エピローグ『約束』

 ゆっくりと、ことさらにゆっくりと、シドウの瞼が開く。

 飛び込んできた光景は、薄暗い洞窟の天井ではなく、晴天の青空だった。

「はて?」と、起き抜け様にシドウは奇妙な違和感を覚えた。


 シドウが洞窟に飛び込む前、暗殺ギルド『キルルド』のアジトを潰して回っている間、空は曇天で、今も雨が降り出しそうだった。

 なぜ? という疑問はすぐに解消される。

 横たわった芝生が湿っている。

 とうの昔に雨は止んでいたのだろう。


 状況の整理が終わり、次いで、シドウは体の具合を確かめた。

 胸の鈍痛は相変わらず。マナの欠乏による脱力感も相まって、体を動かすのも億劫だ。

 けど、


「生きている……」


 どういうわけか、胸の傷もふさがり、出血も止まっている。誰かが傷の手当てをしたのだろう。

 そうでなければ、シドウは大量の血を失い、死んでいた。


 一体誰が……?


 シドウはシャツをめくり、胸の傷口を見る。袈裟斬りに斬られた傷は一応は塞がっている。魔術による細胞活性で傷を塞いだらしく、治療した傷の周りだけ、肌の色が変わっていた。袈裟斬りに斬られた痕がくっきりと残っている。

 それに、癒し方はお世辞にも上手いとは言えず、ちょっとした衝撃でも傷が開きそうだった。

 アリシアの手による治療ではないだろう。

 彼女が治癒すれば、傷跡すら残らない。痛みもないだろう。


 だが、アリシアほどの腕を持つ治癒師でなければ、魔術を分解し無効化する体質を持つシドウを治す事は出来ない。


(一体、誰が……)


 ひとしきり悩んでみたが、終ぞその人物に思い至らなかった。


 諦めたシドウはそのまま寝返りをうつ。

 その時になって、ようやくシドウは誰かに膝枕をされている事に気付いた。


 体は濡れた芝生に横たわっているのに、頭だけが温かく、柔らかい何かの上に乗せられている。

 最初に気付くべきだった。

 だが、目を覚ました直後、それに傷の治療に意識が向いていた事もあって、当然、最初に抱くべき疑念をそのままにしていたのだ。


 シドウは、ゆっくりと膝の主を仰ぎ見る。

 最初に飛び込んできたのは銀色の髪。

 黒いシャツは派手に裂け、肌が露出している。裸一歩手前だ。シドウは慌てて彼女の下着から目をそらす。

 次いで見たのは、彼女の顔。泥や小傷は目立つが大きな傷はない。今は眠っているようだが、彼女が悪夢にうなされている様子もない。穏やかな寝顔だ。

 それだけで、シドウは安堵する。


 ユキナには初めて人を殺す姿を見せた。人が目の前で死ぬことも、殺したのが知人だということもかなりのショックだった筈だ。だが、彼女の寝顔を見るにそれ程トラウマにはなっていない。

 心のケアは必要だろうが、慌てる事も無さそうだ。


「……ユキナ」


 シドウはユキナの寝顔に腕を伸ばす。

 ユキナの柔らかな肌に指が触れる。シドウは愛玩動物を撫でるように指先を動かす。


 どうにもおかしな気分だ。

 シドウはユキナの頬を撫でながら苦笑する。


 ユキナはシドウにとって、守るべき人間。そして、死に場所。

 それ以上の意味はなかった。


 ユキナを守って、彼女の中で息絶える。ある種、狂った破滅願望だが、シドウがユキナを守ろうとしたきっかけだ。


 かつて、シドウは過ちを犯した。悪気はなかった。ただ、それが正しいと誤認し、そして、一緒にいる事を誓った女を、間接的にとはいえ、自分の手で殺めてしまった。


(そのショックで前世の記憶が蘇ったっていうのは皮肉だよな)


 もっと早く取り戻せていれば、シドウは彼女を救えた。道を間違える事もなく、彼女を孤独から救い出す事も出来た筈だ。あの日、体を重ねた時に誓った約束が、嘘になる事も無かったのだ。


 だからだろうか――


 シドウは彼女の面影を残す同じ召喚者であるユキナを救いたいと思った。単なる罪滅ぼしだ。そして、ユキナの腕の中で息絶える時が、シドウにとっての救いだと、盲目的に信じていた。


 けど、今回の事件ではっきりした。

 どうやら、シドウがユキナに抱いた感情は、それだけではなかったようだ。


『キルルド』の組織を壊滅に追いやっている傍らで、シーカーと死闘を繰り広げている最中でさえ、シドウは狂気に呑まれながらも、ユキナの身を案じていた。

 保護対象として、その感情を抱くのは当然だ。だが、同時にこうも思った。


 ユキナを不安がらせるもの、ユキナに恐怖を与えるもの、ユキナに死を与えるもの、その全てからユキナを守りたい。

 ユキナの泣いた顔なんて見たくない。

 俺が、ユキナを守る――


 俺の女に手を出すな!


