<伝説のPSYの伝説>~天異霧包のフォークロア~
世の中には簡単に使ってはいけない類の言葉がある。
それを考えもせずに使うのは‘下種脳’か、分別のつかない子供だけだ。
例えば、正義。
例えば、愛。
例えば、友情。
そして、信頼という言葉もそうだ。
どれも軽々しく使っていい言葉ではない。
しかし、その言葉の大切さを知らないものほどそういった使い方をする。
そういった使いかたは、心無い使い方をすると言われる通り、きちんと心を育てた人間は言葉を無造作には使わない。
なぜなら言葉はときに人を傷つけときに力となるからだ。
もし、言葉にたいした意味がないというならば例を一つあげてみよう。
天皇という言葉がある。
外国人に言わせるなら日本国王だが、いくら米国化が進んだとはいっても、天皇では国際的に判り難いからこの言葉を廃止しようと言って肯く日本人ばかりではないだろう。
権威主義者なら不敬であるとその提案者を攻撃するかもしれない。
言葉にたいした意味がないなら、誰かを攻撃したわけでも侮蔑したわけでもないのにそういったことは起こらないはずだ。
もちろん、そういった言葉を力として使うやりかたは間違っている。
だからこそ、言葉を安易に使わないことが、だいじなのだ。
要は、安易に言葉を使う人間はそれを武器や力として振るう‘下種脳’か。
言葉の重みを知らぬ大人になれなかった愚物か。
未熟な子供だということを表しているという話だ。
では、オレの目の前の女はどうなのだろう?
自分のすべてを捧げて過去を消して欲しいという女を前にオレはそう考えていた。
「すまない、少し焦りすぎたみたいだ。初めから説明する」
黙ったままのオレにルシエラは頭を下げ謝罪する。
交渉術の一つとしていきなり要求のみを伝える方法をとったのか、それとも本当に焦っているのか?
筋肉や目の動きから察せられる緊張の度合いから見れば後者だろう。
だが、無意識に会話の主導権をとるのを常とする人間もいるから思い込みは禁物だ。
「セツナから貴方が高位の状態変化系神呪を使うと聞いたんだ。それなら忘却呪文も使えるはずだと思ってね。4年以前の記憶を消して欲しいんだ。理由はできれば聞かないで欲しい」
セツナというとあのどこにでもいそうな男か。
どうも妙に絡んでくるが裏で動いているのか?
諜報の基本は目立たないことだが、その条件には合う。
やつは何かの工作をしているのかもしれない。
ルシエラの依頼は、突拍子もなく聞こえるが、昼間の情報をあわせて考えるなら、よく言うところの逃避行為だろう。
対処の困難な現実から目を背けるだけの行為は‘下種脳’の価値観である‘戦い=勇気’という歪んだ観点から名付けられたために逃避と呼ばれているが、実際は‘欲求従属’と言ったほうがいい行為だ。
なぜなら逃避は意志による選択だが、従属は意志が折れた結果だからだ。
困難に立ち向かえなくなった人間にどちらがふさわしいかは言うまでもない。
そう考えればルシエラの欲求従属をセツナが利用していることも考えられる。
こちらが接触しようとしていた相手が向こうからやってくるなどできすぎているからだ。
「忘却呪文というと‘アクァームウト’かな? あれは一時的に記憶を失わせるだけだが」
オレは、わざとらしく何のことだろうととぼけてみせた。
リアルティメィトオンラインでは、石化の呪文を使えることと彼女の望む呪文を使えることはイコールで結ばれていたが、それは設定上の話だ。
‘渡り人’でもないオレがその事を誰もが知っている事実として扱うわけにはいかない。
「‘アクァームウト’じゃなく‘レテステュクス’のことだよ」
ルシエラはとぼけるなというようにオレを見据えて言う。
「七つの盲罪の悪魔の呪式である石化の下位呪文だから当然使えるだろう」
とても過去から逃れたくて泣きついてきた女には見えないが、強迫観念に憑かれた人間は時に強い意志で行動しているようにも見えるものだ。
「それは永久に過去を失うという事だ。判ってるのか?」
説得するふりをしながらオレは次にどうするべきかを考えていた。
確かに‘レテステュクス’をオレは使える。
だが、それは許される行為なのだろうか?
