ステージ

くさかみのる

第1話


 死体が転がっている。

 頚動脈けいどうみゃくを切り裂かれたのか、床に広がるのは鮮やかな赤だ。

 悲鳴を上げたのは春奈はるなだった。髪を振り乱している。

 慌てながらも死者の脈を確認しようと近づくのは正章まさあき。ハンサム顔といって間違いない男だ。

 死者と彼らは知り合いだろうか。いや知り合いだったはずだ。だがそれにしては動揺の度合いが少ない気がする。

 友人ならば人一倍、嘆き、畏怖し、取り乱しもいいはずだろう。泣き崩れるくらいしてもいい。その方がずっと観客の興味を引くのだから。

「どうして広子ひろこが!」

 死者の名前は広子。

 愛らしく、穢れを知らないヒロインのような女子で、はじめに死ぬにはうってつけの存在だ。

 白いワンピースをつけた白磁の肌。黒染めの髪は床に散らばり、頭部から鮮血を流している。

 正章が腕を組んで歩き出した。

礼二れいじが怪しいな。あいつは広子に付きまとっていた」

「でも昨日、礼二はアタシたちと一緒に行動してたわよ」

「そうだが――いや、トイレに立っただろう。10分くらい」

「そんな短時間で広子を殺してロッジに戻ってくるのは無理よ。それに昨日は夕方から雨が降っていたから、外に出て濡れてないのはおかしいし」

 犯人を当てるつもりなのだろうか、愚かなことだ。

 分かるはずがない、この事件の犯人など。

 無駄なことなどせず、決められたとおりに友の死を悼み、悲しみに打ち震えればいいのに。

 しかし彼らは非常にも、死者を悼むよりも犯人探しへと意識を向けてしまった。

「きっとこの像が凶器よ。ほら、ここに血痕が」

「犯人の指紋がついてるはずだ。警察に届ければ」

「駄目よ。それじゃアタシたちがしたことまでバレちゃう」

「でもじゃあ、どうしろって言うんだ!」

 正章が叫ぶ。

 その叫び声は実にすばらしかった。心から叫んでいるように感じる。それでこそ舞台を用意した甲斐があるというものだ。

 しかし春奈は考え込み、黙ってしまう。

「おかしいわ」

「……犯人を捜すんだろ?」

 正章が台詞を正すよう声をかけるが、春奈は乗ってこない。

 カーテンを開いた。

 湖が見える。

 ここの宿泊ロッジはすべてで5つ。休暇を利用して練習をするためにみんなで来たのだ。

 3日後まで、迎えの車は来ない。

「おかしいって、ねぇ」

「台詞忘れたのか? 次の台詞は『アタシだって考えてるわ!』だ。なんでこんなとこで台詞を――」

「違うよ!!」

 ああ、そうか。ようやく気づいてくれたのか。嬉しい限りだ、春奈。

 けれどキャラクター口調でないのは減点対象だ。

 正章が肩を竦める。

「なにがおかしいんだよ。なぁ広子。お前も死体役で倒れてんのしんどいのにな?」

 呼びかけられた死体は動かない。

 今は劇の練習中で、広子は死体役。だから動かないのは当たり前だ。私はリアリティを求める演出家だから、死体役ならばそれ相応の演技をしてもらわないと困る。

 できないのであれば、できるようにしてあげるのが私の仕事だが。

「広子?」

 正章は返事を返さない広子に近づいていく。

 春奈は正章とは逆に広子から離れていく。

「おいひろ――っ」

 笑顔で呼びかけていたハンサムの顔がこわばった。

 早く気づけるようにと、匂いも、色も、残してあげたのだから、そろそろ気づいてほしい。

 白いワンピースに飛んだ血の色を、目を見開いたまま眼球が乾いている少女の様子を、彼女の胸は一度でも上下しただろうか。

「おい、なんで、死んで」

 春奈の悲鳴が聞こえる。それこそ腹の底から出すような悲鳴が。

 すばらしい! これこそ私の求めていた演技だ。

 正章が再び広子に駆け寄り首に触れ、脈を取るが鼓動が指に伝わることはない。

 当たり前だろう、そこにいるべきなのは冷たく横たわる死体なのだから。

 そして君たちは舞台の役者だ。

 物語が終わるまで、正しく私が導いてあげよう。エンディングはもちろん、知っての通りだ。

 さぁ、観客に息を呑んでもらうような、そんな演技をしようじゃないか。

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