 正直、我を忘れるほど、怒ったのは、生まれて初めてだった。


 あの時の事件でも、息絶える彼女を腕の中で抱きしめ、我を忘れた。けど、その時の感情は喪失感だった。やり場のない怒りも、復讐心も抱かなかった。虚無の果て。虚ろな感情だけがシドウを支配し、ここまで熱い感情は湧かなかったのだ。


 シドウは、なんとなくその理由に思いを巡らす。

 ユキナがまだ生きているから――?

 敵が目の前にいるから――?

 それが、シドウの死に場所だから――?


 正直、どれもしっくりこない。

 一番腑に落ちる回答が『よくわからない』だ。

 ユキナの寝顔を見て、安堵した気持ちも『よくわからない』

 こうしてユキナに触れたくなる感情も『よくわからない』

 この胸の内を焦がす感情も『よくわからない』


 けど、ユキナは守りたい。すぐ側で。


「これだけ、はっきりしているなら、この感情にも名前はつけられるんだけどな……」


 けど、その感情は、今、口に出すべきではないだろう。

 過去に終止符を。未来の大団円を。その全てを手にするまで、この感情に名前をつけてたくない。



 頬を撫ですぎたのか、ユキナの瞼がピクリと動く。

 シドウはすかさず手を放した。

 同時にユキナの目が覚める。


「ん……え? し、シドウ……?」

「おう」


 目を覚ました直後のユキナはボーッとした表情を浮かべながら、シドウを見る。

 シドウは目を瞬きさせるユキナを見上げながら、胸の傷を指さした。



「これ、お前が治療したんだろ? 助かったぜ。ありがとな」


 状況証拠しかないが、恐らくそれしかないだろう。

 倒れたシドウを介抱したのはユキナ以外ありえない。

 感謝を伝えた筈なのだが、目を見開いたユキナの動揺ぶりは凄まじかった。


「え? え? そ、そうだけど……それより、大丈夫なの? 生きてるの!?」

「お前な……これが死んでるように見えるか?」

「み、見えないけど、そ、その……シドウよね?」


 覗き込むユキナの瞳には、少しばかり恐れがあった。シドウは不安げな彼女の顔を仰ぎ見て、得心する。


(ああ、ユキナにはあれを見せちまったしな……)


 騎士団に嘱託騎士として身を置いていた頃、シドウはオルバートに呑まされた薬の影響が抜けきらず、感情の起伏が少なく、ただ人を殺す事だけに執着していた機械人形だった。

 嘱託騎士の二年という年月で、ゆっくりと【分解】の力で薬を解毒する事に成功したが、心の中に根付いたマインドコントロールだけはどうしても消せなかった。

 長時間、戦闘を行うだけで記憶を取り戻す前の人格が蘇り、機械人形に逆戻りしてしまう。

 あの状態は厄介だ。敵を殺す事だけを優先してしまう。

 今回だって、シーカーから聞き出さなければいけない情報があった。だが、あの状態になったせいで、シーカーを殺してしまった。それだけが痛恨だ。


 それに、戦闘が終わってしばらくすればマインドコントロールが切れるとはいえ、あの時のシドウははっきり言って別人格だ。ユキナに与えた恐怖は相当だろう。


 今後、ユキナを守る為には、その事を説明する必要がある。

 シドウは淡々と事実を口にする。


「心配するな。あれは――別人格ってヤツだ」

「……いや、心配するなって方が無理じゃない? 別人格? なによ、それ……」


 ユキナが目をパチクリとさせ、眉間を揉みほぐしながら愚痴る。


「いや、そう言われてもそれが事実なんだ。諦めて納得してくれ」

「いや、無理だから! はい。そうですか。で済まされる話じゃないよね!? 詳しく説明してよ!」

「詳しくって言われてもだな……」


 話すとかなり長くなる。

 そんな長話をする体力も気力もない。

 早い話、話すのが面倒くさいのだ。

 ただ、一言で説明するなら、


「俺も『召喚者』なんだよ。つっても、魂だけな? 【転生者】ってヤツ。だから、お前の前で戦った俺が、この世界のシドウ君で、今の俺が前世の記憶――つまり日本から転生したシドウ君だ。悪いが、今はそれ以上詳しくは言えない」


 様々な、初暴露を平然とした顔で言い放ち、すっきりするシドウ。だが、さすがにあの凄惨な過去を話す事はしなかった。今のユキナにはショックが大きすぎる。その辺りの配慮は出来ているつもりだ。


