鹿ヶ谷

 安元三年 1177年


 藤原成親ふじわらのなりちかは、五月の厳しい日差しの中、数人の供回りとともに、叡山を下っていた。

 叡山は、見ると実際に登るのとでは大違いだった。

 往きの登りは、輿こしに乗って登ったが、途中で輿から降りた。輿は、叡山の傾斜ゆえ、壁が床となり、、床が壁となった。酔って二度吐いた。

 そこからは、歩いて登った。

 清々しかったのは、最初だけ、これも、かなり辛かった。正に山猿のように、四本の手足を使わねば登りきれなかった。

 山頂についてからは、しばらく、疲れきり、口も訊けぬほどだった。

 しかし、叡山の頂きには、成親を別世界が待っていた。こんな世界があるとは、想像だにしなかった。

 山頂は、坂本の近江の方が傾斜がゆるく、栄えていた。正に、仏法そのままの世界だったが、思っていたのとは、少し違った。

 そして、登って始めて、法師たちがかくも尊大で猛々しくなれるか、成親は始めて理解した。

 見よ、この都の眺めを。叡山の京側の方が傾斜が厳しく、建物もすくなかったが、叡山からの京の眺めは格別だった。

 京の鬼門の方角にあるとはいえ、この眺めはどうであろう。御所ならびに、都大路そのものがまるで、箱庭の如きに見える。誠に小さい。

 これが、法師たちが日頃見ている、京なのである。京がいかにちっぽけなものであるか、これ故、法師たちは、都のいかなる権力にも祀ろわぬのだ。

 己たちが、都の鬼門に立ち守護しておるぐらいの気持ちであろう。

 しかし、叡山の山頂には、優れた神仏に仕えるものばかりではなかった。

 故あって世俗の外界では暮らせなくなったたちの悪そうな連中も寺の伽藍の下には多数居た。

 科人に、得体のしれぬ病を得たもの。完全に乱心したもの。不具を得て、一人では生きて行けぬもの。外界を追われここに辿りついたようにも見える。

 ここは云わば、浄土ではないかもしれないが、出家したものも含め、真の世俗から離れた別世界なのである。


 成親は一日で叡山に登りきり、延暦寺で、門徒衆が取り返した、明雲でなく、叡山副座主、天雲てんうんと会った。

 天雲は、歳がわからぬ、顔つきをした得体の知れない僧侶ではあった。

 しかし言葉の端々からは、その頭の良さ、切れ者であることがうかがえた。

「我ら一同揃い申し、いざとなれば、武家でなく、朝廷を守護たてまつることは卿でも、あきらかであろう」

 成親の得た。この言葉は大きかった。

 しかし、いざとなれば、という前置きがついていたことも確かである。

 天下三不如意。白河天皇の言ったとされる言葉が重く、成親にのしかかっていた。

 成親は、念には念押しをした。

「平治の乱以後の、平家をご覧あれ、いざは、必ず参り申す」

 天雲はなにも答えなかった。

「田ノ谷峠の件、何卒なにとぞよしなに」

「あいわかっておる」

 天雲は小さく答えた。

 

 成親は、その日のうちに下る予定であったが、疲れが本当に理由だが、この眺めも理由の一つだった。

 今、ここに京を守るためにその法師たちとの話をまとめているのは、この藤原成親だった。 平治の乱で藤原信頼に連座したため、一度死んだ男。今、こうして、黄泉がえり、院の第一の朝臣として侍り、第一の働きをしたのだ。

