第八話『月夜の誓い』
夜もすっかり更け、辺りはシン……と静まりかえっていた。
聞こえるのは微かな寝息と身じろぐ音だけ。
三人一部屋の宿でシドウは眠ることなく、物思いに耽っていた。
可愛らしい女の子の寝姿に緊張しているわけではない。
考えたい事があって、シドウは眠りにつく事が出来なかったのだ。
その原因の一人である少女――アリシア=シーベルンの無防備な寝顔を見ながら、シドウは悪態をつく。
(まったく。緊張感の欠片もないことで……)
異性と同じ場所で寝ているというのに、緊張感のない安らかな寝顔だ。酒場での仕事――その後の治癒術士としての仕事で、心身共に疲れ果てていたのか、シドウ達との話を終えるとすぐに寝息を立て始めていた。
その寝顔を優しく見守るもう一人の少女。月光に照らされ、映える銀色の髪を一房に纏め、寝間着に着替えたユキナはアリシアの髪を撫でる。
ユキナの手櫛に身じろぐアリシアを見て、やはりユキナは朗らかな笑みを浮かべる。
「そんなに嬉しいのか?」
シドウはユキナの笑顔を片目で盗み見ながら、そんな事を呟く。
シドウの問いかけにユキナは小さく頷いた。
「嬉しいわよ。初めて出来た友達だから」
もちろん『異世界』で――という意味だ。カザナリにもユキナに優しくしてくれる人は大勢いたが、全員がユキナよりも年上か、年下で娘のように扱われたり、年上のように振る舞ってきたのだ。友達感覚で触れ合える人がこの一年、ユキナの側には居なかった。
初めての冒険で、初めての友達。ユキナも舞い上がっているのか、寝入ったアリシアの髪を嬉しそうに弄っていた。
けど、その表情は嬉しさ半分、不安半分といったところだ。
その理由はシドウにある。
「シドウは……やっぱり怒っている?」
「さあな……」
シドウはユキナがこの世界の人間と深い関わりを持つ事にいい感情を抱いていない。
ユキナの本名は『小日向雪菜』――その正体は日本から召喚された召喚者だ。
この世界で召喚者といえば、あまりいい意味では捉えられない。
魔王がいた遙か昔はそうでもなかったが、今では召喚者は世界の敵であり、殲滅すべき存在だった。
召喚者の持つ異世界の知識や、この世界に召喚される時に手に入れる異能の力は、この世界の均衡を崩し、破滅へと誘う呪われた力だ。
一人だけが呼ばれるなら英雄。だが、数が増えれば魔王を超える世界の敵となる。
今の帝国――いや、騎士団は人種や種族の垣根を超え、召喚者根絶のために世界が統一された末に生み出された軍隊だ。世界が一つに纏まったからこそ、アーチスは召喚者と戦争をしていられる。
シドウも逸話でしか知らないが、まだ魔王が存在していた頃、世界はバラバラでいたる所で種族の違いによる戦争が頻発していた。負けた種族は奴隷――そんな世界だと聞いている。人族も、天族も、亜人も関係なく戦っていた彼らは、召喚者という共通の敵を見つけた事をきっかけに一つに纏まっていく。
魔王との戦いですら一つにならなかった彼らを一つにしたのは、それ程までに召喚者が強かったから。
なにせ、世界を滅ぼしかけた魔王ですらたった一人で倒してしまうのが召喚者だ。それが千人を超える規模で存在している。
人族や亜人は生き残る為に手を組み、世界を司ると言われる天族は召喚者の持つ知識を忌避し、力を貸した。そうした契機に生み出されたのが今の帝国――そして帝国騎士団だ。
ユキナはその帝国から――世界から命を狙われる運命。
だからこそシドウはユキナが他の人達と深い関係になる事に頭を痛めていた。
アリシアとの関係がいい例だ。
友達になるばかりか、意気投合したユキナとアリシアはベルナールへと向かう道中、そして、ベルナール騎士学院の推薦試験を一緒に受ける流れになっていたのだ。いつユキナの正体がバレるか不安で、眠る気にもなれない。それに、アリシアを仲間に引き入れることでベルナール騎士学院の試験内容もシドウの悩みの種に浮上する事になった。
今回の推薦試験の内容は生き残りを賭けたバトルロアイヤル。生き残った上位三人が特待生として学院入学する事を許される。
特待生として入学する事が出来れば、学費や寮費が免除になる他にも様々な特典が付く。一人部屋とか、訓練場を自由に使わせて貰えるとか――
ユキナの正体を隠し通す為にも、特待生の特権である一人部屋は実に魅力的だった。
単に、シドウの借金がありすぎて、これ以上学費などで借金を増やす訳にはいかない――という理由もあるが……
とにかく、特待生になるにはバトルロアイヤルを勝ち抜かなければならない。その為に、ユキナはこの一年、元帝国騎士団のテイルに戦い方を教わって来たのだ。
