饕餮宮の戦い
青銅門をくぐると、石組に支えられた通路が緩やかに下っていく。あたりはかすかに魔力を帯びて、門の外とは明らかに雰囲気が異なっていた。と、唐突に分かれ道に出る。顔を見合わせる二人。
「今度は、お前が選べよ」
「うむ……どちらを選んでも外れという事はなさそうだが……」
門の中である以上、どちらに行っても何かの〝施設〟はありそうだ。
「こちらに行ってみよう」
右を選ぶ石光。そして図嚢から符をとり出し壁につけた。短い呪言と、決まりの言葉を唱える。
「
符は、蒼い光に変わり壁の中に消えた。
「目印か?」
「ああ、この先いくつ道が分かれているかわからんからな。決まった言葉に反応して光るシロモノだ。キーワードは『光』、覚えやすかろう?」
「お前、俺を馬鹿だと思っておるな……」
いくつかの分かれ道にぶつかったが、もう二人は迷わなかった。奥から感じられる魔力が次第に強くなってくる。ほとんど瘴気に近いような気配。それが濃く感じられる方を選ぶのみ。道しるべの符を五つほど消費したころ、やや広い場所に出た。
「おお!」
石組みの壁が一変して、壁面全てが鋳銅製の饕餮紋に覆われていた。入り口の門に感激した石光も、さすがにここまでの規模になると、感動よりも圧迫感を覚える。〝貪欲〟を象徴するという神獣饕餮の目が、二人を監視するかのようだった。数歩進んだ時、背後でゴロゴロと鉄輪が転がる音がした。振り向くと、格子状の扉が閉じていく。
「しまった!」
「まあ、罠の一つもあろうさ」
石光に声をかけながら、洪の視線は前方に据えられたまま。
周りの饕餮紋が、脈動するように淡い光を放ちはじめた。奥から多勢の気配が迫ってくる。懐中電灯の明かりが、死体兵の群れを浮かびあがらせた。
「やれやれ、うれしくない出迎えだな……」
「まあ、番兵がいないはずもない」
言いつつ二人の顔は、眼光鋭い闘士の顔だった。軍刀と双手帯を構える。死体兵はほとんど日本兵だった。軍刀と銃剣をふりかざし、一斉に襲いかかってきた。
「チェストォ!」
「シィ、ヤッ!」
薄暗がりの中、剣を交える火花が散る。石光の軍刀からは青い闘気が走り、洪の双手帯からは鮮紅色の闘気が走る。数名の屍兵がくずおれたが、石光はそれ以上踏み込まず後方に飛びすさり、距離をとって遅延呪文の符を放った。今までとは違い、敵の動きが速い。洞窟に充満する魔力のせいなのか。
呪符の効果で敵の動きを緩める事はできたが、数の多さは変わらない。一対一で苦戦する相手ではないが、数はそれだけで脅威である。次第に二人は息があがってきた。特に石光の方は、さすがに年齢は隠せない。
「特佐、一瞬でいい! 敵を集めてくれ!」
洪の意図を察し、石光は軽身符を取り出して口に咥え、猿のように跳躍した。敵のまっただ中に飛び込んで両腕を振るい、結界を作り出す。屍兵がわらわらと石光の周りに群がりだした。即座に地に伏せる。
「疾!」
鋭い気合いと爆裂音。洪が散弾に闘気を乗せる殲滅技を放ったのだ。光弾の暴風があたりをなぎ払い、屍兵の集団は一気に掃討された。
「……ふうぅ……」
さすがに石光の吐息に疲労の色がにじむ。
「ありがとうよ、いい陽動だったぜ」
「どういたしまして……多人数相手にはこの連携でいこうか?」
確かに敵の数が多いと、このパターンは有効だった。開原の戦闘でも実証済みである。
「……すまんが、今ので呪散弾を使いきっちまったよ」
「はあぁ?」
思わず声をあげる石光。洪復龍と名のる男が、自分では符などを補充できない事を思いだした。
「切り札はとっておくものだぞ。……君、親御さんから『後先を考えなさい』と叱られた事はないかね?」
「やかましいわ!」
図星らしかった。
◇
後方を閉ざしていた格子戸を解錠符で開き、可動部を壊して固定する。退却路は確保しておくに超したことはない。
奥に進むと、耳鳴りが強くなってきた。長春に近づくにつれて感じるようになったのと同じものだ。壁面を覆う饕餮紋は、うっすらと光を放ち続け、奥に行くに従って光は強くなる。
「……魔力に反応して光を出す仕掛けなんだろうか」
「ああ、こいつだけでも解明できれば、どれだけ魔法技術が変わるだろうな」
