第五話『癒しの姫君Ⅳ』

「あ、シドウ!」


 歓声を上げる店内で、黒ずくめの男が近づく姿を見つけたユキナが声を上げる。

 シドウは視線をユキナへと向け、優しく微笑むと、群衆に紛れて姿を消していく。


「え? し、シドウ?」


 目を離したのはほんの一瞬だ。

 だというのに完全にシドウの姿を見失った。

 ユキナは言い表せない不安を胸に募らせ、シドウの背中を追おうとした。

 だが、その目論見は突如として現れた女店主――アンネによって妨げられてしまう。


「やるねぇ、アンタ! 大の男を軽々と吹っ飛ばすなんて!」

「え!? あ、あの……」


 栗色の髪を三つ編みに束ねた女性。年齢的には二〇前後だろうか。

 動きやすいラフな恰好にエプロン姿の店主。

 爽快に笑うアンネは力強くユキナの背を叩く。

 思いの外の衝撃にユキナは危うく体勢を崩しかける。

 痛みを堪えて、ユキナは店主へと恨みがましい視線を向ける。

 見失った相方を探しに行こうとした矢先に邪魔されてしまったのだ。

 ユキナといえど不満を感じずにはいられなかった。

 だが、アンネは特に気にした様子もなく、細い腕をユキナの肩に回す。


「いいね! スカッとしたよ! あんな男なんか吹き飛ばされて当然さ!」

「そ、それは……そうですけど」


 アンネの声に同調して周囲にいた客も口々にユキナの行動を褒め称える。

 同じ村に住む住人たちだ。その団結力は強いのだろう。

 彼女の活気に飲まれ、身動きが取れなくなったユキナは小さくため息を吐くと――


(早く、戻って来なさいよ……バカ)


 姿をくらませたシドウの身を案じるのだった。





「クヒヒッ……」


 喧騒に紛れ、黒ずくめの男がその中心にいる少女に邪な視線を向けていた。

 唇を舌で舐め、執拗にユキナを見つめる男。

 彼はファングと一緒にいた仲間の一人。黒いコートを着た暗器使いだった。

 その正体は殺人ギルドの一員。今回のファングが受けた依頼を達成する為に雇った暗殺者だった。

 既に報酬を受け取り、ファングとの契約も終わっていた。リーダーと仲間をやられ、さっさと逃げた仲間を見限り、暗殺者は新たな標的へと狙いを定めていた。

 白銀の長髪の女。まだガキだが、見るべき点は他にある。

 あの女は――『暗殺対象』だ。


 この世界で暗殺が許される例外が一つだけある。

 その対象は『召喚者』


 召喚者を手にかける時だけ、暗殺はこの世界から許されている。合法的な暗殺だった。

 それは彼にとって何よりも至福の時間だった。

 召喚者殺しの破格の報酬なんて目じゃない。

 手にしたナイフで柔肌を傷つけ、痛みに喘ぎ、苦しむ姿を見るのが何よりも幸せだった。

 全ての快楽を超えた先を味わえる。


 先の依頼で片付けた召喚者もよかった。たったひと突きナイフで刺し、ナイフに付与させた呪毒で弱体。どうにか呼吸だけは確保させて、後はなぶり殺しだ。他の冒険者に抱かせるだけ抱かせ、「殺して」と言われても殺さない。自我が壊れ、瞳から光りが消えた時、彼は絶頂していた。最後の喉をかっさばいた感触も、胸をナイフで裂き、心臓をえぐり出した愉悦も全て鮮明に思い出せる。