今日の一件を見ても、ユキナの実力は十分にある。
少なくとも、命のやりとりをしない限りは負けることはないだろう。
けど、それもユキナとシドウの二人なら――という話だ。一人増えるだけで、状況は一変するだろう。
「ユキナ、お前、アリシアとパーティを組むつもりだな?」
「……ッ」
シドウの指摘にユキナは押し黙る。それがなによりの証拠だ。
シドウは改めて釘を刺す。
「言っておくが、アリシアの実力じゃ今回の試験は突破出来ない。普通の試験を受けるように薦めるべきだ」
「でも、アリアもお金がないって……」
「彼女の問題と俺達の問題は別問題だろ? 俺達は負けるわけにはいかないんだ。その理由は話したよな?」
「け、けど……」
家出中のアリシアには纏まったお金がない。ここに来るまでも得意の治癒魔術でギルドや宿屋に来る冒険者を治療し、その報酬として貰ったお金でカルーソまで来たらしい。(ちなみにカルーソでその仕事をしなかったのは冒険者の数や宿も少なく、治療費を頂けそうになかったかららしい)
その道中でついた二つ名が『癒しの姫君』
シドウもその二つ名を疑う余地はなかった。魔力、魔術の分解――という厄介な体質を持つシドウの怪我をその体質を上回る速度と効果で癒してみせた。治癒の腕は超一流だ。
逆に、それ程の腕を持ちながら、今まで噂の一つも聞かなかった事に疑問は残る――が、そこまで深く踏み込む事をシドウのユキナもしなかった。
一目見て、アリシアは貴族の出だ。貴族の悪い通例と言うべきか、実力のある子供の名前はこの国に住んでいれば耳にする事も多い。子供自慢は家柄いいほど世界に蔓延するらしい。バカ息子も同様に蔓延するが……
そんな中、アリシア=シーベルン――いや、『シーベルン』という家名すらシドウは聞いた事がなかった。偽名だろうと推察は出来るが、そこまでする理由が彼女にはあるのだ。
シドウは問題ごとを避ける為に、ユキナはアリシアから話してくれるのを待つ為に、事情に首を突っ込まなかった。
けれど、アリシアの事情とシドウ達の事情は別問題。
アリシアがどれほどお金に困ろうが、シドウが手を貸す理由はない。
シドウはユキナとシドウ自身を勝たせる為に推薦試験に挑む。だから、この試験でシドウがアリシアを守ることはまず無いだろう。
ユキナを守ると決めた――シドウなりの決断だ。他の全てを切り捨てる覚悟の一端が垣間見えた。
(けどな……)
ユキナの横顔をチラリと見て、シドウは今一度、物思いに耽る。
アリシアはユキナの親友。
だが、それ以上にシドウの怪我を治してくれたこと、そしてこの部屋を提供してくれた借りがある。
その借りを返すことなく、見捨てるのは如何なものか……?
少なくとも、数日は夢見が悪くなりそうだな……
シドウは呆れ口調でポツリと呟く。
「お前がアリシアを守るのは勝手だ……」
「え……?」
キョトンとした表情を浮かべ、ユキナは固まった。
クエストとは関係なく、誰かを助けるなんて――それもユキナと深く関わるであろう人を助ける言葉がシドウから出るなんて初めての事だ。
聞き間違えかと思いユキナが首を傾げる。シドウは恥ずかしそうに頭を掻きながら、そっぽを向いた。
「治療の礼もある。俺の実力だと俺一人を守るだけで精一杯だ。けど、お前なら一人守るくらいの余裕はあるだろ?」
「シドウ……うん。そうだね。私がアリアを守ればいいんだ」
ユキナはグッと胸元で拳を握り、アリシアの髪を一撫でしてから、シドウに視線を向けた。
「ありがとう。私のワガママ聞いてくれて」
「……俺の我が儘だよ」
素っ気なく返したシドウにユキナは苦笑気味に笑う。
ユキナを助けた時もそうだ。シドウは結局困っている人を目の前にして放っておける人間に戻る事が出来なかった。シドウがこの世界で第二の人生を歩むと決めたその時から――シドウのせいで大切な人を失ってしまったあの日から、シドウは人との関わりを避けながら、人を助けること――シドウが愛した彼女の願いを捨て去る事が出来ずにいたのだ。
『この世界を変えて』――と、シドウを変えた少女の言葉がシドウの中に根付く限り、シドウはこの生き方を根本から変えることが出来そうになかった。
(これも、お前のせいだぞ……)
喜ぶユキナの声を聞きながらシドウは恨めしそうに視線を窓に向ける。
シドウは月夜を見上げながら、また面倒ごとを背負い込んだ事に再びため息をもらすのだった。
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