一般人
自宅に帰るとふと部屋の隅にある箱が目についた。なんだったかと記憶を探り、そういえばと思い出す。そういえば、波多野に返すのを失念していた。もはや自分を振り返るのも煩わしくなり、浅井はぼんやりとした思考のまま、その箱をテーブルの上まで運んだ。予告せず欠勤しているため、うるさいくらい波多野からの連絡が来ていたが、返事をする気にはなれなかった。
それにしてもあのがらくたたちがどうしてそれほどまでに彼の心に残っているのだろうか。取るに足らないものばかりが入っており、執着するほど重要なものが入っているようには思えなかった。傍若無人な彼にも箱の中にしまい込んでおきたいような日々があるのかもしれないが、イメージとは異なる。
浅井はソファに座り、蓋を開いた。運んだときの揺れのせいで中身は乱雑に散らばっている。以前見たロープや手錠を取り出し、それから中を検めていった。刃が落とされたナイフが転がっていると思えば、開封されていない絵の具のチューブなどもある。散乱した波多野の欠片をつなぎ合わせる共通点など見当もつかなかった。
さらに一つずつ、テーブルの上に並べていく。そのうちに柔らかな感触が指に触れた。丁寧に広げるとコック帽であることがわかり、頬が緩んだ。あまりにコック帽然としているコック帽を見るのは初めてだった。格別とした奇妙さだ、と眺めていると内側に付着した暗い染みが目についた。
いや、と否定する。染みではなく、文字だ。
それに気付いた瞬間、浅井は呆け、同時に胸が騒ぐのを感じた。
記されていたのは「屋代」という文字だった。
これは波多野の私物ではなかったのか? 浅井は怪訝に思い、テーブルの上に投げ置かれたがらくたをもう一度手に取る。改めて確かめるとそのすべてに名前と思わしき文字が記されていた。顔が一致する名前は他にはない。だが、どれもが見覚えのある固有名詞のような気がしてならなかった。
どこで目にしたのだ?
とっかかりを覚え、バーチャルコンソールを立ち上げる。そのついでに屋代の動向が気にかかり、壁に報道番組を投影させた。
興奮を滲ませたキャスターが続報を声高に述べている。どうやら食料供給管内部の画像が公開されたらしい。投影された画面には管の内部に張り巡らされた白い網状の物質が映し出されていた。絡み取られて衝突し、割れた容器の隙間からは暗緑色の液体が漏れ出している。腐敗した料理だろうか、その飛散したさまは爆弾が破裂する瞬間を固着したかのようでもあった。脳内で悪臭を放つ画像のせいで頭蓋骨の中に虫がたかる錯覚に陥り、鳥肌が立つ。なんとか振り払おうとしているうちにキャスターは続けた。
『屋代容疑者は取り調べに対し容疑を認めていることから重大犯罪における特例措置が提供される見通しです』
淡々とした声が耳から通り抜ける。繰り返される「特例措置」という単語に浅井は乾いた笑いを堪えることができなかった。
黙秘はどうしたんだよ、屋代。
浅井は呆然とテレビを見つめる。未だ明確な被害箇所に関しては語っていないようだったが、それは些細な問題だ。
かつて特例措置が適用され、追放刑が執行されたときもそうだった。人知れずコンピュータウイルスを作成し、中央管制塔のシステムを破壊しようとした人間は裁判らしい裁判を受けることなく、刑に処された。逮捕から五日とかからなかったはずだ。国家運営を妨げる犯罪という定義に相当し、容疑者が罪状を否認しなかった場合、あらゆる段階を飛ばして刑を確定できる法律がこの国にはある。
「あまりに拙い弁明」をしたあの犯人は――と記憶を探った瞬間、浅井の身体が強張った。
まさか、と箱の中にある記録媒体を手に取る。円柱状の記録媒体、その底面には名前が刻まれていた。記憶の糸が即座に繋がる。あのコンピュータウイルスの作成者の名前だ。
気付けば浅井は立ち上がっていた。
がらくたに記された名前を一つずつ、それぞれの道具とともに検索していく。するとあっさりと持ち主と思しき人物が掲載されたニュースに行き当たった。褒め称えられているものもあれば許しがたい犯罪として批難されている記事もある。