どうせここは現実ではないからかまわない?
しかし、現実にもどったときに彼女がどうなっているか。
それが問題になってくる。
「残しておきたいような過去なんてない」
ルシエラは自分が現実に戻れるなどとは思わないからか、迷いのない瞳でそう告げる。
ASVRで本当に記憶が消せるかといえば、答えはNOでありYESだ。
表向きの機能ではそんなことはできないことになっている。
ASVRの中で記憶をブロックしても接続が切れればその記憶はもどるし、ASVR内で使える技能なども同じように使えなくなる。
これは、ASVRが外付けの脳として働いているときしか脳へ干渉できないからだ。
唯一の例外が、表層的なエピソード記憶の追加で、この機能により、ASVR内の仮想が現実であるかのように記憶される。
だがASVRの基となった洗脳装置なら、あらゆる精神干渉が可能だ。
接続中に脳というハードをいじるのではなく精神というソフトをいじれば記憶を消すことはできなくても、決して思い出さないようにはできるのだ。
そして、ASVRとその洗脳装置との差はソフト面でしかない。
「辛い過去も君の一部だ。記憶を消せば、今の君が変わってしまうかもしれない」
人に罪を犯させる理由も話せないのかと暗に言ってやる。
例え犯罪として立証できないからといって罪は罪だ。
他の誰が知らなくても自分だけは知っている。
洗脳装置の研究資料と洗脳プログラムは廃棄済みだ。
研究に係った‘下種脳’科学者も自分の作った装置で科学知識を丸ごと消されて、ただの無害な‘下種脳’になった。
しかし、オレも全てを知っているわけではない。
新たな洗脳プログラムを開発した人間がいるかもしれない。
ASVRとしてハードがある以上ゼロから全てを作るよりそれは簡単なはずだ。
可能性としては少ないが、ここまで大掛かりなことをする連中を相手にするからには最悪の事も考えておくべきだろう。
「人は変わらずにはいられない。永遠なんてどこにもない」
ルシエラは御大層な台詞でそれは罪ではないと言う。
「それが君の意志だとしても理由を聞かなければ、はいとは言えないな」
オレは大きくため息をついて、説得をあきらめたふりをした。
もともと説得など無意味なことは判っている。
これは、彼女から話を聞きだすための儀式にすぎない。
「聞けば、私を気が狂った女だと思うわ」
初めて、感情を表にだしてルシエラがつぶやいた。
それは、困惑に近い恐怖、だろうか?
絶望に近い諦め、かもしれない。
様々な思いがないまぜになった感情が、彼女の望みが理性から来ているのではないことを告げていた
「自分の全てをやるから過去を忘れさせろなんて、もとから気違い沙汰だろう。恋に狂った女が吐きそうな台詞だ」
オレは茶化すように言った後、真面目な顔で続けた。
「それに過去を消すことで君が狂気から逃れられるのならそれは立派な理由になる」
「……私達の住む世界には魔術がなかったの。でもその代わりに凄く少ない数だけど特別な力を持つ人がいた。その人達はPSYと呼ばれていたわ」
そこまで言ってルシエラはオレの顔を覗き込む。
「──続けて」
オレは聞いていると頷いて言った。
「PSYは人にとって利用価値のあるものもあればないものもあった。中には権力を持った悪人達が、力を得るための理屈を壊すために多くの人の心を一つにする力を持つようなPSYもいたらしいわ」
ルシエラが語っているのは現実世界で伝説となっているPSYの物語。
‘ワールデェア’を作り出したPSYの物語だ。
「そして彼の弟子にも有名なPSYがいたの。どんなところにも忍び込んで悪事の情報を盗み出す、魔法使いの賢者。そんな人達を捕まえようと起こったのがPSY狩りと呼ばれる悪党達の誘拐事件」
魔法使いの賢者と訳されたのはウイザード、オレの別名だ。
コンピューターの概念のない世界でハッカーをこういうふうに語るのはうまい方法だが、盗人よばわりはいい気はしないものだ。
ここでこの話が出てきたのは、偶然なのだろうか?
