第2章★美味しい花

 白クマをローブでぐるぐる巻きにしてもらい、ピポの四季だるまを使って宇宙船の中に収納しました。これでひと安心ですね。

 今回は「美味しそうな匂い」という情報に心惹かれたのでしょうか、倉庫整理と収集品の担当であるいつものユキヤナギ三世(犬)だけではなく、船のシェフであるタン=ポポ(ポンデ)も一緒についてきました。

「ふむ。外出は久しぶりじゃの。心躍る食材に出会えると良いのじゃが」

 いつものコックコートとコック帽に裸足ではなく、カーキ色のしゃれたジャケットにズボン、チーフタイをゆるく締めて、丸っこくて短い後ろ足には革のブーツまで履いて、まるでヨーロッパ紳士の探検家のような装いです。……本体は球体たてがみの、点目の、ただのタオル地のぬいぐるみライオンですが。

「川……川辺か湖ですかぁ」

 いつものようにチュー(ネズミ単数形。今日はメタリックなパステルピンク)を頭に乗っけたわたくし(美少女アンドロイド)は、画像マップを手にどちらへ向かうべきか悩みます。もちろんこのような原始的な文化ですから、正式に発行された国土地理院的な地図や、グーグル的なマップは存在しません。あらかじめ上空から通りすがりに船から撮影しておいた、粒子が粗めな写真を繋ぎ合わせてあります。

 巨大な蟻塚に似た現地人の村々を避けながら、一人と三匹で歩みを進めます。(チューは頭の上なので歩いていませんが)

 木々の向こうにたまに、メジロ髪の現地人や動物の群れを見かけましたが、気性が荒い肉食獣にぶつからなかったのは幸運です。前に恐竜の星に行った時には苦労しましたからね!

 写真では川かと思われた線のいくつかは、ケモノかヒトに踏み固められた道でしたが、ついに綺麗な水の流れへとぶつかりました。

 濡れた川辺を小石や砂が覆い、青青とした葉っぱが茂っています。

 周囲は湿度が高く、うっすらと霧が立ちこめてきました。

「ほほう、もしかしてこれはロボクの一種ではないか」

 ぬいぐるみのような丸っこい腕で嬉しそうに揉み手したタン=ポポは、浅瀬にびちゃびちゃと踏み込みました。わたくしの身長よりも高くまで伸びた、細長いセロリっぽい植物です。

 まるでハタキのようというか、シダやソテツのような長い葉っぱが先端にワサワサと茂っていて、幹には竹や土筆つくしの茎を思わせるフシがあります。タン=ポポが根元近くから曲げただけで、軽い音とともに繊維質たっぷりの幹があっさりと折れました。

 中が空洞なところがますます竹に似ていますね。

「ほとんどの星では絶滅して、化石になっているような品種じゃよ。これに魚や米を詰めて蒸し焼きにすると旨いんじゃないかと前々から思っておったのじゃ」

 短めの竹竿のように数本のロボクを担いだ彼は、ゆるキャラの着ぐるみめいた平坦な顔に貼り付いた鼻をうごめかせて、空気中の匂いを嗅ぎました。

「――旨そうな匂いがするぞ!」

「ほんとにゃ。オリーブオイルの匂いがするにゃ」

 頭の上のピンクのチューが同意しました。

 オリーブオイル? 首をかしげる三世と視線を見交わします。そちらに気を取られている間にタン=ポポは、ふさふさした葉っぱのロボクを肩に乗せたままで、川の上流に向かって浅瀬をザブザブと遡って行きました。まるで釣り人のようです。

 霧はますます濃くなっていき、ミルクのような空気をかぎながら楽しそうに駆けだしていくタン=ポポの背中が、みるみるうちに小さく霞んでいきます。

「いやいや違うぞ、みんな。これはバターをたっぷり入れて炙ったナンが添えられた、カレーじゃ」

「ええっ、カレー?」

 こんな、未開の星で? オリーブオイル以上に意味不明です。

 歌うように弾んだ彼の声が、霧の中に響きました。

「いい匂いじゃな。チキンカレーかな、ビーフカレーかな。木星野菜たっぷりのグリーンカレーや、皇帝イカのシーフードも捨てがたい……ふむ。このかすかな土の匂いはもしかすると惑星ヴェーダの双角天然イノシシのイノシシカレーかもしれん。あれは旨かった」