 突然投下された爆弾発言に、ユキナは目を点させ、ポカンとした呆けた表情を浮かべた。

 そして、衝撃が冷めると目をカッと見開き、ユキナはシドウの体を力強く揺さぶった。


「え、ええええええええええ!?」

「お、おい揺らすな! 傷が開く!」

「あ、ご、ゴメン! けど、えええええええええええええ!?」


 一回謝ってから、もう一度、絶叫。もう、呆れてものも言えない。

 シドウは、黙って体を揺さぶられながらユキナが落ち着くのを待つ。

 


 ひとしきり叫んだ後、ユキナはおっかなびっくりと言った様子で、シドウの顔色を伺う。


「そ、それ、本当なの?」

「こんな事で嘘をついてどうする? あと、揺らすな」

「ご、ゴメン……け、けど、日本? 転生? 初めて聞いたんだけど?」

「初めて言ったからな」

「揚げ足とらないで……でも、日本か……」


 ユキナはどこかホッとした表情を見せ、シドウの頭を撫でた。

 ユキナが涙ぐんでいたので、シドウはそのままにさせる。


「同郷がいて心強いか?」

「うん。ちょっとわね。けど、それだけじゃないわ。なんだか、安心しちゃったの。馬鹿みたい。あんな思いしたのに……シドウが同じって知っただけで安心するのよ?」

「……怖かっただろ?」

「うん。怖かった。正直に言うと逃げたいって思ったわ」

「ま、それが普通だよな……」


 シドウのような特殊な例を除けば、召喚者の心は弱い。異世界に召喚されたショックもあるが、何より常に命のやり取りをしているのだ。相手を殺す恐怖も、殺される恐怖もない、何も知らない召喚者が、召喚された途端に戦わされる。それは、心を砕くには十分すぎる恐怖。

 幼少の頃から戦いを仕込まれて育ったシドウとは違う。


 ユキナがシドウを恐れる――それも仕方ない事だろう。


 シドウはユキナの膝枕が起き上がろうとする。だが、ユキナはシドウの頭を押さえつけた。


「なに、すんだよ……」

「離れないでよ」

「けど、怖いんだろ? 俺が?」


 その事を考えるだけで胸が締め付けられそうになるが、シドウは平然を装う。

 だが、ユキナはふるふると首を横にふり、否定した。


「違うわ。あの時のシドウは怖かった。けど、それはいいの。だって、気付いたから」

「気付いた? 何にだよ?」

「そ、それは……言わない。けど、大丈夫よ。もうあなたの事は怖くないわ。別人格だっけ? それも含めてあなただっていつかちゃんと受け止める。受け止めてみせるから。だから心配しないで」


 ユキナの言葉には不思議と説得力があった。本当にシドウの事を怖がっている様子はもうなかった。

 ユキナの心境の変化に戸惑うシドウ。そんなシドウを差し置いて、ユキナは話を続けた。


「決めたの――私、日本に帰りたい。ううん、帰るわ、絶対」

「……言っただろ? 帰還する方法はないって」

「見つける。世界中を回って探すわ。童話では勇者は元の世界に帰れたのよ? なら、帰る手段は必ずあるわ!」

「所詮、童話だろ?」

「知らないの、シドウ? 童話って事実を元にした物だってあるのよ? だから、探すわ。この世界の伝承、伝説、逸話――その中には必ず元の世界に帰る手がかりがある筈だもの」


 ユキナは目を輝かせて言った。

 これは何を言っても無意味だろう。

 シドウは半ば諦め、嘆息する。


「それで、世界を巡る大冒険か?」

「ええ、そうよ。この世界の伝承を解き明かすの! それで、帰る方法が見つかったらシドウも日本に来ない?」

「俺が?」

「うん。だって、召喚者って事は、シドウも命を狙われるって事でしょ?」

「まあ、そうだな。知ってるの、お前だけだけど」

「なら、一緒に帰りましょ。シドウだって日本から召喚されたんでしょ? 向こうの家族にだって会ってみたいでしょ?」

「……そうだな」


 日本のいた頃の記憶は、正直ほとんどない。自分の顔も名前だって思い出せない。ただ、漠然と日本が故郷――そんな思いだけが根付いているのだ。

 帰りたい――と一瞬でも思ってしまう辺り、前世の記憶というのは厄介なのかもしれない。だが、悪くない。


「帰るか」


 シドウは素直に自分の感情を吐露した。

 ユキナは何度も頷きながらシドウを力強く抱きしめる。


「帰りましょう。絶対に、二人で」

「ああ、約束だ」




 シドウとユキナの新たな旅路。それは、この世界の歴史――異世界譚を紐解くようなもの。召喚者とアーチスが戦争を繰り広げる中で、新たに綴られる物語の始まりでもある。


 召喚殺しの異世界で、二人だけの異世界譚が産声を上げたのだった。

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召喚殺しの異世界譚 松秋葉夏 @youka-m

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