 ああ、またあの感覚が味わえる。


 銀色の髪を鮮血に染め、血の池に横たわる少女を嬲り、尊厳を奪い、女性としての幸せも何もかも奪い去る。

 神経を麻痺させて、指を削るのもよさそうだ。腹を割き、胃の中をぶちまけてもいい。きっと綺麗な赤色をしているだろう。

 いつかのように目の前で腕を焼いて野犬に食わせてみるのも楽しそうだ。


 あの勝ち気な表情を辱めたい気持ちばかりが先走りしていく。

 暗殺者は背後の黒ずくめの存在に気付かず、黒塗りのナイフを取り出したのだった。



 ◆



「止めとけよ」


 シドウは黒ずくめの暗殺者がナイフを取り出した瞬間に、その刀身を握り占めていた。

 革製の手袋を破り、刀身が手の平を浅く裂く。

 僅かに走る痛みに顔を顰めさせながら、シドウは暗殺者の動きを制した。


「クヒ?」


 相当、妄想に浸っていたのか、涎を垂らし、狂気に彩られた瞳は既に正気の物とは思えない。

 他の仲間が逃げたというのに、この暗殺者だけが残っていたのはユキナの正体に気付いたからだろう。

 埒外の短縮詠唱に魔導兵装を纏った人間を相手に素手で上回る。名の通った冒険者や騎士でもないと出来ない芸当をまったく無銘の少女が成し遂げたのだ。何かあると踏んだに違いない。

 そして、恐らくこの男は、己の直感だけでユキナを召喚者だと決めつけ、ナイフを取り出した。

 召喚者を召喚者だと見極めるのは勘だ。

 長年の勘がアーチス人と召喚者の区別をつけさせる。

 特異な異能を見せなくとも、この男のようなレベルになると一目見ただけで見分けてしまうのだ。

 もっとも、この男の場合、殺害衝動に駆られて、ユキナの正体を見破ったと言ったところだろうが……


 それでも気付いてしまったのなら見逃せない。

 何より、この男はシドウが介入しなければ、この喧騒の中でも容赦なくユキナにナイフを突き立てていただろう。周りの目などお構いなしに、血の惨劇をこの場で引き起こしていた。

 今日、この宿で一泊しようというのに、これ以上面倒に巻き込まれたくない。

 事前に摘める芽は摘んでおくべきだろう。


 ポタリ、ポタリとシドウの手を伝って床に赤い水滴が落ちる。ナイフを動かさないように手に力を込め、男の動きを封じる。次いで、暗殺者の横腹にシドウのナイフを突きつける。



 少しでも動けば殺すぞ――



 ほんの少しばかりの殺気を放ち、シドウは容赦なく暗殺者を睨んだ。


「キヒヒ! お前、触れたな? 俺のナイフに」

「それがどうした?」

「俺のナイフ、呪毒ある。触れたヤツ、動けなくなる。ナイフを掴んだの、早計だったな」

「……」


 暗殺者の言葉を聞いたシドウが押し黙る。

 呪毒――毒系統の魔術の魔術式をナイフに彫っていたのだろう。

 魔力を流すだけで、ナイフに彫られた魔術が発動し、毒が傷口を通して入り込む。

 彼の言葉を聞いて、シドウはようやく胸の中の違和感が腑に落ちた。


「なるほどね。そのナイフで召喚者を殺してきたのか」

「毒で動けなくすれば、後は好き放題。刺殺、毒殺、餓死――色々な殺し方、試せる」

「すぐに楽にさせる――って考えとかないのかよ……」

「ない。嬲り殺すの、俺の至福」

「そうかよ」


 どうやら、この男は趣味が合いそうにない。

 出来れば言葉も交わしたく無い手合いだ。

 それでも、シドウには情報が必要だった。

 なぜ、『リアクター』を所持していたのか……あれほどの大金を気前よく出せたのか。このパーティがここの村に来るまでに何をしてきたのか。

 その情報が欲しかった。


 もし、ベルナールに向かう手前に召喚者のアジトでもあるなら、迂回する必要があるからだ。

 ただのはぐれ召喚者が『リアクター』を持つ筈がない。『リアクター』を所持出来る召喚者は限られている。召喚者だけで構成されたテロ組織『アースライト』の構成メンバー。それ以外有り得ないのだ。


「……この近くに奴らのアジトがあるのか?」

「……お前、何者?」

「ただの騎士見習いだよ。自称な」

「なるほど……ベルナールの受験生か」


 短いやりとりでシドウの素性を把握したようだ。

 饒舌もなめらかになっている。油断し始めいるのだろう。そろそろ呪毒が体に回り、シドウの体が麻痺し始めるからだ。

 動けなくなれば、後はどうとでも処理出来る。

 シドウを無害化した後にユキナを手にかけるつもりなのだろう。

 

 話相手をするのは毒が回るまでの時間稼ぎか。


 シドウは相手の思惑に乗りながら、体の違和感を探る。


「ああ、そうだよ。手土産でも持っていけば内申点が上がるだろ?」

「悪い手じゃない。けど、経験が浅い。お前、戦いなれていない」

「へえ、言うじゃん」

「敵の得物を不用意に触る。それだけで経験の浅さ、ある。お前じゃ、騎士になれない」

「なるほど、一理あるな。で、最初の質問だ。この辺りにアイツらのアジトはあるのか? あればそっちにするが……」

「ない。召喚者、アレで最後。そもそも、ベルナール近郊にアイツらのアジトない」

「……そうかよ」


 体に回った毒は麻痺毒か。

 腕の感覚がなくなり、ナイフを取りこぼす。カランと金属音を立て、地面に落ちたナイフの音に周囲にいた人間が振り返り、血に染まった床を見て騒ぎ立て始めた。

 当然、ユキナもその事態に気付き、青ざめた顔を浮かべ、シドウ達に駆け寄ってくる。

 それを見た暗殺者は口元を舐め、狂気に歪んだ笑みを浮かべた。


「アイツ、俺たちに気付いた。時間切れ」

「だな……聞きたい事も聞けたし。そろそろ吹っ飛ばすか」

「む……?」


 ◆


 その時になって、ようやく暗殺者はシドウの違和感に気付き始める。

 麻痺が回っている筈なのに、やけに饒舌だ。それに、痺れてナイフを取りこぼした筈なのに、刃を握る握力は一向に弱くならない。

 麻痺が効いていないのか? 暗殺者は始めて味わう不可解に首を傾げた。

 有り得ない。今までこのナイフ一本で暗殺を成し遂げてきたのだ。ひと突き、掠りでもすれば、それで決着が着いてきた。なのに、この男は何故、平気なんだ?



 男の疑問は終ぞ、晴らされることはなかった。

 

 ◆


「どいう、ことだ?」

「ん? 何だ? もしかして麻痺が効いてなくて焦ってんのか?」


 シドウはナイフを落とした手をプラプラと振ったり、拳を握ったりする。

 時間は少しかかったが麻痺はほとんど解呪出来た。後は暗殺者のナイフを握り占めた手の痺れ程度だ。

 この程度なら放っておいても問題はないだろう。

 シドウの持つ特異体質がなせる荒技だが、上手く解呪が出来たことにホッと安堵の息を吐いていた。


「まあ、なんて言うの? マジック? 手品?」

「ふざけたことを。最初から騙していたな?」

「何の事だよ? 俺はベルナールの途中で面倒ごとがないか確認しただけ。お前が喋りやすい環境を作ったのは事実だがな」

「……」

「後な――」


 シドウは力強く拳を握ると、弓を引くように体をしならせる。暗殺者は飛び退こうとするが、シドウがナイフから手首へと握る場所を変えたので、暗殺者は逃げる事も出来ない。


「俺、今日、ここに泊まる予定なの。面倒臭いことしてくれてるんじゃねえって話だ――」


 シドウはひとしきり暗殺者に愚痴をこぼした後で……

 拳を限界まで引き絞って――


「このクソ野郎ッ!!」


 腕を振わせ、渾身の一撃。暗殺者の鳩尾を突き、暗殺者の体が派手に吹っ飛ばす。


 きりもみしながら吹き飛んだ暗殺者は窓を突き破り、ゴロゴロと地面を転がると、そのまま沈黙するのだった。

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