 成親は、直衣のうしをドロドロにし、出立してから丁度三日がかりで、叡山ふもとの雲母坂に現れた。

 成親は、やはり、坂本側には降りなかった。

 すべてのはかりごとは成親の手中にあった。

 清盛は、源為義に、為朝、平忠正と討たねばならず、その後に藤原信頼に、源義朝と討たねばならなかったであろうが、成親は、たった一人、清盛さえ討てばよいのである。

 院の喜ぶ顔が早く見たかった。




 それから、数日後、成親は、今度は、輿に乗って、多田行綱ただゆきつなの京屋敷に文字通り押しかけていた。

権大納言である成親からすれば、多田行綱など、摂津源氏の多田家の嫡流とは言へ正に一昔前の御武家、武門と同じ、卿や公家の家を守る番犬と変わらぬようなものである。

 成親は、訪れたまま、自慢の美貌と羽振りよい院の寵愛効かせで多田家の上座に座ると、

「すべては、手はずどうりにおねがいいたす。このもくろみ、くわだてはすべてが公に掛かっておると言っても過言ではない」と念を押した。

 多田行綱は、先の叡山の門徒衆に取り返された首座、明雲の捕縛に失敗している身である。

 成親は行綱が飛びついてくると踏んでいたが、まったくもってそのとおりとなった。

「ははーっ、万事、この多田の行綱にお任せあれ」

 行綱は、正に平身低頭、頭を下げるばかりであった。

 成親は、頭を下げる、行綱の目をずっと追っていたが、すべての源氏がほぼ清盛になびいたいまの世にあって、間違いはないようだった。


 


 明けて六月一日。多田行綱は、清盛の八条にある六波羅に比べると小さな別宅に訪れた。

 清盛は、奪い返された、叡山首座、明雲の奪回のための叡山攻撃の是非を息子、重盛、宗盛から尋ねられ自ら、上洛していた。

 そこへ、明雲の奪還を失敗した、多田行綱が訪れたのである。

 清盛は丁重に迎えた。

「で、多田殿、何用か?」

 平治の乱以降、今や、平家どころか、武家全体の棟梁である、逆に丁寧なのは、叡山の門徒衆に対し失態を演じた多田行綱に対しかなり嫌味である

「ははっ」

 行綱など、かしこまっているだけである。

「叡山のこと、我が愚息どもから伺いをたてられておるんじゃが、如何いかがか多田殿?」

「法師共は、あの白河帝でもままにならなかった、連中。後白河院は我ら武家と法師を戦わせてともに勢力を削ぎ落すのが狙いなのでございまする」

 この多田行綱が相当な食わせ物であることは清盛でも知っている。

 平治の乱以降、平家方に降り、付き従っている源氏勢は、ほぼ全員が時流に合わせての、面従腹背なのは、下々の民草まで知っている。領地を増やし出世するのは、平家の武者ばかり。

「ほう、それは、眼力のあられる見方、もっともじゃ、この清盛も愚息共には、拙速になると申し伝えておいたところじゃ」

 多田行綱は、院の希望どおり、清盛自身が叡山と事を構えるのかと、一瞬期待したが、やはり清盛はその気は全くならしい。

「それが、最善と存じまする」

 と歯噛みしながら多田行綱。

「で、用向きはなにかな、多田殿?」

「それで、ございまするが、多少人払いを、、、」

「よかろう、みなのもの下がれ」

 清盛は、手振りをし、供回ともまわりや、近くに侍る者を下げた。多田行綱は、にじり寄ると、思いがけないことを言い出した。

「清盛公、元は、村上源氏である、俊寛なる僧侶をご存知かな?」

「法勝寺の執行にして、院の側近ではなかろうか?」

「ははーっご明察」

 多田行綱の話は、続けた。





 京都の東山の奥まった正に大文字の送り火で有名な如意ヶ岳のふもと、木々が辺り一面に生い茂り、言うなれば、山間の山麓である。

 そこに鹿ヶ谷の山荘があった。

 主人は、先の清盛が言及した法勝寺の僧侶、俊寛である。

 そこへ、なんと、後白河院、御自おんみずから、御幸したのである。

 ここに、後白河に近しい、正に手足となって働く、近臣が勢揃いしていた。

 館の主人の、俊寛を始め、なぜか、朝廷とは政争状態にあるはずの叡山に登った藤原成親、西光、を中心に源師光、中原基兼、惟宗信房、平資行、平康頼なども、集まっていた。驚きべきは、この中に、なんと多田行綱も入っていた。

 後白河は、上座の御簾みすの向こう控えていたが、宴もたけなわになると、後白河院自ら、手招きし、多田行綱を近くに寄せた。

 後白河院は、ただ、一言。

「成親、例のものを」と言っただけ。

「はっ」

 成親が、菊の御紋の入った盆に入れて取り出したのは、長い長い真っ白な反物。白い反物より、菊の御紋がなにより効く。

「多田殿、院は、この白い反物をその方らの源氏の旗印にせよとおおうせじゃ」

 多田行綱は、かしこまり、再度、手をつき一礼する。

「はっ、誠にありがたき幸せ、この行綱、院に対し、恐れ多きこと、恐悦至極にてございまする」

 多田行綱はもう一度礼をして、菊の御紋の盆に載せられた、白い長大な反物を受け取った。

 これは、どういう意味なのだろうか?。旗に使う白い反物を遣わすとは、旗揚げせよとの真意なのか、、。多田行綱は六月のこの時期の夜にしては、多めの汗を額に浮かべている。それに直垂ひたたれの様子も変だ。

 多田行綱は上座の御簾から、白い反物を高く掲げにじり下がった。

 藤原成親がにやりと、笑っている。

 多田行綱は直垂ひたたれを、ぶかっと、大きめに今宵は、召している。

 藤原成親だけが知っていた。

 何年もかけ、日ノ本中のすべての武者を討ちとった清盛と違い、成親は清盛たった一人を討ちさえすればいいのである。

 こんなに簡単なことはない。

 ここ鹿ヶ谷の山荘には、奥は、叡山に如意岳。狭まった、山道にある。これほどの場所はない。

 成親は笑いが止まらないぐらいであったが、

 

 宴は、たけなわどころか、多少荒れてきた。西光など、たいそう酔っ払ってしまっている。

 成親ら、下々が侍る宴席からは後白河の様子は、御簾の向こうなので、よくわからない。

 そんなに酔われても困るので、成親が西光の共のものをを呼ぼうと立ち上がった時、瓶子へいじ徳利とっくり)を倒してしまった。

 なんと、御簾の向こうの院が声を発した。

「こは、いかむ?(これはどうした?)」

 成親は機転を利かして、こう答えた。

平氏へいじが倒れました」

 最近、富に増長し、公家の官職まで押しのけつつある平家を揶揄した物言いだけに、一同、その場のものは、どっと受けた。

 場のみなが笑った。

「猿楽を!」

 成親が大きな声を上げた。

 猿楽とは、のちの能のことである。宴は更に盛り上がった。

 平姓を名乗るも、院の近臣である平康頼たいらのやすよりは、こう言った。

「あまりに平氏の連中多いので酔っ払ってしまった」

 また、場は、どっと受ける。

 御簾の向こうからも、ほほほっと笑い声が聞こえる。

 後白河殿が笑っておられる。それだけで、成親はうれしくなった。

 しかし、これは、成親としては、あまり好ましくない展開ではあるが、酒がぐうされる宴では致し方ない。

 成親は、頼りの多田行綱を見たが、着膨れた直垂に汗をかいている。予定通りだ。

 俊寛が、ふらふらと、立ち上がると猿楽の舞の間をすり抜けて、平康頼のほうへやってきた。

「されば、その平氏をどうさるる?」

 俊寛が尋ねた。俊寛の顔は赤く、目は充血し座り、まともな目つきではない。

 成親は、立ち上がり寄ってきていた、俊寛に気を取られ、その後ろに一番酔っている西光がいることに気づかなかった。

 西光は、言った。それも、はっきりと、、。

「多すぎるならば、その首をもぎ取ってしまえっ!」

 いいきった、西光は、自分が何を言ったか理解していない様子だった。赤い顔で首をぐらぐらさせ、手刀で、一つの瓶子へいじ徳利とっくり)の首を叩き切った。

 その間に、成親は、大汗をかいている、多田行綱の側へ行った。鍵はこの男が握っていて、この場で頼りになる武家もこの男だけである。

 そして、多田行綱の不自然な直垂の手首辺りそっと指一本でめくり上げた。普通の男の毛深い二の腕がにゅーっと生えていた。成親は、不審に思い、多田行綱の大きすぎる直垂の胸元の襟を両手で開いた。そこには、鎧の胴丸はなく胸毛しかなかった。

 多田行綱は大きすぎる直垂をだらっとぶかぶかに着ているだけであった。

「ひーっ、行綱公っ!」

 成親は声にならない、声を上げると尻餅をつくほどのけぞった。

 多田行綱は、微笑んでいた。

 そのころ、西光の瓶子の破壊は続いていた。

「すべて、もぎ取ってしまえ」

 どんどん、瓶子の首を手刀でもいでいった。


 五本ぐらい瓶子を叩き割ったところで、場が凍りついた。猿楽が止まった。


 瓶子の首が叩き割られたから、場が凍りついたのではなかった。瓶子が割れた音で猿楽が止まったのでもなかった。


 宴の行われている。広間の開け放たれた、柱の間に、入道相国が立っていた。

「びーっ」

 成親はもっと得体の知れない、悲鳴をあげ二度目の仰け反り尻もちを盛大についた。

 入道相国の回りには、乱を二度も勝ち抜いた、屈強な平家の武者集が十数人立っていた。

 一党のものは、鎧を着ていたが、入道相国は鎧を着ていなかった。

 入道相国は、にやりと笑っていた。

 しかし、成親は、ひるまなかった。二の手、三の手があった。

 成親が何かを言おうとした時、西光が先んじてなにかを言った。

ろれつが回っていなかったが、しっかりと聞き取れた。

 西光は、ふらふらと入道相国清盛の正面に立つと大声で、言い放った。

「この成り上がり物が!」

 もう猿楽者は、蜘蛛の子をちらしたように逃げていた。

 清盛は、掌底で西光の顔を全体をつかむと、そのまんま押しつぶすように西光を押し込んだ。

 西光は、崩れるように、真後ろにのけぞって、座らされた。

 清盛は言った。

「だれか、こいつの口を割いてしまえ」

 清盛の脇に控えていた、名の知れぬ屈強な武者が進み出ると、西光の上顎と下顎とを両手でそれぞれつかんだ。

「むーっ」とその屈強な武者が声を上げると、

 西光は手足をばたつかせ、悲鳴を上げだした。そして、誰も聞いたことのない硬いものと柔らかいものが壊れるような音を上がると、西光は口から誰も見たことのないほどの大量の血を吐いて、仰向け倒れ動かなくなった。西光の悲鳴もやんでいた。

 西光の顔の下半分が血まみれになり、誰にもどうなっているのか、一切わからなかった。また、知りたくもなかった。 

 これは、はかりごとには、なかったが、成親は満身の度胸を振り絞り、大声を上げた。

「方々ーっ、出て参られぃーっ」 

 しかし、真っ暗な庭から駆け参じるはずの、多田行綱の郎党は誰一人走ってこなかった。「方々ーっ」

 成親の声は悲鳴のように裏返っていた。

 行綱は声を上げていなかったが、清盛の脇に控える、平家の郎党からは、くすくすといった失笑が漏れ出した。 

「えーっい、まだまだ、なんの」

 成親の声は裏返ったままだった。

 成親も立ち上がった。

 実は、公家も、この乱世、刀を持っていた。成親は直衣の下に隠し持っていた、大刀の鞘を抜き捨てると、振りかぶり、叫んだ。

「天誅ーっ」

 そのまま、刃物を振りかぶったまま清盛に向かい、駆けていった。

 が、刀は振り下ろしたというより、刀の重みに耐えかねて、成親が刀をおろしてしまったいうほうが、正しかった。

 初心者は、振り下ろすより、突くほうが、よかったかもしれない。

 清盛は、すっと半身になり、この貧弱なにして最弱の刺客の襲撃を避けた。

 成親は、清盛に避けられると、とととっと、刀の重みか、自身の勢いがわからぬが、そのまま、庭園のほうまで、つんのめっていき、広間と濡れ縁との段差でひっかかり、ぐしゃーっと庭でつっぷした。

 自身の刀が自分に刺さらなくて、良かったぐらいの勢いである。

 清盛の脇を固める武者連中からどっと笑い声が上がった。

「成親よ、刀を振るには、もう少し鍛錬が要るようじゃのう」

 清盛が言うと、更に、大きな笑い声が平家方にだけおこった。

「なんのーっ」

 稀代の策士藤原成親には、まだ、二ノ手、三ノ手があった。

 顔を苔と泥だらけにして、成親は庭から立ち上がると、言い放った。

「清盛ーっ」生まれて始めて、清盛を呼び捨てにした。

「なんじゃ」入道相国は応えた。

「ここを何処いずこと心得る」

「鹿ヶ谷ではあるまいか」

「おう、その方の、墓場ぞ、冥土への入り口ぞ」

 成親の口上だけは、立派だった。

「裏は、叡山に大文字、そして、この山荘に至るは獣道、いくら、入道相国でも容易に抜けられまい、深々と罠に入りたるとは、気づかぬのか!」

「それは、その方らぞ、愚か者」

 清盛は応えた。 

「この成親、院の朝臣にして、院までも罠の囮に使う、稀代の策士よ。この成親の計略をとくと味わへ」

 そう言うや、成親は山荘の庭園照らす、篝火に近づくと、一本の手頃な薪を手に持ち焚べ着火した。

 炎の加減で成親の顔が笑って見える。

 そして、庭の真ん中に立つと、薪についた炎を掲げ、まず、高く掲げたのち一本平に左右に横へなぎ、次に両手で左へ斜めに一回、両手で斜めに右に一回。そして、またもや、左右の薙いで横棒一回。

 最後に、大きく、縦棒を一回。空中ぬ炎で"平"と描いた。書き順まで正しかった。変なところで、育ちの良さ、学が出た。

「なんじゃ、炎の舞か?」

 清盛が尋ねた。平家方の武者がどっと受ける。

「違うわ、その方らの死を招く、死の舞じゃ、この合図を機に、叡山からは、雲霞の如き何万もの法師たちが平家に憎きとばかりに、駆け下りてくるのよ」

 一瞬、平家方に緊張が走った。

 成親が目を凝らしている方向が気になったからだ。成親は、鹿ヶ谷の山荘の遙か上、皇子山と叡山の間の峠にあたる、田ノ谷峠を見つめていた。

 しかし、合図の火の縦の印はなかった。

 どころか、田ノ谷峠の尾根の切れ目に要るはずの高下駄に白袈裟で頭を包んだ、僧兵一人いなかった。

「ぶーっ」

 成親は悲鳴を上げた。

 清盛は、何も言わず、微笑んでいた。

「口惜しやーっ」

 成親の顔が醜く、歪んだ。

「院と叡山が揉めておることが芝居じゃと、この清盛が見抜けぬと思うてか、そのほうが、数日前、叡山に登ったことも知っておったわ、この院の魔羅しゃぶりめ」

 そう言うや、清盛は、づかづかと、広間の上座ヘ向かい後白河法皇が控える、御簾みすを掴んだ。

「不敬であるぞ、清盛、やめられい!不敬ぞ」

 そう言うや、成親が、ぱっと庭園から広間に駆け上がり、御簾と清盛の間に小柄な成親が走り込み、割って入った。

 もう、清盛は御簾の片端をつかんでいた。

「この御簾をめくるとどうなる?成親」

「愚か者め、この成親が手をうっておるわ、めくれぬわ」

「ほう」

 そう清盛が言った。

「こんな場合もあろうかと、御簾ごと、御柱に釘で打ち付けておる」と成親。

「さ、院、この隙きに、牛車で逃げられたてまつられい」ともう一度成親。

「どうかな?」

 清盛の二の腕と上腕に力が入り太くなった。  

「ぬーっ」そう言うや。

 バキッ。何かが折れる音がして、御簾がめくり上がった。

 今や武家の二大勢力を束ねる棟梁、平清盛の恐るべし、膂力である。

「べーっ」成親が悲鳴を上げた。

 御簾の奥には、後白河法皇が瞑目したまま、微動だにせず、鎮座していた。

「院には、院には、触れられるな、この不敬者ーっ!」

「若い時、わしが、神事の神輿みこしすら矢で射ったことを知らぬのか」

 成親は知っていた、が、知っているとは言えなかった。

「そのわしが、どうして、たかが、古き常世からの支配者でしかない院を恐れよう」

 清盛が、ぐっと一段高い、御簾の中へ顔を入れようとした時、強引に成親がさらに割って入った。

「それだけは、この成親の一命に変えてもさせんぞ、清盛!」 

「このむさ苦しい、男同士の近くに割って入りおって、成親、その方、男が好きか?。そのほうが、院の魔羅をしゃぶって、寵愛を得、昇進したことぐらい、朝廷の皆が知っておるぞ、、。この魔羅しゃぶりが」

 清盛が恫喝した。

 そして、清盛は、前かがみからすこし身を少し引くや、直垂の下の方の袴にの方に手をやるとごそごそ何やらしだした。

「ぼーっ、貴様ーっ、院の御前であるぞー」成親が悲鳴を上げた。

「成親め、平治の乱の折、悪右衛門信頼あくうえもんのぶよりくみしておった所を重盛の義兄であるから、罪を許してやったものを」

 清盛はしゃべりながら腕は、袴の中をもぞもぞ動いて、何かを取り出そうとしていた。

「重盛がどんなにそのほうの身を助ける為働いたと思うておる、うん?」

「それだけは、ならん、清盛。それだけは」

 もう成親の声は小さかった。

「案ずるな、わしに、衆道の趣味はない」

 もう、袴の脇から、清盛の魔羅がだらんっと、出ていた。

「院の魔羅をしゃぶったように、わしの魔羅をしゃぶれ、そしてわしに精をはてさすれば、その方等の今回の罪一党すべてを免じてやろう」

「貴様ーっ」

 成親は、本気の殺意を持って、清盛を下から睨みつけた。

 清盛の魔羅が、だらーんと垂れたまま、成親の頬を近くにやってきた。

「どうする?」

 意外や、成親は口を大きく開いた。

 しかし、それはしゃぶるためではなかった。清盛の魔羅を口ちぎるためであった。

 すんでのところで、清盛の家令、家貞が成親のひたいを押して、噛み付くのをやめさせた。

 成親の上下の歯が、清盛の魔羅の先端の寸でのところでカチンと音を立てた。

 清盛は、魔羅をしまうことなく言った。

「こやつは、もう二度と口を開かぬであろう、以後なにも、食わせるな」

 そして、清盛は、院には、触れなかったが、顔を後白河の目の前ぎりぎりまで、近づけると、尋ねた。

「お前の氏姓は、なんだ、答えろ」

 後白河法皇は瞑目し、鎮座したまま、答えなかった。

 

 これが、この鹿ヶ谷での山荘事件の全貌である。以後、後白河は近臣を根こそぎ失い、政治力をほぼ失い、平家、とりわけて伊勢平氏一党の専横が更に加速する。

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