すでに懐中電灯なしでも歩ける明るさだった。いくつ目かの扉を開くと、つんと異臭が鼻をつく。……不快な光景を覚悟して扉をくぐったのだが、
「うぐ……」
「くぅ……」
思わず二人ともうめき声をもらしてしまった。
天井から巨大な木の根が伸びていた。部屋の中央は縦穴になっており、そこに伸びた根の間から、人間の体がのぞいている。日本軍の軍服をつけたままの姿は、ここに送られて帰ってこなかったという、関東軍の参謀たちと察せられた。木の根は生贄の目に、口に、耳の穴に食い込んでいる。そんな姿にされながら数人の体はいまだにぴくぴくと動いており、命の炎が消えきっていないのをうかがわせた。
「……冬虫夏草だな……」
洪のつぶやきが重い。彼にとって関東軍の参謀たちは、祖国を分断した憎むべき相手のはずだったが、さすがにこの姿を見て快哉を叫ぶ気持ちにはなれない。
生きながら植物の肥料にされた人びとを見下ろし、言葉がない石光。洪が老人の肩を叩いた。
「ああなっては、誰にも元通りにする事はできん。俺たちにできるのは、解き放ってやる事だけだ」
「……分かっている……わかっているとも……」
苦悶に顔のシワを深くして、繰り返す。
ここが黄三──孫徳江が予想した〝魔力供給ポイント〟と思われた。ならばここを破壊すれば……
疲労の色が濃い石光に代わり、洪が浄化・解呪方陣を起動させる。根を囲んで方陣を描き、挟みこむように二人は立った。
「我は雷公の旡、雷母の威声を受け五行六甲の兵を成し、百邪を斬断し万精を駆逐せん!」
「「急々如律令!」」
呪言の末尾、二人の声が重なった。
浄化の光の中で、木の根はまるで動物のように、うごめき、のたうち、しおれていく。頭上で大きな崩落音が響き、地鳴りとなって地下宮殿を揺るがした。まわりの饕餮紋は急速に光を失っていく。懐中電灯を再び点してみると、木の根は茶褐色に変色し、朽ち果てていた。根にとらわれていた人びとも、また……。気がつくと耳鳴りは完全に治まっていた。
石光も洪も、深く溜息をつく──終わった。自分たちにできる事は、やり遂げた、と。
◇
元来た道をたどって二人は地上を目ざした。
「どうした、足下が怪しいぜ? 肩を貸そうか?」
「馬鹿を言うな、そこまでモウロクしておらんわい」
洪のからかいを切り返しながら、しかし杖があればと思っている自分に石光三郎は苦笑を漏らす。ともかくも、地上に戻り通信機を確保し、知り得た情報を送らねば。異変に気づいて更なる死体兵が送られてきても、とっておいた式神符があればなんとか切り抜けられるだろう……
扉で区切られていた広めの部屋に入った時、唐突に二人の足が止まった。前方の闇からかすかな音が響いてくる。そしてあたりの饕餮紋が脈動光を放ち、低く振動し始めた。膚をひりつかせるような魔力の流れが、前方から押しよせ圧力を増していく。闇の向こうから何かが迫ってくる。法外な魔力を帯びた何ものかが。
「特佐! 気をつけろ!」
「ちち……まさか、ここで!」
がしゃり、がしゃりと足音が近づいてくる。壁面の明かりの中に、金縷玉衣に身を包んだ老人の姿が浮かび上がった。両手持ちサイズの長剣を軽々と片手に持ち、全身から紫のオーラがわき立っている。それはあまりの濃さに肉眼で見えるほどの魔力の奔流。ほとんど歯のない口がひらき、擦過音のような声が漏れた。
「下郎どもぉ……百度死しても償えんぞ……!」
黒竜の王が長剣を振るった。その軌跡に暗紫色の裂け目が走り、衝撃波のように石光たちを襲う。二人は左右に飛んで地に転がり、身をかわした。衝撃波は壁面に炸裂し、饕餮紋を明滅、振動させる。壁の鋳銅がガラスのようにひび割れた。
魔力そのものを放って相手を斬滅する、見る物の目を疑わせる圧倒的な力だった。魔力を〝術〟という段階を経て事象干渉を起こす、石光らの呪法技術とは次元が違う。
「南無三!」
思わず口走りながら、石光は符を取り出しカラスの式神を放った。狩猟鷹の如く一直線に老人に襲いかかる。が、老人は動かない。くちばしが、爪が、相手に届こうとした時、カラスは暗紫色の炎を上げてあっけなく燃え尽きた。
「ちいぃ!」