質が異なる、関連性もない行為を結ぶ共通点。
それは持ち主の言葉だった。彼らはいちように同じ言葉を口にしている。
『この国は満ち足りているが、重大な不足がある』
ある者はナイフを用いて首長に対し暴力的な対話を試みた。ある者は巨大な絵を描いて発表した。ロープを腰に結わえて中央管制塔の外壁を登った者もいれば、公職者に手錠をかけて拘束しようと目論んだ者もいる。
それらの行為にどれだけの意味と効果が生じるか、浅井には推測すらできない。だが、彼らは間違いなく自分の行動を確たる正義であると信じているようでもあった。もちろん、コンピュータウイルスの作成者も似たようなことを言っている。
『私たちのために動くシステムはことごとくが素晴らしい檻だ。誰しもが快適なそこから出ようとしなくなる。だから壊さなければならない』
人脈のK2などと比喩したが、改めて波多野の交友関係の幅広さ、節操のなさを思い知り、浅井は苦笑した。どれだけ犯罪者の友人が多いのだ、と。
同時に一つの確信を抱き始めている。
この箱に収められている物は意志だ。この国の危機を打ち破るために行動を起こした人物、彼らに関わる品を清濁の基準なしに詰め込んでいるのだ。箱をひっくり返すと、腕時計が転がる。森津もその一人なのだろう、そこにはやはり彼の名前が刻まれていた。
ふと、雨と風を強めて陽気に笑っていた波多野の言葉がこだまする。
――勝利にはな、二の矢三の矢が必要なんだよ!
おそらく、これまで知らない誰かが矢を放ち続けていたのだ。満ち溢れた、そして、閉塞した状況に疑問を覚え、がらくたの所有者たちは行動を起こし、そして失敗した。当然だ、彼らの行動には繋がりなど見て取れない。一般市民が連続性を忘れ、まったく個別の変人や偉人として扱ってしまうことにおかしい点はなかった。
そして屋代も――。
手をこまねいている場合か、と誰かが言う。
誰か、とは、自分だ。暗くなっていた視界が明るくなり、その瞬間、浅井は自分のやるべきことを理解した。
このままでは人々は元の場所へと帰っていく。確かに、彼らにとって仮想現実はあるべき場所かもしれない。それを批難し、手触りのない偽物の世界に囚われるのは滑稽であると見下すことなどできはしない。
だが、浅井にはそこで美しいものが生まれるとは思えなかった。
本当に美しいものは危険な場所でしか生まれない。
直視しがたい現実に苦悩し、問題を打開するために試行錯誤し、ときに虐げられ、あらゆる困難を突破するために、美しいものが生まれる。生命の危機か、存在の危機か、集団の存続の危機か、それらは問わない。他人にとっては些細な問題でも、当人にとっては身動きの取れないような障害になることもあるだろう。
そして、美しいものが生み出されたとき、必要になるのは普通の人間だ。
偉人の営みと連続性を理解しようとする、普通の人間。今、彼らの連続性に気付き、手段を得ている「普通の人間」が自分しかいないことに浅井は喜びを覚えた。第一人者であれたことなどなければこれから先そうなれる自負もない。いつだって他人のあとを追ってきただけなのだから、特別を望むのは傲慢に過ぎる。
だが、そこには確かに自分の存在意義があるのだ。
浅井の身体の中央で使命感が熱を帯び、血流に乗って指先にまで行き渡っていく。あとは屋代と美しいもの――〈エイブラハムの樹〉を繋げるだけで、待ち侘びていた物が手に入る。その予感に自然と身体が動いていた。
自分が動きさえすればすべては好転する。この国に足りないものを埋められる。
猪突猛進だと謗られても構わない――今が「いずれ」だ。
〇
一度、森津の青空市場に寄ってから、浅井はライブハウスへと赴いた。中に入ると〈エイブラハムの樹〉の五人は揃って顔を上げた。覇気のない表情で彼らは浅井の名を呼ぶ。沈痛さが滲んだその声に、浅井は努めて茶化すように言った。
「なんだ、揃いも揃ってお通夜みたいな顔してるな」
だが、反応は薄い。全員が申し訳なさそうに顔を歪めている。気にしていない、と伝えたところで彼らの心が晴れるとも思えず、浅井は続けた。
「今後の話だけど――」
その瞬間、隼が悲痛な表情で駆け寄ってくる。その拍子にそばにあった粗雑な折りたたみ椅子が倒れ、耳障りな音が響いた。それすらも聞こえなかったかのように彼は縋り付くように浅井の腕を掴んだ。
「浅井さん、俺たちを見捨てないでくれよ! 馬鹿なことしたって本当に反省してるんだ! 頼むよ、俺たちを諦めないでよ」
「おい、隼、ひっつくな。そんなつもりはないから」
絡みつく隼の腕を振りほどき、浅井は慌てて宥める。こぼれ落ちそうな彼の涙に当惑していると美波の視線に気がつく。彼女の声もいつになく細く、頼りないものになっていた。
「浅井、許してくれるの? 私たちがしたことは――」
「許すも何も」浅井は相好を崩さずにはいられない。「ロックバンドが問題を起こさなかったらそっちのほうが嘘だろ? それより約束を思い出せよ」
「約束?」と隼が訊ねる。
「俺は責任を取る、お前らは全力でやる。俺は約束を守るぞ。お前らはどうする?」
浅井の発言は考えていたよりも効果があったようだった。〈エイブラハムの樹〉の間で硬直していたどうしようもない緊張感がわずかに弛緩し始めている。桐悟以外の四人の視線は困惑が混じりながらも浅井へと向かってきていた。
「今は次のことを話そう」
「次って言っても、公的施設はすべてシャットアウトされてますよね。今できることなんて……」
「まあ、後者はともかく前者は良志の言うとおりだな。公園もホールも俺たちの申請は取り合ってくれないはずだ」
「浅井、何をするつもりなの?」美波は二日前から乱雑に放置されている機材をちらりと覗き、訊ねた。「後者はともかくってことは何か案があるんでしょ? 音源とか?」
「いや、あれだけの騒動でも〈エイブラハムの樹〉が広まっているのはほんの一部だ。音源を配信するのは確実になってからのほうが効くと思うんだよ」
核心を口にしなかったためか、四人は疑問を隠しもせず、黙り込んだ。その様子を桐悟が鼻で笑う。彼はまるで表情を隠すかのように遠くを見ながら、首肯を繰り返して、言った。
「浅井の言いたいことはわかってるよ。もう一回、編曲なり練習なりを徹底しろ、ってことだろ? 今できることなんてそのくらいだ」
「そっか」と滝が頷く。「そうだよね、まだ完璧じゃないもんね」
「桐悟、残念だが外れだ」
桐悟の視線がゆっくり浅井へと動く。椅子に腰掛けたままの彼に浅井は力強く宣言した。
「やるのはライブだよ。今までずっとそのために動いてきただろ」
「……浅井、なんでだよ」桐悟のかすかな叫びは悲鳴に近く、明らかに唇が震えていた。「なんでそこまで執拗にライブにこだわるんだよ! いいじゃねえか、今じゃなくてもよ!」
「怖いのか?」
「茶化すなよ!」
桐悟が立ち上がり、浅井を睨む。彼の目にあるのは怒りではなかった。夥しいほどの不安が浮かんでいる。どれだけ努力しても望んだ結果が手に届く場所になかったとしたら――そう恐れているのかもしれない。
浅井はかつての自分と桐悟を重ね合わせる。それから、ゆっくりと首を振った。
「桐悟、今がチャンスなんだ」
自分にとっても、とは口にしなかった。屋代が起こした事件の連続性など語る必要はない。人にはそれぞれ役目があるのだ、無駄な負担を背負わせたくはなかった。
「いいか、お前たちの音楽はこの不自由な現実だから生まれたんだ。俺はそう思ってる。じゃあ、こっちに人を引きずり込むしかないだろ。こんな機会はもう来ないぞ」
「音源出して、それが認められたら――」
「桐悟」と浅井は彼の言葉を遮る。「それが本心ならセットリストを変えるはずがないよな? お前は直接ぶつけなきゃ自分たちの音楽が理解されないと思った、だから自分の信じることをした。違うか?」
「それは……」
「もうお前はこのライブハウスの外に出たんだ。そろそろ世界を変えろよ。今、誰かに認めてもらえたなら壁にぶち当たっても進むことができるんだぞ」
「そんなの! ……浅井、お前がいるじゃねえか」
浅井は苦笑を抑えきれずに小さく喉を揺らす。「俺を数に含めるなよ」
