第26話 ノスキーラ

 夜明けに野営地を立ち、下る。

 所々に大きな岩が隆起している。回り込む手間が苛立たしい。

 道筋を確かめようと小さな岩棚から、下を覗き込む。

「ヴェインよ、あの岩まで飛べぬものか」

 木々の間に点々とみえる岩を見ながらの、何気ない一言。

 ヴェインダルシュは一完歩の助走。止める間もなく、岩棚から身を躍らせる。巨体が舞う。

「……っ!」

「カモ様っ!」

 イチムラの呼ぶ声が聞こえるが、返事どころではない。

 ヴェインの体制は安定している。下の岩までは届く。だが狭い。どうする……。

 その次へ跳ぶ気かっ!

 振り落とされぬよう、跳躍の間合いに合わせる。

 次は左。

 木々の擦れ擦れを抜ける。

 ノスキーラ入りの前に、馬腹飾りを外しておいてよかった。垂れ布などもっての外だ。

 衝撃と跳躍。

 身体が右に振られる。馬腹を締め耐える。

 ヴェインダルシュが、ちらりと右を見る。次の岩。

「ちぃっ!」

 こやつにはまだ余裕がある。

 試されている。

 ならば付き合うまで。

 伊達に青き大鴉が守り刀を名乗ってはおらぬぞっ!

 衝撃。跳躍。更に右へ。

 太い横枝の下を通る高さ。

 狙いおったなっ!

 中空で鞍へ上がる。しゃがんだ姿勢。跳ぶ先は……。

 横枝の主。

 ヴェインダルシュの背中から跳ぶ。

「ぬうっ!」

 大木を蹴り付け、左前へ。やつが跳ぶだろう中空。

 跳んで来なかったら、斬りつけてやる。

 視界の隅、黒い巨体が岩を蹴る。殺気とも違う気の塊。

 次の瞬間には足元に。

 鞍に着地。慌てて足を伸ばし、馬腹を締める。次の岩が迫る。手綱を探る余裕はない。

 衝撃。腕を振り、上半身を巻き込むように右へ。跳躍。手綱を掴む。

 ヴェインダルシュは、鹿の如く岩から岩へ跳び移る。

 息を合わせ、下る。

 途中で止まることは出来ない。着地の勢いを殺せるほど、広い足場がない。

 ノスキーラの麓に広がる森の向こう。左右に煙が揺蕩う。両陣営とも火を落としたか。

 次の岩が最後。

 衝撃。跳躍。



 大木が立ち並ぶ森の手前。

 細いせせらぎで二刻ほど待つ。イチムラと合流。

『そいつぁ、本当に馬でやすかい? 肝が冷えやしたぜ、旦那』

 耳元に声。

 イチムラに付き添って下りてきたようだ。

 そうでなければ、もう二刻は待っていただろう。

 ヴェインダルシュは少し離れたところで、草を食んでいる。

 軽く汗をかいてすっきりしたのか、気配が柔らかい。

「カモ様っ! ご無事ですかっ!」

 その前に言うべきことがあろう。

「遅い……」

「いえ、あれに着いてこいと言われましても……」

 そんなことは分かっている。

「お前の教育をどこで間違えたのか……」

 普通の馬にあんなこと出来ない。

 イチムラの腕で二刻。

 もう少し掛かるか。

 離宮から丸一日。半数は上で野営させるようだな。

 二日目に二百騎が揃ったとして、森を抜けて斬り込む余力はない。

 一日休む必要がある。

 参戦は離宮を出て、三日目。

 これからまたノスキーラを登る。今日中、陽があるうちに離宮まで戻れるか。無理だ。

「四日後、陽が中天に差し掛かる頃。イズナにそう伝えよ」

『承りやした』

「へ?」

 イチムラの気の抜けた返事。

「お前を案内したイズナの下僕だ。お前ではないわ。馬を休ませたら、森の端まで行く。夕刻までに、またあの野営地へ戻るぞ」

「はっ」

 イチムラの馬を休ませ、森へ入る。

 普通なら進みづらい足元だが、ノスキーラと比べると楽に感じてしまう。

 ヴェインダルシュは楽々と進み、イチムラも良く着いてきている。

 一刻。

 森を抜ける手前で馬を止める。

 遠く、鬨の声。馬の嘶き。どろどろと轟く蹄の音。

 下馬。

 森を出る。

 岩肌もあらわな急斜面。その先に連なる丘を越えれば戦場。

 右奥にアデルフリードの陣。左手前にチェゼーナの陣。

 お互いに騎兵が多く、歩兵が少ない。

 チェゼーナの騎馬は重く、一点突破を狙う。

 対して、ファルネーゼの騎馬は速く、縦横無尽に戦場を駆ける。

 今のところ、攻防は一進一退。

 スカルディア勢がよく受けている。

 明日にも姫様の一団が到着するだろう。それで戦況は優位になるはずだ。

「うわあ、あの鎧固そうっすね」

 こいつだけ単騎で先行させてくれようか。

「だから何だ?」

「いえ、あの、斬り辛いなあと」

「乱戦であの鎧を斬るのか?」

「やっぱ無理っすよね……」

 今、こいつを斬りたい。

「ではどうする?」

「うんと……殴る?」

 確かに、あの重装な鎧には鈍器が有効だろう。だが我らにそのような装備はないし、技もない。

「素手でか?」

「いやぁ……痛いですよ、それ」

 こやつの部下たちは大丈夫だろうか。

「狙うのはまず馬だ。あの重量装備だ。馬から降ろしてしまえば、大して動けはしまい」

「でも、何だか馬にも鎧着せてますよ」

 それはそうだ。だが、全身を覆っているわけではない。

「斬る場所はある。斬れば痛みで跳ねる。鎧の騎士は落ちる。何、鐙を斬るだけでも十分だ」

 足元は平ではない。丘なのだ。鐙なしで、どこまでしがみ付いていられるか。

「武器の持ち合わせはないが、相手から槍を譲ってもらえばよい。どうせすぐに使う者のいなくなる武器だ。有難く頂戴しろ」

 ノスキーラ越えに、槍を運ぶ余裕はない。あとは現地調達だ。

「よし、戻るぞ」

 ヴェインダルシュは、登りでも同じことができるだろうか。

 麓で聞いてみるとしよう。

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