洪が双手帯を構えながら突進した。老人が再び剣を振るい魔力の衝撃波を生み出す。鮮紅色の闘気をまとった双手帯と衝撃波が咬み合った。
「くく……!」
踏みとどまろうとした洪の巨体が、衝撃波に押し切られ吹き飛ばされた。地に転がって受け身を取り再び構える。だがしかし、相手に向けた顔には焦りの色が隠せない。
石光は、今がその時と切り札をきった。己の持つ最強の式神符を。
「我は水の精、火気の対! 相克の理もちて百妖を浄化せん! 急々如律令!」
符は人の背丈二倍ほどの水龍の姿に変貌した。鎌首を掲げ、
「ぐふぁふぁふぁ!」
老人の哄笑が響いた。水龍の式神もカラスと同じだった。老人の身に触れる前に、蒸散して崩壊していく。しかし……
「ぐふぅ?」
水龍の崩壊が遅い。のたうちながらも氷風のブレスを吐き、紫のオーラを引きはがそうとしている。老人は己の魔力を目の前の式神に集中しだした。水龍のツノが飛び、ヒゲはちぎれ、ウロコが散った。しかし崩壊し切らない。暴風のような魔力の前で持ちこたえている。石光に物理の知識があったなら、ライデンフロスト現象と説明しただろう。
その間隙を縫って、石光は老人のまわりに方陣基点を放った。石光の意図に気づいた洪もまた、老人の反対側に走って基点を立てる。
ついに水龍の全身が尽きた。符の製作に十年単位の時間がかかる最強クラスの式神。それが老人の前では三十秒しか保たなかった。だがしかしそれは、黄金のような三十秒を石光たちにもたらした。
目の前の邪魔者を駆逐した老人は、自分が呪法陣の中央にいることに初めて気づく。
「泰山府君勅下せり 神域四方 地水風火の理をもちて 千妖万魔を浄滅せん!」
「「急々如律令!」」
石光と洪の、体を振り絞るような方陣起動。それは老人の盲点である新式五行の原理による浄化方陣。
「ぐあああああああ‼」
獣のようなむき出しの悲鳴。今度こそ攻撃が直接通っている。闇雲に振り回される剣から衝撃波が乱れ飛ぶ。壁面の亀裂が天井まで達した。
「洪! 通路に!」
部屋から飛びだし通路に転げこむ二人。部屋の内壁を覆っていた鋳銅層が崩落した。天井から壁面から、青銅の塊が降り注ぐ。……轟音が収まると、老人のいた場所は、瓦礫の山に埋もれていた。饕餮紋の光も消えている。
吐息をついて歩み寄ろうとした時、ヴン、と振動音が響き、饕餮紋が再び光った。瓦礫をはね飛ばし、老人がもがき出てくる。
「……生き意地汚ねぇなあ」
思わず、溜息と共に洪は漏らした。
「下衆どもぉ……虫けらがぁ……切る……き、る、……百度……千度……つぶすぅぅ……ぐ」
しかし、先ほどまでの圧倒的な魔力は感じない。金縷玉衣を覆う紫の陽炎も消えている。洪が低く構えて前に出た。
「くどいぜ、一度蘇っただけで十分だ」
「気をつけろ、洪! あの刃!」
老人の剣は、予想外の鋭さで繰りだされてきた。しかし洪はその斬撃をかいくぐり、首筋を切り飛ばして側方にはね飛び、距離をとる。が、しかし
「ひゅうるる……ぐふ……ぐふふふふ」
傷跡が見る間に再生していく。気管から漏れる空気音が、含み笑いに変わっていく。
「ちいっ!」
首を切り落とすしかないと判断した。後方にすり抜けるフェイントをかけ、がら空きの頸部に双手帯を打ち込む。
「く!」
「ぐふふぅ!」
頸部に半ば埋まった刃筋を、老人の手がつかんでいた。攻撃を読まれたのだ。そのまま離さず、空いた片手で切りつける。洪は躊躇無く武器を放し、後方に飛んでかわした。獲物を捕らえ損なった剣が、地面に深々と切り込んだ。
前掃腿で老人を転ばし、放り出された双手帯の柄を取って洪は飛びすさった。老人の頸部の傷が瞬く間に消えていく。再生能力に陰りは見えない。
「ち……」
「き、る……ひゃく、ど……せん、ど……つぶすぅぅ……」
うめきながら老人が身を起こす。老人は先ほどまでのむき出しの魔力ではなく、刀身に絞り込むやり方で剣を強化していた。言わばようやく石光たちの魔術レベルに「降りてきた」のだ。弱体化したとはいえ、その刃はいまだ鋼鉄を切り裂くくらいの威力はある。洪が剣を合わせないのはそのためだった。しかしいつまでも敵の攻撃をかわし続けられるものではない。こちらの攻撃が、実質無効化されながらでは、なおさらに。