「含めるに決まってるだろうが! お前がいたから俺たちは……」
彼らしくない言葉だった。ことあるごとに反発していた姿がおぼろげになる。
桐悟はいつでも不安だったのかもしれない、と浅井は悟る。どれだけ努力しても遊離症によって多数派への参画を許されず、人の輪から外されることを余儀なくされてきたのだろう。だから強い言葉で恐れをごまかしてきたのだ。リーダーであることに気負い、他のメンバーを支えるために彼は誰よりも頼りない地面の上に立っていた。
だからこそ、浅井は彼らに知って欲しいと願う。〈エイブラハムの樹〉の音楽は現実だからこそ威力があるのだ。聴覚だけでなく触覚で感じて初めて意味がある。仮想現実では完全には再現できない感覚が彼らの音楽を着色する。そして、それを愛してくれる人が数え切れないほどいるのだと実感して欲しかった。
数時間後にはもう、浅井は彼らの前から消えているからだ。
「……お前たちに必要なのは目の前の結果だよ。結果がないから自信がない。自信がないから失敗を反省できずに後悔する。結果は俺だけじゃ与えれないから、今度こそ、何も制限のないライブをやって欲しいんだ、たくさんの人の前で」
「どうしてですか」
そう訊ねたのは良志だ。彼は桐悟を一瞥し、拳を握った。
「俺も桐悟と同じ気持ちです。浅井さん、あなたがいたから俺たちは決心ができた。それには本当に感謝しています。ですが、この状況でライブをやるなんて現実的ではないと思います。それも大勢だなんて……方法があるなら説明してもらえますか?」
その問いに答えるわけにはいかなかった。説明をすれば彼らも共犯者として数えられる可能性がある。曖昧にはぐらかしていると良志だけでなく、滝や美波までもが加勢に加わった。納得しない彼らに、どうしたものかと悩み、やがて痺れを切らした浅井は思いつくままに言い放った。
「お前らなあ、俺の指示無視したんだから今回は言うとおりにしろよ」
苦笑交じりの言葉が、ふわり、とライブハウスの中で漂う。険しい顔つきをしていた全員が毒気を抜かれたかのような表情で浅井を見つめていた。
「……それを言ったら、俺たち抗えねえじゃねえか」
「本当だよ」隼がだだをこねる子どもを目の前にしたかのように肩を竦める。
「浅井、それはずるい」
「わたしたち手も足も出ませんよ」
「しかし、それでも手段が……いや、時間と場所だけでも教えてもらえますか」
「じゃあ……そうだな。一時間後にやろう、昼時で人も多いし」
「一時間後って」
急すぎる、という当惑の声を、浅井は聞かなかった振りをする。
「で、場所はここだ」
「ここって……え、このライブハウスですか?」
冗談だと思ったのか、滝は浅井とメンバーの間で視線を彷徨かせる。「信じられない」と実際に言ったわけではなかったが、言外にその言葉が滲み出ていた。
「ここなら誰にも文句を言われることはないしな」
「文句を言う人もいなければ来る人もいないようにも思える」
「大丈夫だ、美波。問題ない。今日、このステージの周りは人で埋め尽くされる」
浅井の断言に〈エイブラハムの樹〉はあからさまな戸惑いを見せた。当然だ、彼らと出会って以降、浅井自身もこのライブハウスに足繁く通っていたが、音楽を求めて扉を叩いた者は誰一人いなかった。無邪気に浅井の言葉を信じるにはこのライブハウスはあまりにも広い。
だが、あくまで、彼らにとっては、だ。
ひしめき合い、熱狂に雄叫びを上げる観客の存在を、浅井は確信している。
「どうした? やらないのか?」
「やらないのかと言われても」と良志が言いにくそうに顔を歪める。「むしろ本当にやるんですか? 現実感がないんですが」
「現実感なんて説得力のある妄想だ。現実がその通りになるなんて誰が決めた?」
「誰って言ったってさあ」
隼ですら言葉を濁し、暗に拒絶の意を示している。いつでも前向きに浅井の提案に乗ってきた彼の躊躇は浅井にも意外で、それきり〈エイブラハムの樹〉は沈黙した。互いの顔色を窺う彼らの態度に浅井は唇を噛む。
俺に、誰かを動かすだけの力はないのか?
少年時代から懊悩し続けた無力感が静寂となって浅井に圧力を加える。今ここで動かすことができなければ人々は元の生活に戻ってしまう。屋代の行動が消え、〈エイブラハムの樹〉が手に入れるはずだったものがなくなるのだ。
そして、頼む、と懇願しようとしたそのとき、滝が沈黙を破った。
「――やろうよ」
その明るい声は「がつん」とも聞こえる力強さに満ちていた。彼女は立ち上がり、傍らに置いてあったギターを掲げる。
「誰も来なくたってさ、そんなの慣れっこじゃん。そのときはそのとき! 練習してたって考えればいいんだからさ」
「……それは慣れるべき事態じゃないけど」と美波が目を細める。
〈エイブラハムの樹〉にとって聴衆を目の前にしたライブはとてつもなく幸福な時間だったはずだ。その喜びを知った今、来るはずのない観客へ向けて演奏するのは恐ろしいほどに空寒い行為に違いない。たとえ名目だけであろうと、劇的に変化した状況から後退するように感じられてもおかしくはなかった。
だが、ギターを握りしめた滝は爽やかに微笑を湛えている。数週間前まで「強く意見を言えない」と愚痴をこぼしていたのが信じられないほど、彼女の佇まいには確たる芯が通っていた。
「ね、みんな、やろうよ。減るもんじゃないし」
滝の呼びかけに空白が生まれる。しかし、それが埋められたのはすぐのことだった。
「……まあ、今回は逆らえねえからな」
静かに同意した桐悟は少年のような笑みを浮かべていた。初めて目にする無邪気な笑顔に浅井は小さく頷く。
「魔法を見せてやるよ。みんなはどうだ?」
「じゃあ、決でも採ろうか」
美波の提案に桐悟が頭を掻く。「こういうのは――」
「多数決で決められることじゃない、のを踏まえて」美波は右手を肩ほどにまで挙げて歌うように言った。「ここが人で埋め尽くされた光景を一度でも想像したことがある人」
はい、と滝が高らかに返事をする。隼と良志が続く。恥ずかしそうに桐悟が伸びをし、それから、強く手を叩いた。
「決まりだな、五対〇……六対〇か」
「ようやく素直になった」
「うるせえな。早く機材設置するぞ」
彼は腕まくりをしながら隅の機材へと向かう。その足取りは力強く、不安や恐怖とは対極にある晴れやかなものを感じさせた。
「よし、みんな、全力でやる初めてのライブだ。気合い入れていこう!」
そこで〈エイブラハムの樹〉の動きが止まった。激励のつもりであったはずなのに、全員が不満そうな顔を浮かべている。
「浅井さん、初めてじゃないですよ」と滝が唸る。
「今までのこと、忘れたの?」と隼が肩を竦める。
失言であることは疑いなく、浅井は咄嗟に謝った。確かに「全力で」というならば市民大会や青空市場でも彼らは全力を尽くしていた。
「すまん、三回目だったな。誤るよ」
しかし、その訂正にも良志は呆れた。「違いますって」
「これが四回目だっつうの」と桐悟が溜息を吐く。「忘れたのかよ」
「四回目?」
計算が合わない。浅井が来る前にもライブを行った経験があるのだろうか。どういうことだ、と困惑していると、静かに美波が浅井へと指を向けた。
「浅井にせがまれてやったライブが、一回目でしょ」
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