サイクル

Do-gy

1回転 タイム・サイクル

「待てテメー!」

待てと言われて待つなら、そもそも追いかけっこになっていないだろう。心の中でそう思いながら、俺は必死に前だけを見て走った。どこか、身を隠せそうな場所はないか? 俺はふと目に留まった路地に逃げ込んで身を潜めた。

「チッ! どこに行きやがった?」

幸いにも、怖い人は俺に気づかずに過ぎ去ったようだった。肩が少しぶつかっただけで追いかけてくるなんて、日本の治安が心配になってくる。もっとも俺が心配すべきは日本の治安ではなく、自分の今日の生活なのだが。


「もし、若いのや?」

走り疲れてボーっとしていると、後ろから老いた女性の声が聞こえた。俺は振り向くと同時に、声を上げて尻もちをついてしまった。

「なんじゃ、情けないのう。どうした? 何か困っておるのか?」

「なんだ!? あんた、どこから現れた!?」

まさに老婆と呼ぶに相応しい恰好をしている女性がそこにいたが、顔は深く被っているフードのせいか確認することができなかった。

「質問に質問で返すとは、教育がなってない証拠じゃな、ほれ手を貸してみなさい」

「見ず知らずの人に話しかけられて冷静に応答する奴なんて、そんなの探してもそうはいねぇだろ!?」

俺の必死のツッコミをスルーし、老婆は俺の手に少し触れてきた。

「後悔、しておるのじゃな? 今まで自分がしてきた選択が間違えていなかったと信じつつも、心の底では疑っておる。 “戻りたい” と思っているな?」


「あんたに何が分かるっ!」

一瞬同様したせいか、思わず叫んでしまった。直後、俺はすごく後悔した。見ず知らずの老婆をいきなり怒鳴りつけるのは、流石の俺でも心にモヤが残る。

「ほほ、そんなに怒るな。そして、また戻りたいと思ったな? そんな若いのには、丁度いい」

老婆の手が微かに光った瞬間、体の中が熱くなるように感じた。

「キーワードは “戻る” じゃ。きっと巧く使ってくれよな、若いの」

「は? キーワード? 戻る? 何言って……やが……」

ほんの一瞬だけ意識が剥離した。


俺の意識がはっきりすると、さっきの肩をぶつけてしまった怖い人が目の前にいた。

俺は戸惑いながらも再び怖い人を目の前にしつつ、逃げる算段をしていた。

「いやぁ……さっきはすんません、ほんとわざとじゃないんで」

「あ? 何言ってやがる。さっき? 俺は今の事言ってんだよ、今てめぇが肩ぶつけたこと言ってんの」

「へ? 今? いや、俺ぶつけてねぇ……し」

俺は言いながら周囲のおかしさに気づき、逃げる算段をしていた脳を現実に引き戻した。そこは老婆と出会った路地裏ではなく、ほんの少し前に怖い人とぶつかった場所だったからだ。

「落とし前、つけるんだよな?」

「いやぁ……ほんと、今日はいい天気ですねぇ」

言うが早かったか走るが早かったか。俺は再び逃げ始めた。後ろで怖い人が何やら暴言を吐きながら走ってきているが、今の俺はそれどころではなかった。“なぜ怖い人は俺のことを忘れているのか”、“なぜ俺はあの位置に戻ってきているのか” 俺の頭の中はその2つに支配されていた。

「これじゃあ、さっきと同じじゃないか」

俺はボソっと呟きながら、“前回” 怖い人から逃げおおせた路地へ向かっていた。今回は逃げるためではなく、この意味不明な現象の理由を知るために。


目の前の交差点を右に曲がれば、その直ぐ左側に目的の路地が見えてくるはずだ。俺は交差点を全力疾走で曲がりきると、左側に目を向けた。そこには少し異質な薄暗さを伴った路地があった。思わず俺はホッとしてしまったが、直ぐに顔を強張らせて路地で身を潜めた。

「チッ! どこに行きやがった?」

そこにあるのは、“少し前” と同じような言葉を吐き捨てて俺を探して通り過ぎていく怖い人の姿だった。やはり不思議だ、あれだけ走って疲れていたのにも関わらず 同じ距離を走ることができた。体力が回復した? 俺はそんなことを考えつつ、老婆に話しかけられるのを待った。


あの時、俺はどれほどの時間ボーっとしていた? 路地に身を潜めて少なくとも10分は経つはずだ。にも拘らず、老婆が声をかけてくる気配はない。

突如背後から物音が聞こえてきた。老婆か!? 俺は思わず振り向き、精一杯の睨みをきかせながら言い放った。

「どういうことか説明してもらおうか、ああん?」

「どういうことか聞いてんのはコッチだ。ここでボコられたいか、金だけ置いて見逃して貰いてぇか、選びな」

そこに立っていたのは怖い人だった。俺は急展開についていけずに、直ぐに逃げ出すことができなかった。

「無視は、答えじゃねぇよなぁ!」

「んで、俺は路地にずっと残ってたんだ……畜生」

「知るかよ!」

今にも殴り掛かりそうな勢いで向かってくる怖い人を尻目に、俺はふと老婆の言葉を思い出し呟いた。

キーワードは…“「戻る」”

すると、再び俺の意識は一瞬剥離した。


気が付くと、丁度大通りの方から怖い人の声が聞こえてきた。

「チッ! どこに行きやがった?」

俺は怖い人が走っていく様を見て、自分の置かれている状況を悟った。怖い人に見つからないように路地を後にした俺は、思考の大半を不思議な現象に支配されつつも目立たないように注意して家へと向かった。



「なんとか帰り着いた……」

俺は安堵の溜息と共に、家賃3.5万のマイルームへと足を踏み入れた。今日は色々な事があったせいか、いつもと同じ街並みも少し遠い世界のように感じた。そのうえ意味不明な出来事が起きて、文字通り心身共に疲弊した自分自身のその後を睡魔に委ねたいところだが、気力を振り絞り本棚からノートを取り出した。目的は、突如身についた不思議な力を理解するために他ならない。

「真面目にノートに何か書くなんて、大学以来かもな」

俺は今日の出来事を思い出しながら、不思議な力の発生条件を考えることにした。正直逃げ出したい気持ちで一杯だが、何もわからないまま同じ状況が続くことは余計に避けたい。


俺は大きく深呼吸をし、一番上に “戻る” と大きめに記入した。決して口に出さないように、気をつけながら。

「これがキーワード……このワードを言ってしまうと、また同じようになるのか?」

キーワードを唱えることが最低条件であることは確信に近かった。問題は、“戻る” が “回帰” のような同義語でも代用できてしまうかという点だ。代用出来てしまえば、迂闊に似た言葉を口にできなくなってしまう。

「この点は試さないとなんとも言えないな。問題は、他にも発動条件が存在するかということか。」

仮に、何かしらの条件が揃った時にのみキーワードがトリガーとなるのならば、乱用は難しくなる。他にも気になることとしては…

「やり直せる時間と、その連続使用や重複使用が可能かどうか…」

俺ははっとして思わず口を噤んだ。試す前に自然に明らかとなった事実だが、自分の無神経さに悔しさも抱いてしまう。どうやら“やり直せる”はセーフワードのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サイクル Do-gy @prodigy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