「ちょ、シェフ!?」

「そうじゃ、そうじゃ、この匂いは双角イノシシカレーじゃ」

 イノシシに似た生き物ならこの自然あふれる星には居そうですが、さすがに、調理されたカレーと一緒には存在しないでしょう。

 念のため、普段は閉じている臭気回路をひらくと、森林特有の濃く瑞々しい植物の匂いの中にわずかに機械オイルと漢方薬を混ぜたような香りがただよっています。アンドロイドが飲む維持剤ネクタルにとても似てはいますが、わたくしが過去に嗅いだことがあるカレーのスパイス臭はもちろんのこと、バターやオリーブオイルのような甘みのある匂いもしません。

「何をすっとんきょうな事を言ってるのね、ポポ」

 三世も呆れかえった声を出します。

 ええ、まったくですよ。

「これはチョコレートケーキが焼かれているのよね」

 はいっ!?

「チョコレートっ?」

 なにを言っているのでしょう、このわんころは。

「ちょっと待って下さいよ。わたくしの計器には、そのような甘い菓子の匂いは感知されていません。犬のくせに鼻が馬鹿なのじゃないですか?」

「わんこ族の次期族長たる僕の鋭い鼻に間違いはないのね。これは美味しい美味しいチョコレートを炙った香ばしい匂いなのよ」

「こちらだって、センサーを最新の物に交換したばかりの『空気が読めるアンドロイド』です。空気中のガスや二酸化炭素の濃度の違いだって〇.〇〇一%単位で分析できますとも。匂ってもせいぜい、機械オイルのような匂いです」

 頭上で呆れたように言ってのけたのは、ピンク色のチュー。

「ふたりとも何を言ってるにゃ。この、上質の翡翠がイメージされるような、甘くとろける馥郁ふくいくたる木の実の芳香は、濃厚なオリーブオイルのものに間違いないにゃ」

 表現力でネズミに負けたっ!?

「でっ、でも少なくともカレーのような個性的な匂いはしませんよ?」

「それはそうだにゃ」

「そこは同意なのよ、ポポ」


 しーん


「……ポポ?」

 三世は首をかしげました。見やった先にはレースのカーテンを何十も重ねたかのような濃い霧が、白く覆っているばかり。

 あっあれっ。はぐれました?

「にゃ?」

「どうしたんです、タン=ポポ? シェフっ!?」

 みんなで慌てて水が染み込んだ河原を追いかけていきます。もろい素材の白っぽい小石が、足の裏で次々と砕けるので走りにくいです。

 そのとき。

 風が吹いて、わずかに霧が薄くなりました。

「!」

 美しいサーモンピンクの蕾が川岸いっぱいに広がっていました。

 どれも茎は太く短め。小さな花はピンポン球ほど、大きなものは両手でやっと抱えられるアドバルーンぐらいもあって、厚く茂った葉っぱに支えられています。球体として閉じた花びらそのものは淡い橙色で、葉脈に色素を吸わせたかのような赤味の濃淡がありました。

 ちょうどそのような時期や時間帯なのか、ひらいている花はほとんどありません。

 それとも、いくつか地面にちから無く広がって落ちている、剥いたミカンの皮のような花びらは枯れかけで、オレンジ・キャンディの包みか水ヨーヨーに似た、袋の端をひらひら残して、真ん中でギュッと絞ったようなまん丸い球体は、蕾ではなくて通常の状態なのでしょうか。

 淡い霧の中に大小たくさん寄り添ったランタンを思わせて、とても幻想的です。

 ――まぁ、見ようによっては。鼻先に短い茎がくっついた、尾鰭の大きなデブ金魚のようだとも言えますが。

 探検隊が「蕾の先端が喋った」と記録しているので蕾だと仮定しましょうか。――もしもこれが、美味しそうな匂いがするという『物言う花』だとしたらですが。

「……いい匂いなのよ」

 隣のユキヤナギ三世は、酔っぱらったようなトロンとした目つきで呟きました。

 わたくしたちの目の前で、花弁の絞られた先のねじれが、炭酸が弾けるようなポンッという音とともに軽くほどけました。

『――眠いぃ』

「!」

 記録の通りです!

 周りの蕾も次々と、巾着か金魚の尻尾のような先端をゆるめて喋りはじめました。

『おなかすいたぁあ』『眠いぃ』『とろけちゃうぅ』『やっぱ眠いぉ』『帰りたいぃ』『眠いようぅ』――なぜかおおむね睡眠不足の花ばかりですね。

 少し人工的なエコーが効いた声で、とてもにぎやかです。

「いえ、にぎやかというか、むしろうるさすぎますねぇ」

 喋りすぎです。花によっては、

『このブスぅ』『あっち行けぇ、ばーかばーかぁ』『溶けるぅ、溶けるぅ……』『死んじゃえぇ』

 などなどネガティブな発言ばかりこぼして、腹が立ちます。燃やしてやろうかな。

 そして、ねじれの先がひらひらと動いて語りかけてくるだけで、球体そのものが完全にほどけきることはありません。きちんと咲ききらないということは、やはり蕾のように見えている形が通常だと解釈したほうが良いのでしょうかね。

 マスターにお見せするために、その光景を脳裏の画像記録ディスクに保存していきます。

『チョコレートケーキぃ』

 ?

 チョコレートケーキ?

 花の発言を不思議に思って三世とまた視線を見交わし……は出来ませんでした。

 白犬に向けた視線が宙を空振りします。あれ?

『げふっ、チョコレートケーキぃ』『美味しそうな匂いなのよぅ』『焼きたてのチョコレートケーキぃ、ぶふっ』『うふふふ、ぷふっ』

 空気漏れをしているような呟きを繰り返す、大きな花の蕾からハミ出ているのは、作業着ツナギの青い布地に包まれた、ケモノの丸いおしりと短い足。ズボンのスリットから飛び出した、そこだけ濃い紅茶色の尻尾が楽しそうに振られています。

 まるで、巾着に食べられかけているかのようです。

 もぐもぐ、もぐもぐ

「ちょっ、三世~っ!? 飲み込まれていますよっ?」

 宙に浮いていた肉球付きの両足を掴んで全力で引っ張りますが、花びらの先端から上半身を突っ込んだ三世を抜くことが、なかなか出来ません。

 ひらひらする花びらの内側は、イソギンチャクのような短い繊毛で覆われているようです。

「……オリーブオイルの匂いが強くなったにゃ」

 チューもまた陶酔したかのような声で肩に降りてくると、鼻を空中へと向けました。

「チュー、あなたまで飲み込まれないでくださいよ!?」

 慌ててパステルピンクのネズミをひっ掴んで、ウエストポーチの中に突っ込みました。

 ですが、わたくしにはオリーブオイルやチョコレートの匂いは分かりません。

 生体部分が入ったわたくしの脳は花の中から強い維持剤ネクタルの匂いを感じ取っていて、計器は冷静に、未知の科学的な臭気を濃く感じ取っています。つまり恐らくこのサーモンピンクの丸い花たちは、『その人にとって一番美味しそうに感じる匂い』だと錯覚させる香りを放っているのでしょう。

 維持剤ネクタル固形燃料アンブロシアはわたくしの食欲を刺激いたしませんが、アンドロイドにとっての生命線だから選ばれたのでしょうか。

「まあ、考察はマスターにお任せしましょうか」

 それにしても。華奢でデリケートな秘書アンドロイドに、なんて重労働を強制しやがるのですかこの犬は!

 わたくしはポーチのベルトに挟んだハンマーのハンドルを、流れるように優雅に取り出しました。


     ◆ ◆ ◆


「さて、どうしましょう……」

 数分後。地面に転がっているのは、三世イヌのぽっちゃりした下半身。上半分は、ハンマーで茎を叩き折られた蕾に飲み込まれたまんまです。

 紅茶色の短い尻尾がフルフルと揺れ、花びらの隙間からは相変わらず『こんがり甘いチョコレートケーキなのねぇ』『美味しいチョコレートぉ、うふふふふふ』と漏れていますので、さぞや楽しい夢を見ているのでしょう。

「……なんだか、心配しているのが馬鹿馬鹿しくなる光景ですね」

 軽いエコーを重ねた花の呟きは、ユキヤナギ三世の声とは違っていますが、彼の発言と一致しているのはほぼ間違いないところでしょう。

 しかし、せっかく茎から折り取ったにもかかわらず花の部分はまだ生きているのか、三世の下半身は今もなお、蕾の巾着の中へもぐもぐと飲み込まれつつあります。試しに指をかけて引っ張ってみましたが、意外と肉厚でやわらかいシリコンのような花びらは柔軟性があって、内側のねばつく繊毛のせいもあってちょっとやそっとでは中身を出すことはできそうにありません。

「……せめてナイフかなにかが、あれば良いのですけれど」

『ナイフぅが、あるといいのぉ?』

 犬の短足が生えた丸い蕾が、問いかけてきます。

「この蕾を切り裂かないと、あなたを取り出せないでしょう」

『どうして、ナイフで蕾を切り裂いてぇ、僕を取り出すのねぇ?』

「うちの船に、引きこもりニートは白クマいっぴきだけで充分です」

 なにか、刃物を持ってきていたでしょうか……?