「洪! いったん退くぞ!」
石光が残り少ない符を放った。白く輝く霧が、黒竜の王を包む。
「ぬがぁぁ!」
実質的な攻撃力のない目くらましだが、数秒視界を奪う役にはたった。
「退くったって、どこにだよ!」
「こっちだ!」
無論、石光にも安全地帯の心当たりはない。敵から離れて距離をとるのみである。一度来た道をまた引き返し、途中の分岐を初めての方向に進んだ。先導していた石光は、すぐに息があがってしまい洪の肩を借りるはめになった。
入り組んだ迷路の先、柱と鋳銅が複雑にからみあった部屋に出た。二人とも、壁に背をもたれかけ荒い息を静める。双方、相当に疲労していた。呪法を支えるのも体力である。使えば必ず、その分だけ体力を消耗する。
「はぁ……はぁ……火力が……足りない。奴の頭部を一瞬で破壊しないと……」
「はっ……はっ……さっきの……浄化方陣をまたやるってのは……」
荒い息を飲み込んで、しばらく考える石光だったが
「これは勘なんだが……同じ手はくり返さない方がいいと思う」
「……そうだな。相手にだって脳みそはある。甘く見ない方がいいな」
先ほどの立ち会いで、狙いを読まれたのを思い出す洪。ついで、相手の動きを止める手立てもなければ、意図した場所に誘い込む目算もない。
「わしにはもう高火力の符はない。この場で造るのも不可能だ。君の……呪散弾だったか? あの技を奴の頭部にたたき込めば……」
「俺もそうしてやりてぇが、切れちまってるって」
上体を起こし、洪に顔を向ける石光。消耗しながらも、目から力は失われていない。
「あれは鉛に魔力を込めて火薬で打ち出すようになっているんだと思うんだが、それを、水銀と自前の闘気で代用できないか?」
「水銀だと? そんなもんを持っているのか?」
「いや、これから精製呪を使って集めるんだ。遺跡の入り口でオレンジ灯の警告が出たのは、おそらく水銀だと思う。司馬遷の史記によれば、秦の始皇帝は陵墓の中に水銀の海を造ったという。そこまでの規模でなくても、水銀化合物の朱で柩を満たしていた例は多い。黒い竜の王は同様のやり方で葬られて、大気中に水銀成分が蒸散しているんだと思う」
石光の予測に面食らう洪。こんな場所で史記の講義をされるとは思わなかった。
「……モノがあるなら代用は利くぜ。闘気を強めにしてたたき込めば、爆散するのと同じ効果は出せるだろう」
「む、やってみよう。時間を稼いでくれるか?」
「それしか手がないのなら……」
その時突然、部屋の饕餮紋に明かりがともった。暗紫色の魔力衝撃波が襲う。とっさにその場から二人ははね飛び、轟音と共に柱と壁が崩れ落ちた。
「特佐! 無事か!」
入り口に立つ老人に構えながら、洪は叫ぶ。返事はない。
「切る……ひゃくど……せん、ど……すりつぶすぅ……」
黒竜の王が踏み込んできた。魔力が弱まっていたから気づかなかったのか。それとも故意に魔力を抑え、接近を隠したのか。繰りだされる斬撃をかわす洪。青銅柱を盾にしたが、まるで立木のように切断される。
「特佐! おいっ返事をしろ!」
声は返らない。目の前の敵と後方の焦慮に、身が裂かれる思いだった。必死に体を入れかえて、相手の攻撃をいなし、かわす。
「返事をしてくれっ石光!」
再度、体を入れ替えた時、洪の目に、瓦礫の上にうつ伏せる石光の姿が映った。口から血を吐き、その身は微動だにしない……
「! きっさまああぁぁ!」
洪の胸に怒りが湧いた。自分でも驚くほど純粋で強烈な怒りだった。目の前の邪悪な老人を、叩きつぶさずにはおかない、と。
「おおおおおおお!」
双手帯を低く構え、突進する洪復龍。老人は相手の変化に一瞬とまどった。突き出された双手帯の刀身ごと、相手を切り伏せようと剣が振り下ろされた。洪は柄を回転させ、巻き落とすように剣をいなす。そのまま刀尖を顔面に突き込んだ。手応えを感じ、飛びすさる。
「ぐふ……ぐふふふふ……」
挽肉寸前まで切り裂かれた顔面が、醜悪な笑みの形に戻っていく。常人相手には過殺傷の旋風突きも、老人の息の根を止められなかった。下がりながら呼吸を整える洪。
(だめだ。この程度の攻撃では、こっちは気根を消耗させるだけだ……!)
