麗な形の眼を細め、淡い翠の瞳にどこか生温かい表情を浮かべ。


 シセリスは少しだけつり上がったクールな印象を与える眼からのぞく藍色の瞳にあきらめの表情を浮かべ。


 シュリは子猫のような大きな眼に似合わない深い想いを秘めた黒の瞳を真っ直ぐにオレに向け。


 ユミカは琥珀色の瞳を潤ませ捨てられそうになった子犬のような眼でオレを見る。


 レイアが現れたときのまたかという顔といいオレは彼女達にどう思われているのだろう?


「手は早いし女は侍らすし、そのくせ誑かした女を最後まで面倒みようともしない。これをろくでもないって言わずに何を言うんだい?」


 そう思いながら周りを見回す態度が不満そうに見えたのかレイアは続けざまにこきおろしてくれる。


 どうもオレは最低最悪のハーレム野郎だと思われているらしい。


 優柔不断で傷つけあうのが嫌いだなどと多くの女を引きずる無節操な男よばわりは御免だが、客観的に見てそう言われるのもしかたがないというところはあるだろう。


 彼女達の認識ではここは異世界であって、不法に連れ込まれたASVR空間ではない。


 オレにとっては常に命の危険と人としての尊厳を脅かせ続ける場であっても、彼女達にとってはそうではないのだから、この温い反応はしかたないのかもしれない。


 彼女達がオレに向ける感情もそれから派生する想いも全ては幻だ。


 だが、ここでそれを否定する意味はないし、ここが現実でないと彼女達に語る意味も無い。


 それを明らかにするにはリスクが高すぎる。


 オレという存在が、この世界の運営者でありオレ達をこの世界に連れ込んだ‘下種脳’にどう認識されているのかは判らないが、目立つのは危険だろう。


 ならば、不本意だがこの状況を甘受するしかない。

 

 オレは黙ったまま悲しそうな表情をつくって女達を見回すと、肩を落として修理の終わった乗合魔動車へと乗り込んだ。


「ちょっとあなた言いすぎじゃないの?」


 ミスリアのあせったような声が外から聞こえてくる。


「何言ってるんだい。あんたたちもあたしと同じ目にあったんだろう?」


 少しひるんだようなレイアだったが、居直ったように言い返す。


 普通ならとうてい聞こえない距離でもはっきりと何を話しているのが判る集音機なみの性能を持つ耳に辟易しながらオレは最後尾の座席に着いた。


 視界の端でさりげなく窓から外をうかがうとレイアの台詞にPTメンバーは顔を赤くしている。


 レイアの襲撃を退けた後、失神したレイアを彼女の部屋へ運ぶために、彼女の部屋を知るルシエラの部屋を訪れたのだが、そのせいでオレとレイアの間にあったことは彼女達に知られている。


 それだけならまだよかったのだが、次の日の朝、宿舎の食堂で衆人環視のなか今のように責められたため、この数日は非常に居心地が悪かった。


 村役場の宿舎から宿屋へとその日のうちに移ったのだが、そんなことなどお構いなしにレイアが襲ってきたために、次の日にはまた宿舎に戻る破目になったせいだ。


 それだけの騒ぎを起こしてレイアが官憲に捕まらなかったのは、宿屋にも‘渡り人’のギルドの息がかかっていたこともあるが、それだけ彼らのギルドの公権力に対する影響力が強いことを意味している。


(レイアまでオレ達についてくるとなるとマズいことになるか?)


 レイアもルシエラも‘渡り人’のギルドの幹部だったらしい。


 それが揃ってギルドを抜け、更にオレがルシエラを誑かしたという噂まで重なれば、ろくなことにはならないだろう。


 オレは、乗合魔動車に乗り込んでくる6人の女達を見ながら、これから起こるだろうトラブルの対策を考えていた。




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