名前のない愛のうた
おがりん
第1話 出会い
パチパチと手を叩く大きな音が聞こえ、ハッとする。音のした方を向くと一人の男がこっちを見て笑っていた。
「すげー…綺麗だな……」
男が独り言のようにつぶやく。いつの間に窓が開いていたんだろう…。
「今の、何て曲?」
「………」
放課後の誰もいない第一音楽室で一人、ピアノを弾くことが毎日の日課であり楽しみでもある。それを誰かに壊されたのは初めてだ。…というか今、褒められた………?
ガタッ!と大きな音を立てて椅子が倒れた。でもそんなことを気にする余裕はない。顔がカッと熱くなるのを感じる。鏡を見なくても、みるみる赤くなっていくのが面白いほどによくわかる。
……それからのことはよく覚えていない。気づいたときには自分の部屋で蹲っていた。
***
「ん~っ!」
部活が終わり、30分後にようやく片付けも終わり…。俺は体育館を出たすぐの渡り廊下で、思い切り伸びをした。
「おい!邪魔だっての!」
声がしたのと同時に、チームメイトの
「おっ…すまーん!」
「すまんって思ってねぇだろ………」
「あ、バレた?」
笑いながら答え道を開けると、納地は不機嫌そうに、低い目線から俺を精一杯睨んできた。
「なんだよ~!上目遣いで俺を見つめて……」
その姿が中学生を見るようで微笑ましくなり、ついからかってしまう。
「睨んでんだよハゲ!ちっくしょー!なんでおまえが186cmもあんのに、俺は163cmしかねぇんだ!よ!!」
納地の八つ当たり!渾身の一撃が俺のみぞおちを襲う!
「ぐえっ…!おまえ……身長的に…俺の……みぞ………」
「あ~!スッキリしたわー!じゃあまた明日なー」
俺の抗議を全く聞かずに、納地は爽やかな笑顔を振りまきながら去って行った。
「…ったく…………ん?」
やっとの思いで立ち上がり、俺も帰ろうと歩き出すと、セミの音に混じってどこからかピアノの音が聞こえてきた。
「あっちい…」
音のする場所を探している間中、手の甲で拭う暇もなくおでこからあごへ、あごから地面へと汗が滑り落ちる。もう9月だというのに、太陽は容赦なくジリジリと俺を焼いてくる。
歩くたびにピアノの音が大きくなっていく。それにつれて、自分の心臓の音もどんどん大きくなっていくのを感じる。どんな人が、どんな風に、不思議と惹かれるこの曲を弾いているのか………。
「あ………」
見つけた。
夕焼けのオレンジに染まった音楽室で、同じようにオレンジに染まった人。開いた窓から入る穏やかな風が、その人の髪を揺らしている。吸い込まれるように強いが、包み込むような優しい音楽を奏でるピアノとその人に、瞬きも忘れて見入ってしまう。そのうちにピアノを弾く手が動きを止め、流れていた音楽は余韻を残して終わりを告げた。パチパチと音がしたかと思うと、肩をビクッと震わせたその人が驚いたような怯えたような表情でこっちを見た。
「すげー…綺麗だな……」
気づいたときには勝手に口が感想をしゃべっていた。その前に拍手もしていたようで、パチパチという音は自分の無意識の拍手だとわかった。
「今の、何て曲?」
「………」
その人は黙ったままでしばらく動かなかったと思うと、突然大きな音を立てて椅子を倒し、立ち上がった。顔がどんどん赤く染まっていき、その色が夕焼けのせいじゃないことを教えてくれる。しばらく沈黙が流れ、何か言おうかと迷っていると、その人は椅子のそばに置いてあったカバンを掴んで一目散に逃げ出してしまった。
「あっ…おい!」
慌てて声をかけるが、その人は一度も振り返らずに走り去っていった。
「なんだよ………あっ」
なんとなくピアノに目を向けると、楽譜が置きっぱなしになっているのに気づく。さすがにあの後じゃ帰ってこないかな…。いや、まず忘れたことに気づいてないかもな。
「…よいしょっと」
俺は靴を脱いで窓から部屋に入って、楽譜を手に取ってみた。手書きの譜面だ。空いている部分には丁寧で規則正しく整った字で、弾くときの注意のようなものがびっしりと書き込まれているけど、タイトルは書いていなかった。
「…とりあえず、明日返すか……」
背負っていたリュックを下ろし、中にしまおうとした時に、ふと楽譜の裏側が見えた。
「ん?…ゆき?」
『作曲:瀬乃晴子 由紀へ』と丁寧な字で書かれていた。もう一度さっきの人を思い返してみるが……。確かに雪みたいに白い肌だったけど、明らかに男だったよなぁ…?
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