もし、そうでないのなら最悪一歩前というところだ。
オレの正体がばれたのなら、即、殺されることもあり得る。
「私もその事件で捕まったPSYの一人だったわ。だから向こうの世界にはいい思い出があるわけじゃない。友人には裏切られ、家族は殺された」
その事件はおそらくまだルシエラを名乗る女性が少女だった頃に遭った事件だろう。
それから彼女の人生で信頼や愛を分かち合える相手がいなかったとしても、家族との想い出もいらないのなら、わざわざ失った事を語りはしないだろう。
ならば、彼女が記憶を消せと頼むのは、それが直接の原因ではないだろう。
これは彼女に忘れられて哀しむ者がいないという報告だ。
「………………それだけ?」
オレは内心を悟られないように自然な声で続きを促した。
「いいえ。私が狂ってると思われるのはこれから」
ルシエラが整った美しい顔をゆがめて泣きそうな顔でつぶやく。
「私達の世界には人の心を作り物の世界の中に閉じ込める技術があるの。私は捕まった時、その技術のテストに選ばれた。理由は私が人の判別ができるPSYだったから」
どうやら話は核心に迫ってきたようだが、何かがひっかかる。
どうにも不自然さがつきまとうのだ。
「そして、その技術には人の心を複製して別の人間に植え付ける技術もあったの。その時、もとの人間はそのままに同じ人間を二人にするという技術が生まれた」
それは予測はしていたが、最悪に近い話ではあった。
これで聞かなければならないことは、あと一つだ。
「もしかして、君はそのときに生まれたもう一人の君だというのか?」
オレはその最後の一線を越えるための問いを口にする。
「いいえ。その時の私の分身はPSYが使えなかったの。その技術はPSYを再現できなかった」
オレは怪訝な顔をしてみせる。
彼女が自分自身もデータだと思っていることは判っている。
あれは自分がコピーだと言ったのではないのだろうか?
「でも、私自身が身体から切り離されていた時にもう一人の私が私の身体を動かしていたわ。心が身体から切り離されたの。その研究をしていた人達は彼らと敵対していた人達に殺され、もう一人の私も研究所と一緒に爆破された。私は別の所に連れ去られてそこで殺されそうになったところを、魔法使いの賢者の報せで駆けつけた警察に助けられた」
それが本当なら、この事件の様相は大きく変わってくる。
この情報の真贋はどうしても確かめなければならないようだ。
それがどんな不本意なことでも。
「それからは、極普通の暮らしができたわ。名前も顔も変えなくちゃいけなかったけど両親の残した遺産と政府の保護支給金は貰えたしね。一生働かなくても食べていけるだけのお金を持って隠れて暮らすの。リアルティメィトオンラインで友達もできた」
ルシエラは皮肉げに自分の過去を話す。
それは現実の世界では親しい人間などいなかったということなのだろう。
「リアルティメィトオンラインというのは、この世界そっくりのMM……じゃ判らないか。この世界を模した世界で遊ぶゲームなの。他の皆はなぜかこの世界にもとの世界から渡ってきたと信じてる。違う身体になってるっていうのにね」
「それは、君は違うと思っているわけか?」
「ええ。この世界はもとの世界の人間がつくった作り物。わたしはまた捕まってしまったのよ。もう私はあんなやつらに利用されるのは真っ平。ルシエラとして生きてルシエラとして死にたいの」
それは、PSY狩りが彼女に与えたトラウマ故の恐怖なのだろう。
その声は本当の怒りと絶望に満ちていた。
道具として扱われるというのは、それがどんなに待遇がよく見えても、奴隷として扱われるのと変わりはない。
本当の自由を自分の意志ですべてを決め人生を歩む強さと喜びを得た人間はそれを許容できない。
人生を欲望を満たすためだけのものと考える‘下種脳’の価値観では、力ある者に飼われることと、自らの意志で働くことに差など見出せないだろうが、それは確かに違うものなのだ。
‘ワールデェア’と‘下種脳’の戦いはそういう価値観同士の戦いだった。
それが作り出す被害は、戦争のような‘下種脳’同士の戦いと違い、いつでも‘下種脳’の犯罪として判りやすく現れる。
今はルシエラと名乗る彼女もその被害者の一人だというわけだ。
ならば、オレはどうするべきだろう?
彼女の話をそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。
オレは全ての話を終え、オレの答えを待つ彼女を前にこれからの事を考えていた。
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