『「ナイフなら、ここにあるよっ」』

 元気な声とともに、横合いから鞘が付いた小ぶりのサバイバルナイフが差し出されました。気が利きますね!



『「はっ。なにがあったのよね」』

 鼻先に花粉をくっつけて、地面に座り込んだ駄犬は正気に戻りました。毛皮はちょっぴりネバネバしています。

 べろりと切り裂かれたサーモンピンクの花弁からは、さらに濃い芳香が立ちのぼっています。

 蕾の真ん中から切り開いて救出したので、三世の頭にはまるでチューリップハットのように、茎を砕き折られた蕾の下半分がくっついたままです。

 三世が、格別に頑丈な種族で良かった。

 普通ならば、頭の回りにナイフの切り傷が一周しているところでしょう。……このサバイバルナイフ、こんなに切れ味が良いとは思いませんでしたよ、ええ。取り出すための途中経過のあれやこれやのせいで、彼のブルーのツナギは縦にスッパリと切れてしまいましたけれども、本人が気付いていないようなので、問題無しです。

 ユキヤナギ三世は周囲をキョロキョロ見回してから、しょんぼりと肩を落としました。ようやく状況が飲み込めたようです。

『「チョコレートケーキの中に潜り込んでいたはずなのよ。とても気持ちよかったのよね」』

「おそらくは、この花が見せた夢ですね」

『「ああっ、服が切れてる!」』

「救出作業における、やむを得なくも尊い犠牲です。避け難い必然です。さあ、気を取り直してこの花の標本を作りましょう!」

 三世の言葉が、妙に副音声なのが気になりますねえ。こんな状態になってもまだ、帽子になった蕾のフチが、ひらひら震えながら本人と同じセリフを発しています。

 もしかして、この花はスピーカーの一種なのでしょうか。

 蕾のフチがふたたび動きました。

『嘘だっ。アデレイドは粗雑で大ざっぱでテキトーだから、こうなったのよ! きっと!』

「……!」

 三世は慌ててその鼻先と口を押さえました。……いえ、この白犬は喋ってなかったですよね?

 蕾のフチがさらにピロピロと動きます。

『マズいのよ。粗雑で大ざっぱでテキトーなアデレイドは暴力的なDV人形だから、殴られるのよ。とりあえずハンマーで叩いて黙らせる方針は何とかして欲しいのね。凶暴っていうか凶悪っていうか、アンドロイドのくせに脳みそ筋肉っていうか――――』

 三世がそのフチを掴んでぎゅうっと引っ張って、ようやく静まりました。

『…………』

「…………」

 白犬は、帽子のような蕾のフチを両手で引っ張ってその声を押さえつけたまま、視線を逸らしてしらじらしく言葉を続けます。

「ところで、そちらさんは誰なのね?」

 誤魔化されませんよ?

「アンドロイドのくせに脳筋っていうか――――そして、何ですか?」

 愛らしい容姿のわたくしは優しく微笑んで、ハンマーのハンドルを握り直しました。

「あーあ。終わったにゃ。白犬終了のお知らせにゃ」

 ウエストポーチの蓋を押し上げたチューが、哀れむような声をあげました。

 終わっただなんてとんでもない。説教が始まるのはこれからですよ。三世が、特別に頑丈な種族で本当に良かった。心が痛まなくて済みますものね。



「――この花は、幻の匂いでおびき寄せてやってきた動物や鳥に、花粉を運ばせる種類だったということでしょうか?」

 わたくしの予想に、三世は、鼻に付いた花粉と鼻血をぬぐいながら顔をしかめました。

『「目的としては受粉も兼ねているのだろうけれども、そんな生やさしいものじゃないのね。食虫植物の一種なのね。かなり大型だけれども」』

「……食虫……?」

『「というか食獣? 食肉? この花はたぶん、水辺に来た動物や鳥が栄養源なのね」』

「……つまり。さっきは状況の印象通りに本当に食べられかけていたということでしょうか。犬科の肉食の捕食側のクセに、植物なぞに」

 ……捕食者?

 さて。

 この蕾を見つけてから色々なことが起こったせいで今の今まで忘れてましたが、わたくしたちにはもう一匹“肉食の捕食側”であるはずのツレがいましたねぇ。わたくしと三世とチューは、今度こそ視線を見交わしました。

「シェフ~っ!?」

『「ポポどこに飲み込まれたのね!」』

「にゃあああああああ」

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