右に左に身をかわし、必死に調息法で闘気を回復させる。勝敗の天秤は、じわじわと傾きだしていた。
◇
瓦礫の上にくずおれ、ぴくりともしない石光三郎。しかし……
「……我は金の精、水気の母……相生の……理をもち……」
血の気を失った唇が、わずかな呪言を紡ぎ出していた。途切れとぎれに、弱々しく……
◇
老人は次第に魔力を回復させつつあった。金縷玉衣の隙間から、暗紫色のオーラが徐々に漏れ出し立ち上る。一発一発の間隔は長いが、魔力の衝撃波を再び使うようにもなっていた。それは洪の立ち回りをさらに厳しくする。斬撃に体を入れ替えようとした洪だったが、敵の剣筋を見切り誤った。双手帯で断鋼の大剣を、滑らしいなそうとしたのだが叶わなかった。刃が斜めに切り裂かれ、反動に弾かれて飛び退る。受け身を取って構えた場所は、部屋の角だった。進退きわまった。左右にも後ろにも動けない。
「ぐぶふぅ……焼かれよぉぉ!」
己の勝利を確信した黒竜の王。醜悪な笑い顔で大剣を振りかざし、魔力衝撃波を繰りだした。反射的に洪は闘気を絞り、己の行為に絶望しつつも正面に向かって打ちつけた。
弾けるような音とともに、衝撃波と闘気が相殺した。あり得ない結果だった。闘気は物体に込めなければ、直接的な威力にならないのだから。洪と老人の間に光り輝く液体が散っていた。飛散した光球が再び中空に凝集していく。
〝それ〟が何かを察知した洪は、丹田に力を込めて最後の闘気を絞り出す。
「疾‼」
双手帯の一閃に爆散し、鮮紅色の闘気をまとった水銀弾が襲いかかる。この時ばかりは老人も防御の構えを取った。しかし水銀の弾丸は分裂しながら剣をすり抜け、金縷玉衣の隙間に食い込んでいく。
爆発音と短い悲鳴。壁面に飛散する、肉片、脳漿、ヒスイのかけら。黒竜王の上半身が消失してた。思わずその場に膝を落とし、大きく息をつく洪復龍。
──弾頭が命中とともに変形し、受傷部分を大きく損壊する弾丸をダムダム弾と総称する。非人道的兵器として国際条約で禁止されたのは1907年のハーグ陸戦協定においての事。史実の満州国建国を、さらに四半世紀溯った時代だった──
と、洪は床についた膝から地鳴りのような鳴動が伝わってくるのを感じた。いや、部屋全体が揺れている。
「……逃げろ……」
かすかな声の方を向くと、石光が身を起こし瓦礫に背をもたれかけていた。顔色は紙のように白い。
「伝承が確かなら……この遺跡は水で満たされていたはず……。奴の魔力が失われれば、再び元の姿に還る……」
洪は双手帯を捨てて駆け寄り、迷わず石光を背負った。
「! 馬鹿者っ、置いていけっ!」
「口を閉じてろ!」
来た方向とおぼしき通路を疾走する。振動音は次第に強まり、水しぶきらしい音も聞こえてきた。分岐路に突き当たった。思わず口にする。
「光!」
分岐の片方が青く光った。僥倖。自分たちがたどって来たのは、入った時と逆の岐路。分岐のたびに合い言葉を叫び、駆け続ける。すでに水は踵の高さに達していた。背後から海嘯のような暗い波頭が迫る。出口のはしごが見えてきた。はしごに手をかけ数歩登った時、波頭に腰の高さまで捕らえられ手が外れそうになった。水圧に抗い必死にしがみつく洪。その手を、上から誰かが強くつかんだ。
◇
息を切らしながら、小高い丘の上に登る。水はすでに、遺跡の穴から噴水のように噴き出していた。坂を登るのは洪と、石光を左右から支える男が二人と女が一人。女は黄八だった。草の上に横たえられた石光に、急ぎ応急処置を施す。洪も草の上に横たわり、荒い息を静めた。
「……遅かったじゃねえか」
二人の男に声をかける。
「あなたが先走り過ぎたんだ!」
眉を寄せて返したのは白四、白五と呼ばれる男たち。洪の結社の同胞だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます