満ちる鴇

藪からスティック

第1話 満ちる鴇

 薄紅色の花弁を舞い散らせる春の強い風が音をたてて吹いた。

「綺麗……」

 無意識に口をついて出た言葉はふいに搔き消された。

 どん、と鈍い音と共がして見知らぬ男性の鞄が左肩に当たった。その衝撃が思いのほか強く、よろめいて地面に倒れそうになる。目前に迫る灰色の地面に半ばあきらめを感じていた。大学生活早々からついていない。いや、私自身はもともと運のないやつだったと冗談を言えるほどに頭は冷静だった。

 だがいつまでも体のどこに痛みを感じることがなく目を開けた。目の前には先ほどと同じ距離に地面が見える。ふと腰の辺りに違和感を覚えた。何かが私の体を支えている。

 顔を上げると、日に当たってキラキラと光る雪のように澄んだ白銀色の髪が視界いっぱいに広がっている。全体的に短く切りそろえられているが前髪だけが目元を隠すように少し長くなっていて、それが垂れて少し動くと私の顔に付きそうだ。ふと見えた髪の下に透き通るような朱が入った茶色の瞳と視線が合う。改めて顔をしっかり見ると目鼻立ちくっきりとしていて、まるでおとぎ話に出てくる異国の王子様のようだ。

「大丈夫ですか」

 私は無意識に、はいと返事をしていて、彼が軽く頭を下げて去っていく後姿をじっと見つめていた。時折桜の花びらが視界を奪うかのように目の前を流れて、その間に彼の姿を見失ってしまうのではないかとはらはらしてその背中を探す。小さくではあったが彼の姿を見つけると安心した。

 桜並木の中を歩く彼は消えてしまいそうなくらい儚く感じるが、時折髪に映る花びらの色がとても綺麗だった。

 はっと我に返ったのはその背中が見えなくなってからだった。すぐに手元の腕時計を確認する。待ち合わせの時間まではまだ少し余裕があった。自分が早めの行動を心掛ける人間で良かったと安堵しながら、鞄を肩に掛けなおした。

 それにしても綺麗な人だったなと、また彼が消えていった方を眺めた。


「ごめんなっちゃん、お待たせ」

「彩音遅いよ~」

 学生が集まる小さなカフェがある。まだ人はまばらで店内は静かだ。その入り口横にスマホをいじりながら立っている彼女の元へ走っていく。

 なっちゃんは高校からの友達で強い心を持った女の子だ。普段はさばさばしていて面倒くさいことはしない主義なのだが、私の悩みに親身になって解決策を考えてくれたりなど、他人思いのとても優しい女の子だ。

 実は、と先ほど起きた出来事を話した。

「そんなことがあったんだ。よかったね、怪我なくて」

「それでね、落ちついて聞いて欲しんだけどさ……」

 なっちゃんが首をかしげてこちらを見る。

「私、その助けてくれた人好きになったかも……」

 大きく目を見開いたなっちゃんは、声も出ないのか口を開いたまま私の顔を見つめている。そして遅れて大きな声を上げた。

「えぇぇぇぇぇぇぇ!」

 声があたりに響き、周りの人が一斉にこちらを見た。その視線に耐えかねた私は急いで、なっちゃんの口を手で覆って、早足でその場を離れた。

 人通りの少ないところまで来ると彼女の手を放す。

「なっちゃん声が大きいよ」

「いやごめん。驚いてさ」

 それにしてもと、おちゃらけた態度が張りつめた真剣なものに変わる。

「でも彩音さ、あの体質あるじゃん。どうするの?」

 その言葉に私の顔が曇る。

 私は周りの人に不幸を与えてしまう体質を持っている。

 高校時代にできた陸上部の彼氏は、付き合い始めたのと同時に調子が下り坂のように落ちていき、大事な試合前に足の骨を骨折して夢も失ってしまった。

 その後、一方的にだが別れを告げられ顔を見ることもなくなった。その後彼の調子は今までのどん底が嘘のように上がっていった。

 他にも友達になった女の子も人間関係や金銭面で苦労して私の元を離れていった。

 私は人を不幸にしてしまう疫病神だから、きっとまた迷惑をかけてしまう。あまりあの人にかかわらない方がいいかもしれない。

小さくため息を漏らす。

「まぁ私は彩音が本気ならいいかもしれないと思わなくもないよ。他人の事ばっかり考えてたら治せるものも治せないかもしれないじゃん」

「治るかな……」

 かれこれ二十年近くもこの厄介な体質と共に生きてきたのだ、駄目なこととそうでないことの区別はつく。今回は駄目な方だ。そもそもとして彼はこの大学の生徒なのだろうか、この広い敷地内でまた会うことがあるだろうか、彼の学年は、歳は何歳なんだろうか。まず学生なのか、と走り出した思考はマイナスなことしか考えられない。私まだ何も彼のことを知らないんだと改めて思う。

「やっぱりいいよ、大丈夫」

 なっちゃんは静かに頷いた。

「こっちこそごめんね」

 今度は私が首を振った。

 なっちゃんは私のためを思って少し背中を押してくれたと思うけど、あきらめた方が私のためにもあの人のためにきっといい。そう言い聞かせて、生まれたばかりの小さな芽を摘み取る。もう芽が出てこないようにしっかりと根も枯らす。

「講義行こうか」

「うん」

 けじめをつけたはずの恋心は消えることはなく、心の片隅にこびりついたように私の思考を鈍らせる。講義に集中しようと思えば思うほど去っていく彼の背中を思い出した。

 ペンが紙の上に文字を書くことはなく、意味のない線ばかりが増えていく。

 雲がない空を眺めて小さく息をはきだした。

 

 それからは、講義を受けるべく構内を歩いていても人ごみの中に白銀の彼の面影を探したり、アッシュグレーに髪を染めた人に声をかけそうになったりなど落ち着かない日々を過ごした。

 無意識に彼のことを探してしまったり、あわよくばもう一度彼に会いたいと思っている自分がいた。

 一週間ほどたった、その日の心理行動学の講義は別々だったので、なっちゃんとは教室の前で別れて私はそのまま次の教室へと向かった。ドアを開けてそっと中を覗いてみると人はほとんどいなくて、少し早く来すぎてしまったと静かに中へ入った。

 後ろの方の席へ座ろうとすると、前の方で話し声が聞こえてきた。

「なぁ、あんたさ窓側の席とか座ってて大丈夫なのか、日光浴びすぎるの良くないんじゃねぇ」

「お前は直球かよ! そっとしておけって」 

 気だるげな男性が誰かに話しかけているのを、もう一人の男の人が止めているようだ。声をかけられている人物の後姿には見覚えがある、あの人だ。その姿を見て胸がきゅっと苦しくなる。

 自分が取り返しのつかない失敗をしてしまったときに、大丈夫だよと逆に気を使われる方がよっぽど辛い。いっそ本音をぶちまけてくれた方が楽だ。傷つけないための選択が反対に痛めつけてくる。

「悪いな」

 話しかけていた男の人の腕を、友人がつかんで半ば引きずるように反対側の席に移動する。

「あぁいうのは変に気を使わずにそっとしておくのが良いんだって」

「でも、言いたくても言えないときあるじゃん。俺は声かけてあげた方がいいと思うけどな」

「もし不都合があるなら言えばいいんだよ。そのくらい大学生なんだからできんだろ。アルビノだっけか、正直めんどくせぇんだよ」

 二人の会話は嫌な方向に盛り上がっていく、いやあれは口論しているという方が正しいのかもしれない。その男の人二人に気を取られていたが他にも教室にいる人の視線が彼に集まっている。それぞれどうのように接したらいいのか困っているようだ。中には非常に迷惑そうな視線を向けてくる人もいる。私に向けられたものではないとわかっていてもこの空間が気持ち悪いと思う。それを受け止めている彼はどんな気持ちなのだろうか。

 話すだけなら、許されるのではないだろうか。相手を不幸にする体質だからといっても、言葉を交わしただけで誰かを不幸にしたことはない。そこだけは神様に感謝するべきところの様な気がする。

 周りの人間に、彼という人がどういう性格でどのように話すのか、言葉を交わすのかというのを示すには実際にその様子を見せること。人は自分が見聞きした情報だけを信じる生き物だから。

 私は立ち上がり彼の近くへと歩み寄る。

「あの……大丈夫ですか」

 言葉にした後になんて間抜けな台詞だろうと心の中は大混乱だ。何に対して大丈夫なのか、私が今した行動は先ほどの男の子と変わらないのではないだろうか。非常に頭を抱えたい気分だ。

 こちらに注がれていた教室の視線が散らばって消えていく。

 彼の方を見ると見開かれた綺麗な瞳と目が合った。

「あ、あの、いや」

 私はおどおどと手を振り回した後に頭を下げた。

 はは、と笑う声が聞こえて顔を上げる。笑っている顔は少し幼くて、助けてもらった時とは違う印象を受ける。なんだかとても柔らかい雰囲気で、お話の中の王子様とはかけ離れている。

「凄く勇気のいることをしてくれてありがとうございます」

 彼には私の大丈夫ですか、の意味が伝わったらしい。

「よければ隣に座りませんか」

 断ることもできず、不自然にならない程度に距離を開けて隣の席に移動する。

「先ほどは本当にありがとうございました。あぁいうときどうしたらいいのかわからないんです。気を使ってくれるのは嬉しいんですが、使われすぎるのもなんとも」

 眉を八の字にして困ったような、嬉しいような顔で彼が笑う。

「こういう見た目なのでよく他人から距離を置かれます。でも実際、僕自身は他の人とそんなに変わらないんですよ。でも自分が行動を起こしたからといって周りの目が変わることはありません。変化があったとしてもそれは僕にとってマイナスなことの方が多い。なので」

 私の方を真っすぐに薄い朱色が見つめる。

「誰かが僕に話しかけてくれることはとても嬉しいことです」

「私なんかでも、力になれたなら良かったです。私……」

 伝えるつもりはなかったけれど、彼の容姿を褒めるくらいの言葉なら言ってもいいのではないだろうか。

「私、初めてあなたを見た時にすごく綺麗だと思いました」

「えっ」

 教室内に人が多く流れ込んできた。前の講義が終わったらしい。私たちのささやかな会話はその少しの変化にあっという間に遮られてしまう。その後とくに言葉を交わすこともなく、空けた距離がやたら遠くに感じられた。

 なにかが起きるわけでもなく講義は終了して、私たちは教室前の廊下で軽く会釈をして別れた。というか私は強引にその場を立ち去ったのだ。これ以上言葉を交わすと戻れなくなるから、またどこかで会えたらいいなって距離が好ましい。

 胸のあたりにできた小さなわだかまりを消したくて広い構内をただ意味もなく歩き回った。


 日が暮れてきた頃にやっとすべての講義が終わり、学部棟から正門に向う道を一人帰っていた。なっちゃんはテニスサークルに入ったらしく忙しくしている。

 夕日に照らされている木は花びらがまばらになり、葉がオレンジに染まっている。

「燃えてるみたい」

 人によっては情熱的な色に見えるのかもしれない、私はただむなしいだけの色だ。

「あっ」

 出口を目指して歩いていると真剣な顔で枝先の一輪にスマホを向ける彼がいた。

 撮った写真を確認しているのか、画面を覗き込む顔が柔らかくてやっぱり綺麗だと思う。彼はこちらに気付き笑いかけてくれる。

「あぁ、よかった。実はずっとここで待っていたんです。もう帰っちゃったかと思いました」

 ざわざわと風に葉が揺れる。

「今年の桜はとても綺麗ですね。眺めているとなんだがもどかしい気持ちになるんです。綺麗なのにその美しさは長くは維持されない。あっけなく散ってしまう。それが人の心を掴む理由なのかもしれませんが、永遠なんて言葉はロマンチックではないのかもしれませんね。」

 私は彼が言いたいことがわからずにただ立ち尽くして、風になびく白銀の髪を見ていいた。

「僕はあなたに恋をしているのかもしれません」

 周りから余計な音がすべて消え去った気がした。風の音も車のうるさいエンジン音さえもこの世界からなくなったみたいだった。彼と私だけが取り残されたみたいだ。でも前にいるこの人は返す言葉次第では、私を置いてあっけなく消えてしまいそうな儚さがある。

 わかりきっている答えを口に出すことがこんなに怖いと初めて思った。

 音を紡ごうとする口は震えてうまく動いてくれない。何とか絞り出した言葉は小さく弱々しいものだった。

「私はあなたの気持ちに応えられません」

 心臓がばくばくと音をたてて破裂してしまいそうだ。いっそここではじけ飛んだ方が楽かもしれない。

「えっと……体質で、ダメなんです」

「体質ですか?」

 小さくうなずいて、顔をあげることができず自分の足元を見つめた。

「私は親しくなった相手をを不幸にしてしまいます。そういう体質なんです。今までもたくさんの人の幸せをダメにしました。きっとあなたのことも……」

 下を向いていた私の視界に彼の靴が映る。

「僕は不幸になりませんよ」

 語り掛けるような優しい声が、顔のすぐ近くで聞こえる。

「僕は生まれた時から他人より色素が薄くて、たくさんの人に心無い言葉を浴びせられました。時には消えてなくなってしまいたいと願うこともありました。でも両親から与えられた愛が僕に生きる勇気をくれたんです。そこでふと、思いました。自分を信じて、愛してあげられることができないと幸福を感じることもできないと、この意味が分かりますか?」

 視界がぐにゃりと歪む。私はとにかく頭を振って肯定する。

「まずはあなた自身が自分を愛してあげていください。そうするだけで世界は輝いて見えますよ。今日初めて会った僕に綺麗だと言ってくれたことがとても嬉しかったです。貴方が見せてくれた勇気ある行動にとても勇気づけられました」

 彼は深呼吸すると、私の手をそっと取る。それを追うようにして私は顔を上げると目の前に綺麗な澄んだ朱い瞳があって、吸い込まれそうになる。

「僕の名前は宇田雪夜と言います。貴方が幸せになるお手伝いをさせてくれませんか」

 あふれ出してきた涙は拭っても止まることはない。 

 私、少し勇気を出して踏み出してみてもいいかな。幸せを願ってみてもいいだろうか。

「不幸を与えることしかできない人間でも幸せになれるでしょうか」

 彼はにっこり笑って頷いてくれた。

「もちろんです」

 それにつられるように自然と私の顔もほころんでいた。

「私は、鴇谷彩音です」

 嗚咽まじりに紡いだ言葉に彼は笑うことはない。語り掛けるような優しい声でそっと告げてくれる。

「綺麗な名前ですね。彩音さん、僕とお付き合いしてください」

 ずっと誰かに言ってもらいたかった気がする。貴方は幸せになれますと、誰かが背中を押した気がした。それは過去の私かもしれない。

「はい……」

 髪を揺らす風は先ほどよりも温かく感じた。今だけはささやかにだが何かが私を祝福してくれているような気がした。

 まだこの体質がどうなるかはわからないけど、うまく付き合っていけるような気がする。私の手を引いて大きな一歩を踏み出させてくれた彼となら。

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